今週木曜金曜で畑へ行く予定にしています。
畑仕事はないけれど、相方は物置代わりにしている温室に新たに棚を設置したいのだそうな。
何かと設備(なんて言うほどのものではないけれど)を増やしたがるのを放置してはいるものの、後々のことを考えるとなんだかなぁと思います。二拠点生活がいつまで続けられるか
わからないもの。
現に畑の家のご近所さんの一軒は我が家と同じような二拠点生活をしていましたが、最近は我が家以上に訪れる回数が減っている感じがします。会えないので具体的な理由はわからない
けれど、どうやら親の介護が原因らしい。
私たちは親の介護からは卒業したものの、いつ自分たちが介護される立場になるかはわからないし、その「適齢期」になりつつもあるわけで。
勢いで買ってしまった田舎の土地はそう簡単には処分出来ないとも思う。買ったときにはそこまで考えが至りませんでした。もしこれから田舎暮らしをしたいなどとお考えの方は、
自分たちの次の世代のことも考えたほうがいいんじゃないかな。
売る際に更地渡しにしなくてはならないとなると(絶対にそう、と決まったわけじゃないけど)、あまりものを増やすことには賛成しかねる気持ちを私は持っています。
それと、田舎暮らしは出来る限り若いうちからが望ましいとも思います。私ももう10年若いうちからにすればよかったと思うもの。
さて、最近の服、特に下着などから消えつつあるのがタグ。
たまにタグの角が気になることもありますが、私はほとんど気になりません。
逆にないことが不便と感じることもあるんです。
朝の着替え時は今は特に暗いのだけれど、隣で相方が寝ているので部屋の電気は点けず、ドアにある小さな窓からもれる外の廊下のあかりだけで着替えをしているんです。
そのためタグがついていても前後ろを間違えることがあって、着てから間違いに気づいて着直す、なんてことも度々。タグがついていないとなおさらそうなりがち。
なので出来ればついていてほしいと思いますね。眼の見えない、または見えにくい人はどうやっているのやら。
ATMなどのタッチパネルなんかも不親切だと思うんです。ゆうちょのATMはボタンも併設されているけれど、銀行のはほぼタッチパネルだけですもんね。
話をタグに戻して、このタグは体の後ろ側もしくは左側についているけれど、後ろはともかくとしてどうして左側についているんだろう?とかねてから疑問に思っていました。
検索してもこれといった理由は見つかりませんでしたね。
左側と言えば、昔は人は左側通行で、今でも駅の階段などで左側通行になっているところもあります。これは武士が刀を左側に差しているから、右側通行だとすれ違うとき刀の鞘が
ぶつかるから、とか聞いたことがありますが、これと服のタグは別問題ですもんね。
タグがなくてプリントされている場合、いや、タグがあったとしても洗濯を繰り返すうちにだんだんと薄くなって表示が見えにくくなってしまうのも困る場合があります。
例えば着心地がよくて気に入って着続けたけど、どんな素材だったかと確かめたいのに薄くなって見えないとか、サイズを再確認したいときなど。そんなに薄くなるまで着ずに買い替え
たら?と言われそうですね。