70年代以前、親と子供は固い絆で結ばれていたものだった。無我の社会には子供達の未来をきちんと考える大人がいた。今はどうだろう。自我の強い社会に自己中心型我が侭人間が増えた。家族同士の殺し合いのニュースを聞かない日はない。 9月 「殺そうと思った」中2男子、母親をバットで殴る 9月 父を殴り死なす 40歳男逮捕 西宮 9月 <殺人未遂>父殴り重体、16歳二男を逮捕 北名古屋 8月 <埼玉小六焼死>中1長男「両親が死んでも仕方ない」と話す 8月 稚内女性殺人 母殺害30万円で依頼 8月 母、2児を殺害 天理自宅から 8月 <母親殺害>自殺図った42歳長女を聴取 名古屋 8月 <乳児絞殺容疑>32歳母を逮捕 愛知・豊明市 8月 45歳長男が父親殺害 文化包丁で胸を刺す 7月 中1男子が母親の頭切る 成績言われカッと 7月 親類4人を包丁で刺す 隣家の23歳男を逮捕 7月 父親焼死 19歳長女逮捕「両親が厳しく当たった」千葉県佐倉市 7月 8歳娘落とし殺害で母逮捕 愛知・豊田市の陸橋 6月 放火殺人で高1長男逮捕 「成績、父親に言われた」 6月 親子で口論、長男を刺殺 周南 致命的な“人間嫌い” 日本社会の人間愛の冷え込みは依存症の増加にも見て取れる。加えて環境を壊してばかりで不必要に強欲な大人の態度が人間嫌悪に拍車を掛けている点にお気付きだろうか。少年少女はもう醜い人類の為に立ち上がるなど馬鹿らしいという。
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キリストの言葉に次のようなものがある。 どれだけの健康を得ても、健康への感謝を失ってしまったら どれだけの能力を得ても、相手を敬う心を失ってしまったら どれだけ平和な国でも、国民が平和の価値を見出せなくなってしまったら どれだけ美味しい物を食べても、その美味しさを感じられなくなったら その人間の人生は恐らく空しい。英国では富豪ほどよく自殺するという。 物が豊かになっても、物を大切にする心を失ったら… 今の日本にグサリと突き刺さる言葉ではないか。 生きてはいても― 全てを手に入れた日本人に無いもの、それは真心 誠心誠意 正義心 団結心 愛国心といった心であるように思われる。まず社会に血が通っていない。困った人間に手を差し伸べる人間が居ない為、イジメも虐待も詐欺も傷害も戦争ももうやりたい放題なのだ。 「我々は平和を失うまでその尊さを知る事はできないのか」 人間にはきちんと平和へ感謝する心が備わってはいるが、如何せん現代には霊の命を葬る障害が多過ぎる。常に命の門を選び続け平和を守り抜いた江戸時代の人間は本当に良くやったと思えるが現代の日本人は心を失い、視れども見えず聴けども聞こえず食えどもその味を知らずの盲目状態に陥っている。 今の日本に真の平和と自由があるだろうか? あるのは協力し合う事もできず人間と人間が親子同士でさえ解かり合う事のできない無機質で無慈悲な平和と、飲酒運転で一瞬にして他人の幸福を奪って良い自由。己を制し得ない者が自由人を名乗る事などできる筈はない。このまことの命を損じる死(楽)の門の先に、究極の堕落・戦争が待ち受けている。 神は傍観者に過ぎない 神は人間が戦争をしようと平和を築こうとどちらでも良いと考えているのではないだろうか。神の仕事と言えば平和を築いた人間を天国へと迎え、平和を壊した人間をひっ捕らえて地獄の火炎の中へ放り投げる事。各人の信仰の過ちを正す事など職務外。今も昔も平和を壊している某宗教の変わり映えの無さが、それを証明している。
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B:照り焼きチキン南蛮 賢人なら前者を好んで食べ、健全に生きるかもしれない。 しかし人間は賢人ばかりではない。大多数は美味しくて少し体に悪い後者の方へと流れていく。駅に階段とエスカレータを設置しておけば、皆がエスカレータの方へ並ぶ。益があるのは、階段を昇る方だが。 楽の門は死 苦の門は命へ通じる 「狭き門より入れ」 何故キリストのこの教えがあるのかと言うと、広き門から入る者はろくな事をしなくなるからだ。
飲酒車?に追突され乗用車が海へ転落、幼児3人死亡 (読売新聞)
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「環境の事を考えてこなかったのでこれからは環境を守ります。」 良心が麻痺し懺悔もできない教会は十字架を背負いキリストに付いて行く、贖罪の旅へ出る事ができていない。「イエス・キリストを贖い主として受け入れれば赦される」 …………というが……意味が分かりません。 何をしてきたのか 一つの理として、殺し合いを要求する悪魔に従事しながら平和を祈念する事は矛盾している。快楽浸りになりながら日本の治安の向上や、神の国の到来を祈る事はおかしい。極端な話、 砂糖捨てますか?平和捨てますか?の問いに「平和捨てます!」と即答してきたのが日本の教会だ。真理に気付かない者が飽食するたび社会は荒れていた。今の悲惨な日本社会は当然の帰結でもある。 若者の性の乱れに物申す! このような闘争なしに平和は守られないという事を知らなかったらしい。面倒な道を避け平和に安住して居れば、放置された悪魔達が勝利するのは必然だ。 イエス、モーセ、パウロ、ペテロらの人生を「苦」、「闘」、「癒」とすれば 日本のキリスト教が歩んできた道は「安」、「楽」、「戦」である
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悲しんでも 大食しても 贅沢品(肉、砂糖、卵)を食べても血液が汚染される。悪魔の洗脳は血液を通して行われる。 どうやら怒り、妬み、憎悪、悲劇、贅沢、強欲のある処には悪魔がすっと入り込んで来て悪さをする。この世はそのような仕組みに創られていたらしい。 悪霊に憑かれた者は良心を失い、神よりは悪魔を喜ばせる事を自然と好むのでほぼ自動的に地獄行きが決定するという恐ろしさがある。例えば千円札を募金に使い天に財産を積むより、豪遊して自分の体に脂肪を積んでしまうのである。 キリスト曰く悪霊を払う方法には祈りと断食がある。断食には抜群の浄血力がある。 悪霊に憑かれた教会 キリストの言う赦された罪人とは、悔い改めて狼から羊へ戻った者達だけを指すと思われるが、罪を罪と認めない良心の欠けた者は神に対する謝罪も行わない。それが日本の教会であり、何も考えて来なかった事で悪を悪と思えない無慈悲な狼の集団が「あなたは赦された」と滑稽な信仰に根を降ろし長年安穏と過ごして来ている。 神は何故何も言わないのか もう十分ヒントを与えているので考えていない人間達に用は無いのだろう イエス・キリストも難しい例え話を用いて思考しない人間の天国入りを阻もうとしている。 教会もせっかく道を誤ったのだから、悔い改める価値はあるのだが。 Life is very interesting, if you make mistakes. - Georges Carpentier
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反省の念がない為に未だ人殺し教&貪欲な狼の群れという性質も変わっていない。やはり善悪の追求をしていない宗教は終わっていると思わせます。 ちなみに我々が正邪の判断を付けるのはただ良心によるのであり、天の意思を知るのも良心、真理を見出すのも良心によっている。 ちょうど裁判官が己の良心に基づいて裁決を下すように、我々も裁きの日には己の善心によって完璧に裁かれるであろう。神にミスジャッジがあると思うなら良心の塞がれた現状を維持して居れば良い。 貪欲さを追いかけながら平和を祈願する事は正しいのだろうか?若者が何も考えていないのは大人が何も考えていないからに違いない。お金や命より大事な物を失った国民の為に首相も靖国を訪れるのではないのか。良心に答えを求め善悪の追求を行わない事には同じ過ちを繰り返すのは時間の問題と思える。
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何が間違いであるかは全て己の善心が知っている。 誤りを改めない者は当然、赦しを得られない悪党のまま果てる。
頭から熱湯、2歳女児死亡…アザも十数か所、両親逮捕 - 読売新聞 滋賀県警高島署は6日未明、頭から熱湯をかけるなどの暴行を加えて女児を死なせたとして、同県高島市新旭町安井川、航空自衛隊空士長、長阪健太(24)と妻の千鶴(25)両容疑者を傷害致死の疑いで逮捕した。調べによると、両容疑者は、6月中旬から今月5日未明にかけて、二女優奈ちゃん(2)に対し、棒でたたくなどの暴行を加え続け、頭部やけどによる敗血症で死亡させた疑い。 これが「自分の正体もわからねえ奴」だという事である。 誰の心の内にも悪魔が棲んでおり、人間の本性は悪魔であるから人間の数は減らした方が良い、助け合う事に価値はないという思念に我々は囚われている。むしろ人助けする人間には怒りが向けられる。 砂糖の撤廃を望むのは身体が蝕まれるからではない。 霊性の方は即死だからだ。 感謝の心 人を敬う心 憐れむ心 ..... 「恵まれ過ぎていて申し訳ないから目一杯平和や環境を守る活動をしよう」 このようなマトモな考えを持った若者が日本に何人いるだろう。 原爆の日にも、人々は平和への感謝を忘れている。
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誰かを虐めた時この神が言う。 「何故A君を虐めたんだ。相手の気持ちが分からないのか」 この神は何でも知っている。「盗んではならない、偽証してはならない、殺してはならない、姦淫してはならない、親を敬え…」 思考も筒抜け 神に対し隠し事はできない 天網恢恢 悪事も見逃される事はない そして死後、このもう一人の自分が裁きを下すのだ。 「結局、最後までA君に謝罪しなかった。偽証を行った。姦淫を行った。富を一人占めした。よってあなたは地獄行きだ」
ともあれ日本人には今、これくらいの事を信じさせた方が良さそうだ。
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神への反逆者である人間と、父なる神を執り成す為に現れたのがイエス・キリストでありイエス自身は「私は罪人を招く為に来た」と語っている。イエス処刑の場面にはまさに神に反逆する人間とそれを赦そうとするキリストの構図が描かれているようである。 回心した悪党は強いためかキリストは心の清い者だけではなく心の汚れた者も歓迎している。この点では神に反逆し尽くしている感のある日本にキリスト教はピタリと来る宗教ともいえる。 神への違反とは、甘い物をしゃぶったり、動物を貪り食らったり、過度の官能刺激など人間としての恥と思える行為や悪を行う事によって悪霊の支配を受ける事から起こる。 例えば日本人は未開発国の人間と違い、15歳にもなれば誰もが世界平和への興味を失い環境破壊が大好きになっている。 これは脳が死(サタン)の属性を帯びているからに他ならず根本理由は先の説明にある血液の汚染にある。こうなると半強制的に悪魔の洗脳を受ける事になる。 日本のキリスト教などこれを解決しない限り神に赦される事は考えられない。何故なら悔い改める気のない悪党が神に反逆したまま行ける天国などないのだから。 あなたの内にいる神の心が今日も叫んでいる。 あなたは何をしているのか自分で分からない
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神とは旧約聖書の『創世記』を読んでも普通に太陽を創ったり自然秩序を乱して天候を操るなど、全能の存在。人間とは父-子の関係を持つ。 神の子である人間 しかし今全地球を見渡して、人間が本当に地球上で最も賢く最も崇高な存在だと胸を張れるだろうか。食欲に負け世界を齧り尽くしている様は、まさにネズミと同格。一部では悪魔の子へと変わり果てた。 人間が本当に万物の霊長であるなら全ての生き物の命を尊重して然るべきである。人間様の一時の快楽の為に全世界で実に200億の家畜が略取と虐殺の憂き目に遭っている。先進国に蔓延する難病奇病は既に動物達の復讐が始まっている事を思わせる。
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全ての宗教が原点を離れた時、神は無宗教の人間・国家を用いるのではないかと考えます。伝統や歴史に縛られる事のない柔軟な宗教の出現が今この何もかもが適当な国家の内に求められている気がします。 キリスト教への戒告を幾つか残しておきたい。
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