食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

自己愛性人格障害

2012-06-23 23:59:00 | 人間


土浦連続殺傷事件の金川真大被告は自己愛性人格障害の診断を受けた。自己愛はどの生物にも重要な防衛の本能。人類が脳に持つ暴力や復讐衝動の起源は原罪の源泉でもある。

人の脳は大脳皮質(厚さ2cm)の中にある2mmの倫理の堤防で「憤怒」「悪」の激流が堰を切って氾濫するのを辛うじて防いでいる




他人への共感の欠如、傲慢な態度、不穏な人格崩壊の傾向
日本に様々な問題が山積しているのはこの危機を生み出した根本原因が私達の心にある事の認識が不十分なためではないか。

試練に遭っても、誰かが何とかしてくれると期待し、上手く行かなければ不満となり、努力の限りを尽くすことはしない。

東電だけが腐りきった体質なのだろうか。電力を無尽蔵に使ってきた都民の一人として、恩恵を忘れがれき拒否・東電批判に騒ぐ日本人にはなりたくないと思っている。

セシウム濃度、江戸川下流ほど高く - asahi.com
江戸川の泥 乾燥1kg中セシウム
利根川からの分岐点 137ベクレル
坂川との合流前   431ベクレル
坂川との合流後   740ベクレル
下流・市川橋付近  834ベクレル
下流・今井橋付近  940ベクレル 
(調査:2011年8~12月)

より良い未来のために、リスクを冒してでも挑戦する事はせず、今の立場を守ろうとする。このようなエゴと受け身の風土が日本全体を覆っている。

しかしその実現の為に試練を負う逞しさを持つ必要に誰もが気付き始めている。

雨よりもがれき対策に悩むなら、肥満人口(上記)を増やしながらもガン罹患を減らしている米国の指針に倣えば良いだろう。 がん予防の15か条 (世界ガン研究基金、米国ガン研究会調べ)



人間の悪しき行動を見るたび
「やはりアダムの原罪が・・・」「聖書の正確性を再確認した!!」等とのたまう宗教者がいるが、無能な神の監督不届きと社会の悪には何の関係も無い。

むしろ弱ったローマ帝国を制圧した野蛮人族の20世紀までのインデックスこそ、原罪の権化。
「人間が腐るところまで腐っている」と感じたら、周りにキリスト教的な物がないか確認してみよう。





損得を超えて他人に尽くす事から生まれる充実感や連帯感が何処から生まれているのかは不明ながら、転換への強い意志が原罪的利己の日本を脱する力だろう。

小さくとも情報が本物であればきっと共鳴の輪は広がり日本再生のムーヴメントに繋がる。なぜなら誰もが心の深い所で本当はそうしたいと願っているからである。



画像借用元: The Memory Practice Garbagenews.com
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『原罪』とは何か

2012-06-17 18:14:06 | 焚書/解体


ローマ帝国の監視・防衛機構として新生カトリックが発足すると(4世紀)、全般的な目的と構想の下に教義は解釈し直され「原罪」は地中海沿岸の人々を繋ぐ楔(くさび)、「罪の赦し」は改宗者に下る皇帝からの赦しとなった。


       原罪とは何か
旧約に関し不勉強な男パウロが作った不安の概念。ユダヤ教における原罪とは"弁えておくべき人間の悪しき性質"に過ぎずイスラム教もユダヤ教も人間が不治の罪をずるずる引きずっているとは考えない。

       救世主
帝国住人の罪を贖う救世主として、4世紀にイエスは新たに皇帝の元から派遣し直された。 「それゆえに、は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった」(フィリピ2:9)

人類始祖の堕落を数千年も後になってから贖う滑稽さは江戸時代の学者・新井白石にも「赤子のたわ言」と一蹴されている。
『デウスこれをあはれむがために、自ら誓ひて、三千年の後に、エイズスと生れ、それに代りて、其罪を贖へりという説のごとき、いかむぞ、嬰児の語に似たる』(『西洋紀聞』) 新井白石と天地創造。

       新約聖書とは何か
百花繚乱のキリスト教集団がもう正典争いをしなくて済むように、帝国安定の為に生み出された政治道具。帝国臣民が消えた1453年4月以降存在意義を失っている。

       パウロとは何だったのか
キリスト教の何が気に入らなかったのか、パウロは明かしていない。しかしユダヤ人の至宝たる神との契約を破棄できる人物がユダヤ愛に駆られてキリスト教徒を迫害していたなどは荒唐無稽も良い所。これぞ異邦人に向け"回心"のショックを増すための敬虔なフィクションなのである。

       イエスとは何か
以下の箇所にはイエスが良く表現されているように思う。
マタイ12章 2-6節 パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、なたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。すなわち、神の家に入って、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。

このダビデの話(サムエル記I 21章)が安息日の出来事だったとはどこにも書かれていない。
この強引な解釈の中にイエス=ユダヤ人の願望なる新モーセが表現されているのが垣間見えるだろう。旧約新約では神が見事にイメチェンを果たしているのも興味深い。
「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう」(マタイ12:7)

       再臨とは何か
「神の国は汝らの中にある」(ルカ17:21)の言葉通り再臨とは一人一人の人生の内で作用する完全な神性の到来である。神の国も悲惨/不条理の悪魔の国もまさしく人間の内にある。

キリスト教の言う"天国"は無益な愚考だったかもしれない。
しかしキリスト教の地獄は十分に本当だった。“終末の再臨”はユダヤ人を解放したペルシャの思想の複製に過ぎず、万人に神性の体験の普遍性が吹き込まれている以上、再臨は特定の人物に倣わなくても良い。

       聖霊とは何か
「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった」
「詩篇に、
『その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がいなくなれ』と書いてあり、また『その職は、ほかの者に取らせよ』とあるとおりである」(使徒1:16-)
引用元
「彼らの宿営は荒れ果て 天幕には住む者もなくなりますように」 (詩編69:26)
「彼の生涯は短くされ 地位は他人に取り上げられ」 (詩編109:8)
これをユダの預言の成就だと言って聖書を盗み去ってしまうモラルの野蛮なキリスト教書記が語る“聖霊”もいかがなものか。





地中海を出た原罪の全世界的な適用が後世キリスト教の恐喝的な伝道に根拠を与え続けたことは言うまでもないだろう。

アメリカの征服 http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm
ハツアイ(Hatuay) と言うインディオ族長は、火あぶりになる前に宣教師から「洗礼を受ければ天国に行けます。洗礼をしますか。」と聞かれた時、天国にはキリスト教信者がいるのかと質問しました。「勿論」と宣教師が答えると、「じゃ、結構です。そんな残酷な人と一緒になりたくない。仲間のいる地獄の方がいい。」と断りました。(ドイツ新聞taz,1987・2・21からの引用) ハツアイ族長の様な反応から、当時のクリスチャンはインディオ達が無知の悪魔族だと確信しました。


さて、ローマの世界を汚染した狂的信仰の環境から他力本願・敗北者主義・各地に進出して行く性向の残忍な迷信が欧州一帯に広まり出すと、全世界がキリスト教の一元的支配に屈するのは最早時間の問題と思われた…

画像借用元: Chuck Boening's History Web Site

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皇帝コンスタンティヌス

2012-06-05 16:47:06 | 焚書/解体


ローマ帝国が抑圧に困ったキリスト教を統治機構の内に取り込むまでの経緯を最後に確認しておこう。ローマ帝国の東端で生まれた新宗教は4世紀の為政者にその高い組織力が着目される頃までには、無知な一般レベルへの適合に長けた
西洋人キリスト教への奇怪な変形を遂げていた。
 

 
    ディオクレティアヌス     (在位AD284~305)

ローマの伝統を守る事が帝国再建への道と信じたディオクレティアヌス帝は激しいキリスト教迫害を断行した。303~305年にかけてキリスト教一掃を図り集会所の破壊、キリスト教文書の没収・焼却、信者の処刑などの徹底弾圧を行うが、根絶する事はできなかった。


    コンスタンティヌス1世     (在位AD306~337)

ガレリウス寛容令 (311年)で迫害終結が宣言された後、リキニウスと連名でキリスト教を公認するミラノ勅令(313年)を公布。この人物こそ新約聖書の編纂を命じ、イエスの誕生日を定め、聖日を日曜日に統一した現キリスト教の「父」である。コンスタンティヌス以後雑多なキリスト教集団は急速に整備が進められた。

ミラノ勅令後、キリスト教徒を多く抱える東方には出来ない
教会優遇策を打ち出したのも既に政治的戦略であったと言われる。キリスト教の制御と領土の一元的支配を兼ねた国教化事業も政治利用の枠の内に勘案されていた。コンスタンティヌス時代のキリスト教徒は帝国内の1割台の勢力に過ぎず、より数が多いミトラス教徒ら異教徒の風習をキリスト教に適用(改変)させる政治的必要もあった。


    コンスタンティウス2世     (在位AD337~361)

父コンスタンティヌスの路線を継ぎキリスト教を優遇。ニケア公会議(325年)の決定で異端とされたアリウス派を逆に支持した。


       ユリアヌス        (在位AD361~363)

コンスタンティヌスの甥。幼児洗礼を受け聖書にも親しむが、後に棄教。キリスト教優遇に疑問を持ち始める。古典文芸やローマ古来の異教信仰再興の実現に取り組んだ。

ローマ世界最後の光を発しつつ、31歳の若さでペルシャの砂漠に戦没。晩年のユリアヌスは洞穴に入り槍で裂いた牛の血を全身に浴びる祭儀を行ったという。これはミトラスの密儀にキュベレ信仰を混ぜ合わせた儀式と言われる。


      テオドシウス       (在位AD379~395)

380年にキリスト教の国教化を宣言。元老院の反対を押し切り異教禁止令(392年)を発布、翌年には1100年以上続いたオリンピアの祭典競技が幕を閉じた。テオドシウスは380年以降キリスト教徒の頑迷な憤慨からくる異教への破壊活動を教会の公式路線として追認した。

孫のテオドシウス2世はテオドシウス法典の中で計36の異教を非合法とし、ローマの伝統である『宗教的寛容』の時代が完全に終焉した。






コンスタンティヌスの過失は、キリスト教の美しい"人道主義"の覆いに隠された偏狭さ、凶猛性を見抜けなかった点にあろう。異質なものとの共生ができない未熟で不名誉な装置を後世に残す事になるとは、考えもしなかったのではないか(母はキリスト教徒だった)。哲人皇帝ユリアヌスはそのコストを見抜き、ローマの美術品を破壊するキリスト教徒に怒りの目を向けた。

「私は正義とはあらゆる強制を含まぬものと思っている。正義とは自由に他ならぬ。少なくともただ自由のなかだけに存在するのだ。…  しかし人間が人間を自由な存在としたこと自体が、すでに正義の観念を実現したことなのだ。あと千年か、二千年か、あくまでこの観念をまもりぬくほかない」 引用元: 『背教者ユリアヌス』


コンスタンティヌスの生涯の信仰が不敗の太陽神ソルと共にあった事は念頭に置く必要がある。彼は2体の像を造り1体は母神キュベレ、もう1体は自身に似せたソルだとした。彼のコインにも“不敗の太陽神(
SOLI INVICTO)”の文字が刻まれている。

死に際してコンスタンティヌスはキリスト教の洗礼を受ける。彼は崩壊して行こうとする落日のローマ帝国の再建をキリスト教に託すのである。

画像借用元: Ancient Coins Chronicles





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