神の愛とは子供から覚せい剤・タバコ・お菓子を取り上げる愛。 子供に伴う苦痛、それを乗り越えずして良い未来はやって来ない。 神「日本のキリスト教は終わっていたのだ」 子「ヤダヤダ!」
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「最後の1コドラントまで支払え」は過去を清算せよということ。 面倒だと逃げ惑う間に悪魔が強大になっていますし、支払うコドラントが増えていますし、十字架が肥大化しています。 天国がどんな所か私には計り知れないが日本の信徒の8割以上は天国入りなど不可能だろう。悪霊に憑かれ過ぎているのだ。楽へと逃げ地獄の日本を築いてくれて有難う御座います。
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しかしお陰で・・・・・・ |
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以下はイエス・キリストが信徒達に命じている筈の第一の大切な戒めである。
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虐待やイジメが横行しているのは何故か 平和は祈りではない人間の機知と行動によってしか実現しない 世界大戦すら傍観してきた神はこう言いたいのではないだろうか。
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食べ物は口に入れてお終いではなく体内での食物処理には膨大なエネルギーと作業が必要。1日に人体が出す消化液は8リットル以上。想像できますか。 乳+砂糖は大変美味しい物だが、「シュークリーム」などは腸管にベタと付着。10m以上の消化管を出るのに数ヶ月以上要する場合がある。その間に否応無しに腐敗、感謝なく動物を多食するなら体は老衰する。 考えなくなった人類へ 少し考えれば分かる事に、今の人間は気付けなくなっている。敬虔な信仰者さん達もご存知ないが、人間は酒をグビグビ飲んでも、天国へ至れないようになっている。人間の構造がそうなっているのだ。 タバコをスパスパ吸っても天国が遠のく 肉をガツガツむさぼっても× 肥満になるまでバクバク食べても× 砂糖をガバガバ食べても× 性行為をガンガン行っても× プロテスタントの一派にSDA(セブンスデーアドベンティスト)がある。彼らは酒、タバコ、肉、香辛料などを禁じられておりお堅い一派と見なされているが、神から見れば“比較的正しい教団”になると思う。 モルモン教にも同様の禁忌がありこのニ派の内ではガンが非常に少ない。モルモン教は異端扱いされているがガン患者の少なさは信徒達の生活習慣の良さを示しているだろう。もはやどれが異端なのだか・・・・ 神は恐らく「人間が何を考え何をするかなあ」、「どんな宗教を作るかなあ」と傍観しているのだ。仮に「何でも好きなだけ食べて良いマチガイ教」を作ろうとそんな事はどうでもいいに違いない。 神の厳しさを端的に示すのはこれだけ大勢の人間が何十年と祈っていても、誰も間違いを指摘してもらえない点。もう「知ったことか」くらいの勢いを感じますね。
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パドックで大声を出す観客などは既に競馬ファンですらないと思われますがここまで来ると馬が勝たなかった事が不幸中の幸いとさえ思えてしまう。 現地の外国人はこう言いたいに違いない。 「日本では一体どんな教育をしているのか?」
凱旋門賞に見に行った友人に電話でどうだったか聞いたら 日本人のマナーは本当にひどかったらしい、レープロには 猛ダッシュで日本人が群がり普通に歩いていた外人を「どけどけ!!」と 言いながら押し出していたらしい。 さらに自ら押し競饅頭の中に入っておきながら「痛い痛い!!」と叫ぶ始末、 外人はその姿を見て苦笑いをしていたらしい。 また、ゴール直前に馬券を投げたり悲鳴をあげてる人に 「ここは日本の競馬場じゃないんだぞ!」 と一喝したら 「あーはいはい、スンマセンね。チッ」 と言いながら投げ捨てた馬券を拾わず そのままそそくさに逃げていったようだ、 あまりの日本人のマナーのなさに自分まで他の外人に睨まれて 本当に悲しかったって呆れた口調で言ってたよ。
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一人のポイ捨ては全体に連鎖する。周りがやっていれば自分がやっても許されると思ってしまう。これが人間というものではないだろうか。一人の問題で済む事は何一つないと思う。 この国に「なくそう飲酒運転運動」が展開する事はあり得ない。各人自分には関係ないと思っているからだ。 「事故に遭っても自己責任です。アスパルテームを食べて脳腫瘍になろうと自己責任。米国産牛肉を食べてガンになろう。自己責任です。」 全てが一人の問題。独り占め。・・・・こんな国をどうやって好きになれと言うのでしょうか。 「自分には無関係」と言う間にフラフラする車が増加しいつかは我が身にも災いが降りかかる。その時社会は知らん顔。 ―結局人間一人では何もできないし、人間は全体で捉える必要のある生き物でもある。本来は一事が万事の筈なのだが。。 埼玉園児事故:17人死傷 「カセット裏返そうと脇見」 埼玉県川口市の市道で「川口小鳩保育園」(同市戸塚)の園児らの列に車が突っ込んだ事故で25日、病院に搬送された園児2人が死亡した。他の園児3人も意識不明の重体。保育士の女性2人と園児10人が重軽傷を負った。 今後の日本が怖くてたまらないと思ったなら、今悪いと思える事を一人一人がやめて行くしかない。 社会全体を見渡せば全てが因果応報、一人の行為が全体に影響を及ぼしてこうなってしまった。誰が悪いと言うより全体責任ではないだろうか。「殺生は良くない」と言うと宗教臭がしてしまうが、どうやら美食三昧という生き方に人類は構造的に耐えられないのも事実だ。そしてこの毎日の酒池肉林が何でもないと考えるのは、少々「人間」を忘れ過ぎていると思う。 神は助けてくれない 「神よ核兵器を廃絶して下さい」などと祈っても「それは人間のやる事だ」と返されるに決まっている。神は古来より考えて行動する人間を補助するだけの存在だった。人間は少しの努力で報われるようになっているのだから、教会はまず「食べない努力」をしてみてはどうか。慈愛の強い神が怒り易いのならそれは人間の事を本気で考えている証拠に違いない。神は幼児達の死に憤る存在であり、何も感じず行動のないキリスト教会に大した加護のあるはずもない。 「神は正しく働く者を助けようとして待ちもうけておられる」 -トマスアケンピス (ドイツ 聖職者)
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人間が変わってしまった時、必ず環境に原因を求める事ができる。
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