食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

異端問題と新約聖書

2011-11-19 13:26:20 | 聖書


既述の通り、イエスの誕生譚が歴史的事実とは関係がない"空想小説"のジャンルに入る創作話と判断できる以上「腐乱死体から甦ったイエス」を安易に信じる事はできない。

夏から6ヶ月間降下を続け12月22日付近に最低ラインに達する太陽高度が再度北へ上り始める様を、古代人は神話上の「死と3日後の復活」へ訳したのだという。面白い事に世界の何処でも夏至・冬至期の太陽は3日間の停止を見せる。北半球の神々は冬至に"生まれ変わり"、太陽神ミトラスはまさに死後3日で蘇る。
南中高度のデータ


クリスマス、イースター、黄道12星座…
(黄道:太陽の通り道) 実にキリスト教の諸要素は古代人の崇拝の主題でありローマ世界の土着信仰とも言えた太陽崇拝の概念で埋め尽くされている。自然崇拝を全身で体現しているような宗教が、他宗教を偶像崇拝・アニミズムだと揶揄している異物感にも自然と目が向けられよう。


イエスの扱いに関する正統・異端問題
福音書が当時としては珍しくない救世主神話の核(処女懐胎、神の子、奇跡....)を現実風の物語に書き直しただけの寓話であることはもはや反論の余地がないほどだ。奇怪にもイエスという人物には、一世紀のどんな歴史的証拠も存在していない。

それが“太陽と12の衛星”を適用したに過ぎない象徴物なのであれば、
イエスと弟子達は教会制度・教義の直接的な創設契機というよりはむしろマスコット的な側面があったのではないだろうか。「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」構図とは裏腹に2世紀に入ってからも 「12使徒の教え」 「著者イエス」の文書が続々と刊行されている。それら全てはイエスと弟子の使った日常語(アラム語)ではなくギリシャ語で書かれていた。(イエスの実在を示唆する文献はキリスト教徒が書いた文書以外には残っていない)


多種の手紙・福音書が相互に矛盾を含んだまま最大公約的に一つの書にまとめられた経緯は、二世紀の異端・マルキオン派に対する処遇上であったと推定されている。それまでの教会は旧約聖書のみを正典とし、キリスト教文書の整理の必要性を感じていなかったらしい。

マルキオンの考えは旧約聖書の神を不完全で偏狭な怒りの神と見做し、彼が心酔するパウロの説く神とは別物だとした。ユダヤの律法にもはや効力はなく、旧約聖書を排除しパウロ書簡と『ルカ』のみを正典としていた。『ルカ』はパウロの同行者ルカの名を冠しているようにパウロ寄りの福音書である。
マルキオン派 - Wikipedia

ユダヤ教に対し破壊的だったパウロの主張はイエスを立てた原始教会(ユダヤ教ナザレ派)からは断固拒絶され、異邦人教会の中でもパウロ書簡は未だサブの扱いだったようだ。それはそうだろう。当時ありふれていた古い他の宗教に属する復活信仰のみで神に認められようとする浅薄な信仰が完全である筈がない!


言及するまでもなくこの旧約排除+パウロ崇拝という異端的な信仰が今日のキリスト教では正統・標準的な思想に取って代えられている。あくまでユダヤ教を導く改革者・一預言者として現れ、後にローマ帝国を束ねる神へと加工されたイエスから見た教団史への感想は、如何なるものなのだろうか。








 
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神々のブレンド

2011-11-10 23:58:24 | 聖書


新約聖書『ヨハネの黙示録』のキリスト像にはミトラス教経典とのビジョンの一致が見られるという。終末にキリストは白馬の騎手として来臨し(黙示録19章)、ミトラスもまた最終戦争に白馬に跨った姿でやって来る。

ミトラ教祈祷書
「神が見えるだろう。すさまじい力を持った、
輝く顔を持ち、若く、金髪で、白い服を着て、黄金の王冠をかぶり、幅の広いズボンをはき、右手には、若い雄牛の金色の肩をつかんでいる。これこそが熊座という星座(7つの星からなる)であり、…」
ヨハネの黙示録(1:16)
右手には7つの星を持っていた。口からは、両刃の剣が突き出ており、(ミトラスは手に剣と火を持っていた)顔は、強く照り輝く太陽のようであった
(14:14)見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、
頭には黄金の王冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。」


キリスト教に見るその他の様々な異教的痕跡を挙げてみよう。

クリスマス
クリスマスはローマ帝国の祭日、不敗の太陽神の誕生祭(ナタリス・ソリス・インウィクティ)が由来と言われている。"不敗の太陽神"の称号は4世紀初頭ミトラスに付与されていた。

12月25日は他にも太陽神ソル、農神サチュルヌス、アッティス、ディオニュソス、女神ストレニアらの誕生祭が目白押しで、帝国はこの風習をなくす訳にはいかなかった。キリストの生誕日は国教化を計画した政治的事由から定められ4世紀中頃にはクリスマスが祝われるようになった。

イースター(復活祭)
春分も「昼の長さが夜を超える日」として大々的に祝われておりミトラスら神々の祝祭がキリスト教に引き継がれた。イースターの名称自体、異教(ゲルマン神話)の春の女神に由来すると言われる。

マリア崇拝は偶像崇拝ではないのか
4~5世紀のローマ全域に根付いていた地母神崇拝(アルテミス、イシス、キュベレ....)に応じて聖母信仰を認めざるを得ない背景があったと考えられる。純粋にキリスト教側から見れば、マリア崇拝もローマ帝国との妥協物と言えるだろう。「マリアは人である」と真っ当に主張したネストリウス派は「異端」
の烙印を押され退けられてしまった(エフェソス公会議 431年)。



鍵となる性格、その基盤の多くをキリスト教はミトラス教や他宗教から継承している事が分かる。

12月25日の誕生、3月25日の復活、3日後の復活、12使徒 これらは全て天体運行を模型にした神話のため「主がイエス様の物語を古代人に見せて下さったのだ」というキリスト教脳的な思考は残念ながら通用しない。独特の何も持たないものが、“唯一の真実”を掲げながら異文化を駆逐して行ったやり切れない荒唐無稽の暗黒史に思いを馳せていただきたい。


その生まれから2000年前の1人のユダヤ人を盲目崇拝する集団ではなかったキリスト教の変節は、ローマ周辺の宗教に影響された側面が非常に大きい。キリストを神格化し異邦人へ売り出したパウロは原始教会にとって破門すべき異端でしかなかったが、誇張と競合の流れは次第に収拾が付けられない状態になって行った。その痕跡は神話で潤色された齟齬の多い福音書にも見られる。

異教的素材を吸収し肥大化した像が人類の歴史へと転換される頃には、キリスト教は無知なる大衆を欺く人間性への犯罪に変貌していた。今日までキリスト教と呼ばれてきた物は、紛れもなく西洋でこね回され・箱詰めされた製品なのである。

画像借用元 THE SUN in your horoscope






 
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福音書の神話的アイデア

2011-11-01 02:51:12 | 聖書

イエスの誕生 - マタイ福音書 ルカ福音書
イエスの生誕祝いに3人の賢者が黄金・乳香・没薬を携えてやって来た。未来の王の誕生を恐れたヘロデ王は、ベツレヘム周辺の二歳以下の幼児を皆殺しにする。しかし先に天使のお告げを受けていたヨセフは妻子を連れてエジプトへ逃れた。ヘロデ王の死後ユダヤの地へ戻ろうとするが、ヘロデ王の息子が即位していたためガリラヤ地方ナザレに向かい、イエスはそこで育つ。 天使はナザレにいるマリアに現れる。ヨセフは身重のマリアを伴って、皇帝が発した住民登録令のためナザレからベツレヘムへ上った。宿屋に泊まる所がなくマリアは厩で出産しイエスは飼葉桶に寝かされた。誕生は羊飼い達が目撃する。エルサレムで律法通りに儀式を終え、一家はナザレへ帰っていく。

両者の最も大きな相違は、イエス誕生後の一家の行動である。『マタイ』ではヘロデによる殺害を逃れてベツレヘム→エジプトに向かう。『ルカ』では一家はナザレ⇔ベツレヘムを往復する。イエスが一人だとすると、この相違は説明が付かない。

イエスの生年も『マタイ』を参照すればBC4(ヘロデの没年)以前、『ルカ』ならAC6か7(2章2節の記述から)と10年もの開きが生じる。『ルカ』の住民登録は居住地ではなく出身地で行うものらしい。それこそ宿が確保できなくなる世界的大混乱の原因だが、これ程の税金の無駄遣いがローマ帝国全土で施行された記録はない。『ルカ』がこの頓珍漢な話を用意したのは、イエスをベツレヘム生まれにする工夫と考えられる。(ベツレヘムはユダヤ人の誇る先祖ダビデ王の出生地)

ベツレヘムで「泊まる宿がなかった」としているが、『マタイ』では一家は普通にベツレヘムに住んでいる(エジプトからも"ユダヤの地"へ帰還しようとした)。ベツレヘムからエジプトまでは350kmある大移動なのに『ルカ』には何の記述もなく、逆に『ルカ』にある出来事は『マタイ』にはことごとく書かれていないのだ。



既に自明の通り、福音書に描かれる形でナザレのイエスなるものが存在した事は史上一度たりともなかった。

ヘロデ王の幼児虐殺も史料には一切残っていない。(軍隊が幼児を大虐殺する悪逆無道を事件として誰一人書き残していないなんて?) しかし誕生時の死の危険は大昔のペルセウス、クリシュナ、ヘラクレスら英雄的神人の誕生譚には決して珍しくない宿命であったし、
聖母と人間の大工の子供という設定も霊的叡智の表現としてか古代宗教の救世主神話(アグニ、クリシュナ、サリバナ....)の中核に既に埋め込まれていた。

水をぶどう酒に変えるという、12月25日に聖処女から生まれた、この世で苦難を受けた後に天へと帰還する、神の独り子でありアルファとオメガと呼ばれた古代ローマ・ギリシャで絶大な人気を誇った酒神の秘儀をキリストが堂々と剽窃しているのを知る時、キリスト教が神学界に寄与した新しい要素は何一つないことが明らかになって来る。特にミトラスとの相似は単なる偶然の一致であるにはあまりに似過ぎていて、偏屈な者でない限り両者に同一の源を否定することは難しいだろう。
(バッカスのレリーフ)




「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」という一般的理解に反して、実態は後の信者がイエス像を好きなように捏ね繰り回した図式が聖書の上にも疑うべからざる論拠として存在している。

「聖書は正しい」 「キリストが再臨する」 
そう言いたければ、事物を検証し、責任を持て。
借り物の神話を「歴史」として誤読し、古代人とユダヤの崇高な表象・寓話・暗喩を投げ捨てた退廃的解釈に溺れた姿こそユダヤ教聖書を愛する元型イエスに対する侮辱に他ならないだろう。






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