既述の通り、イエスの誕生譚が歴史的事実とは関係がない"空想小説"のジャンルに入る創作話と判断できる以上「腐乱死体から甦ったイエス」を安易に信じる事はできない。 夏から6ヶ月間降下を続け12月22日付近に最低ラインに達する太陽高度が再度北へ上り始める様を、古代人は神話上の「死と3日後の復活」へ訳したのだという。面白い事に世界の何処でも夏至・冬至期の太陽は3日間の停止を見せる。北半球の神々は冬至に"生まれ変わり"、太陽神ミトラスはまさに死後3日で蘇る。 南中高度のデータ クリスマス、イースター、黄道12星座…(黄道:太陽の通り道) 実にキリスト教の諸要素は古代人の崇拝の主題でありローマ世界の土着信仰とも言えた太陽崇拝の概念で埋め尽くされている。自然崇拝を全身で体現しているような宗教が、他宗教を偶像崇拝・アニミズムだと揶揄している異物感にも自然と目が向けられよう。 イエスの扱いに関する正統・異端問題 福音書が当時としては珍しくない救世主神話の核(処女懐胎、神の子、奇跡....)を現実風の物語に書き直しただけの寓話であることはもはや反論の余地がないほどだ。奇怪にもイエスという人物には、一世紀のどんな歴史的証拠も存在していない。 それが“太陽と12の衛星”を適用したに過ぎない象徴物なのであれば、イエスと弟子達は教会制度・教義の直接的な創設契機というよりはむしろマスコット的な側面があったのではないだろうか。「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」構図とは裏腹に2世紀に入ってからも 「12使徒の教え」 「著者イエス」の文書が続々と刊行されている。それら全てはイエスと弟子の使った日常語(アラム語)ではなくギリシャ語で書かれていた。(イエスの実在を示唆する文献はキリスト教徒が書いた文書以外には残っていない) 多種の手紙・福音書が相互に矛盾を含んだまま最大公約的に一つの書にまとめられた経緯は、二世紀の異端・マルキオン派に対する処遇上であったと推定されている。それまでの教会は旧約聖書のみを正典とし、キリスト教文書の整理の必要性を感じていなかったらしい。 マルキオンの考えは旧約聖書の神を不完全で偏狭な怒りの神と見做し、彼が心酔するパウロの説く神とは別物だとした。ユダヤの律法にもはや効力はなく、旧約聖書を排除しパウロ書簡と『ルカ』のみを正典としていた。『ルカ』はパウロの同行者ルカの名を冠しているようにパウロ寄りの福音書である。 マルキオン派 - Wikipedia ユダヤ教に対し破壊的だったパウロの主張はイエスを立てた原始教会(ユダヤ教ナザレ派)からは断固拒絶され、異邦人教会の中でもパウロ書簡は未だサブの扱いだったようだ。それはそうだろう。当時ありふれていた古い他の宗教に属する復活信仰のみで神に認められようとする浅薄な信仰が完全である筈がない! 言及するまでもなくこの旧約排除+パウロ崇拝という異端的な信仰が今日のキリスト教では正統・標準的な思想に取って代えられている。あくまでユダヤ教を導く改革者・一預言者として現れ、後にローマ帝国を束ねる神へと加工されたイエスから見た教団史への感想は、如何なるものなのだろうか。 |
キリスト教に見るその他の様々な異教的痕跡を挙げてみよう。 鍵となる性格、その基盤の多くをキリスト教はミトラス教や他宗教から継承している事が分かる。 12月25日の誕生、3月25日の復活、3日後の復活、12使徒 これらは全て天体運行を模型にした神話のため「主がイエス様の物語を古代人に見せて下さったのだ」というキリスト教脳的な思考は残念ながら通用しない。独特の何も持たないものが、“唯一の真実”を掲げながら異文化を駆逐して行ったやり切れない荒唐無稽の暗黒史に思いを馳せていただきたい。 その生まれから2000年前の1人のユダヤ人を盲目崇拝する集団ではなかったキリスト教の変節は、ローマ周辺の宗教に影響された側面が非常に大きい。キリストを神格化し異邦人へ売り出したパウロは原始教会にとって破門すべき異端でしかなかったが、誇張と競合の流れは次第に収拾が付けられない状態になって行った。その痕跡は神話で潤色された齟齬の多い福音書にも見られる。 異教的素材を吸収し肥大化した像が人類の歴史へと転換される頃には、キリスト教は無知なる大衆を欺く人間性への犯罪に変貌していた。今日までキリスト教と呼ばれてきた物は、紛れもなく西洋でこね回され・箱詰めされた製品なのである。 画像借用元 THE SUN in your horoscope |