スフィンクスは東側を向き何千年も昇る太陽を眺めている。古来最も太陽に畏敬の念を集め無数の太陽神を生み出したのは古代エジプト人だった。天文学と占星術から始まった膨大な伝承説話の一つで、後の時代に誤って一人の男の伝記へ転化されたと目される伝説について少し検証して行きたい。 http://freett.com/wolf_man/mcr/mokuji_eg.htm >キリスト教ではイエス キリスト教では聖母マリア キリスト教ではヨハネ キリスト教ではラザルス
イエスかキリストか この話は一体いつ紛れ込んだのか- 原始段階のイエスとは、ヘブライのメシアというよりはほぼモーセ同様の新しい神の言葉を預かった者=預言者―それは確実に人間―だった。 ユダヤ教におけるメシアとはもっと力強い、偉大な政治的指導者を指したので、大した運動も起こさずローマ帝国に虫けらの様に殺されたイエスは決してユダヤのメシアたり得なかっただろう。 キリスト教がメシア教(ヘブライ語)ではなくキリスト教(ギリシャ語:クリストス)として始まっている点は重要である。これこそ内部の亀裂から生じ、外部(ギリシャ語圏)に拠点を求めた人々がイエスに“救世主”の像と役割を与えながら、新宗教を広めて行った証跡ではないだろうか。パウロは“キリスト”の語句を書簡で200回以上用いながらも、生身の“人間イエス”に関しては全く知らなかったかのような口ぶりである。まるで霊的で精神的な、まだ名も実績もない救世主の像を語らっているかのようでもある。 “キリスト殺しのユダヤ人” 暴君ピラトが、あろう事か一部の宗派では列聖されている。福音書が書かれ始めた頃すでにキリスト教は帝国の統治を乱す異分子と見なされつつあり、イエスに対し恩赦的にローマの役人を描く必要性はあった(十字架刑は謀反人向けの刑罰でもあったので)。しかしそれ以上にこれは当時の対立状況を反映した描写だと言える。 ピラトでないなら何がイエスを処刑させたのか? ユダヤ人だ。1世紀末→2世紀前半…と福音書が新しくなるにつれピラトは善人になり、ユダヤ人は獰猛さを増していく。 『マルコ』に書き足した『マタイ』ではピラトの妻、『ルカ』ではヘロデを登場させ畏れ多い神の子殺しのユダヤ人を演出している。最も新しい『ヨハネ』ではピラトはイエスを赦そうと懸命の努力をする。 こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人達は激しく叫んで言った。(ヨハネ19:12) 「その人の血は、私達や子供達の上にかかってもいい。」(マタイ27:25) こうした不当な脚色は明らかな虚構だが、不幸にも中世以降のユダヤ人大迫害に根拠を与え続けた。農地も定職も持てないユダヤ人はキリスト教で禁止されていた金融業を選択する他はなく、財産没収を兼ねた国外追放・虐殺の横行に苦しめられた。ナチスの暴挙もカトリックの伝統的なユダヤ人嫌悪が結実したものだった。 1世紀に徹頭徹尾ユダヤ教的であった筈の宗教が、何故僅かな期間に激越な反ユダヤ主義へ変貌を遂げたのか? それはイエスを外へ持ち出したキリスト教の発明者達が、反ユダヤ的な力であった事の証左なのだ。彼らがキリストの像を作り、余計な脚色をしたのではなかったろうか。 欧米のサイトでは勿論この盗作説を拒絶するキリスト教徒も見られる。だが意外な事に、すぐに白旗を揚げ好意的に受け取る姿勢も目立っている。現代の欧米は聖書を高等批評にかけるなど妥協なき西洋人の真価をもって現実を捉えられているのは好ましい事だと思う。血が流れ過ぎた今、聖書を歴史として解釈する事には何の意義も見出せない。 画像出典:Ancient Egypt Online |
近年、ネット上で以下のような情報が出回り目にされた方もいると思う。イエス・キリストの物語は古代の救世主神話の複製だったという怪説である。
既にキリスト教が重要な元素の多くをミトラス教から盗み出している事は明らかなので、こんな話はなくて良い気もするがどうやら福音書の物語の「原作」ではないかと信徒の多い外国で盛んに議論されている。 太陽の力が最低になる冬至の3日間太陽は南十字星に重なり、太古から太陽を擬人化した神話に十字架上の死-再生が訳出されていたのだという。 歴史としての新約聖書の神殿を崩壊させるこの話を少し詳しく見て行きたいと思う。各登場人物で洗礼者(キリスト教ではヨハネ)の斬首、救世主と強盗2人の磔刑までが新約聖書と一致するという。ローマ法では強盗は十字架刑にならないのでこの話を宛がったと考えると話が自然になる部分はあるのだ。 処刑物語が創作だったとするとキリスト教にとって衝撃的ではあるだろう。しかし1~4世紀の教会において復活の扱いは必ずしもメインではなかった。2世紀の高名な複数の教父に「イエスは普通に死んだ」証言がある事自体、キリスト教が復活云々で全てを済ませる浅はかな宗教ではなかった証だろう。 2世紀の教会がマルキオン派を異端視したのも、それを認めてしまえばキリスト教が現行の如き空虚な迷妄集団になる事が見えていたからだった。前面に出すべきキリスト教の独自性・強みとはやはり旧約聖書(盗品だが)+イエスの教義; 明らかにローマの諸宗教を意識したヨタ話+パウロは控えでなければならなかったのである。 真に想起さるべきはキリスト教の尊大・暴虐の歴史を支えた舞台装置の裏がかようなハリボテであったと納得する事への虚脱感だ。それを受け入れなければならない準備に思いを至らせただけで私は頭を金槌で打たれた様になってしまったが貴方はどうだろうか。 勿論キリスト教程度の精神力で事実を受け止められると思ってもならない。"選民"の蜜で溶け切った左脳と大脳で捉えられるのはサル以下の理解でしかないからだ。真剣に信じ込んでいる人には申し訳ないという気持ちは筆者には少しも無いことを先に述べておきたい。 参考動画 画像出典: |
西暦はご存知の通りイエス・キリストの誕生年を紀元にしている。しかしキリストの生年は計算と微妙にずれておりBCかACかはっきりしない。生まれた年も月も分からない。その事自体が神話の世界の住人である事を象徴している。 近代に入りイエスの歴史性を確保しようとする運動が広まると、神学界はたちまち迷宮に入り込んでしまった。イエスの実在を示す史料が(新約以外に)見付からなかったのである。1世紀近辺の文献は豊富にありシリアの総督がBC9からサトゥリヌス、AC6から『ルカ』にも記載のあるキリニウスに替わった事は複数の史料から確認できる程なのに、イエスに関しては歴史的実像を映す瑣末な伝承さえ出て来なかった。 史的イエス - goo Wikipedia 飢えたる者数千人へ給食、死者の蘇生まで行い熱狂を集めた人物が? 民間伝承一つ残っていないとは如何なることか? しかしキリストの行った奇跡のうち先行する異教のミトスに記されていない物は無かったのである。イエスという名称自体、旧約のホセア書、ヨシュア記にも共通するありふれたヘブライ人の原型的英雄の名だった。 YHVShVa (主は救い:イェシュア=ヨシュア=ホセア) 僅かな史料 タキトゥス(55-?) 「それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストス信奉者」 と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストスなる者は、 ティベリウスの治世下に、元首属史ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。」 (『年代記(下)』 国原吉之助訳) ローマ初見の史料。又聞きの形で信頼性は薄い。先輩歴史家によるイエスの同時代史料は存在しない。 ヨセフス(37-100) 「彼は奇跡を行う者であり、… 多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。 彼こそはクリストスだったのである。 … すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者達は、これらのことや、 … それが実現したのである。」 (『ユダヤ古代誌六』 秦剛平訳) ヨセフスはユダヤ戦争にも参加したユダヤ教パリサイ派の歴史家。1世紀末に激しく対立していたキリスト教への好意的な文章を書くとは考えづらく、聖書の横領集団に「神の預言者」とお墨付きを与えている表現も不自然で当該部分は"後世キリスト教徒の改竄・加筆"が通説になっている。 処刑人ピラト ピラトに関する様々な伝承が伝えているのは、彼が福音書の姿とは異なる悪政を欲しいままにする冷酷な反ユダヤ主義者であったことだ。イエスの死後もピラトは暴れ続け殺人事件を契機にユダヤ人の直訴で解任されているが、彼が神の子の処刑について記憶していた節を示す物は何もない。 十字架刑 ローマ法に抵触していないイエスが最も残酷な十字架刑を課せられたのは少し不自然な感を抱かせる。十字架刑は通常数日間掛けて殺し死後4日程は見せしめにされる国事犯向けの刑だがイエスは数時間で死に磔台から降ろされている。 刑罰の一覧 - Wikipedia 原罪救済論 パウロの唱える"原罪"はユダヤ教の概念とは少し異なる。原罪とは人間の努力で動かせない性質の本質的規定でありそれで人間的向上を諦めろという話でもなければ、神が処方箋を充てて解決する問題でもない。事実イエスの血が流れてもキリスト教徒は考えられない腐敗・悪徳に浸かりながら今日まで生き延びて来た。イエスの死が人類史上役立った事など一度としてない。 捧げ物(生贄)だけで契約が完全になる論理も持たないユダヤ教では原罪に応じて救世主を派遣した神は聖書の神ではあり得ないとする(2体目の神)。ユダヤ教徒のイエスに問い合わせてもキリスト教神学は詭弁・意味不明の塊だろう。 ガリラヤの説教団 パレスチナ周辺を記録していた約40人の著述家は最低1年以上活動していた筈の13人の集団、その大評判のリーダーが無実の罪で処刑される一大イベントも全く記録していない。 12人を連れながらの奇跡・説教はミトラス神話との完全な相似があった。実はキリストの生誕時に贈与される東方の3賢者による黄金・乳香・没薬(『マタイ』のみの記述)。これらはミトラスの神話と完全に一致している。もし現在までキリスト教とミトラス教が共存していたら?酷い宗教性脳炎が世界を覆うこともなかっただろう。 死海文書 死海文書は戦後イスラエルで発見されたクムラン宗団の巻物群。この前1世紀頃の古文書から、新約聖書の教義、イエスの説教が発見された。エッセネ派との類似項が多いこのユダヤ人一宗団の文書はキリスト教の誕生に幻惑的な光を当てている。 死海文書 イエス自然死説 イエス自宅で死亡説は複数の証言がある。初期の教団にとってオマケでなければならなかった復活話(当時の教会はキリスト教と多神教との接点の多さを知っていた)は世界を霊・肉の二元に分け「霊の肉体からの解放」を喜ぶグノーシス派(異端)に好まれむしろ厄介な代物になっていた。異端問題に手を焼き『異端反駁』の著作がある2世紀の正統派教父エイレナイオスは遂に告白している。「イエスは自宅で老衰して死んだ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 全ての証拠を考慮すれば、現代に語られるイエス・キリストとみなしうる人物は歴史上一度たりとも存在し得なかった。十字架、埋葬、復活を始めとしたナザレのイエスを囲む歴史のイベントは過去に存在した神話達と何ら変わりない。 50年代のパウロ書簡に呼応するように帝国の大規模弾圧は現れ、以降の福音書・手紙は吹けば消えるキリスト教存亡の危機感を基に作成されている。宣教のキリストという生存に有利なイエスの形態も強めて行くべき背景はあった。 「人の子は三日の後に甦ります」(マルコ10:34)とあれば現実世界の正しいイエスの言行録ではなく神話とアニミズムを混合した小説(宣教用)として書かれている。イエスは死後ローマの神群入りを果たしたと考えれば、1世紀に誰一人イエスを知る者がいなかった事態はあまりに自然な状況なのである。 キリスト紀元後の世界 最初期において人間だったイエスの半神的側面は多くが後付けの虚構だろう。西暦30年代のユダヤ世界では「ユダヤ人殺しのピラト」は問題になっていたが 「神の子殺しのユダヤ人」騒動が起きていた気配はない。 ユダヤ人はキリストを虐めて殺していない可能性があるのだ。欧州で幾たびのホロコーストの片棒を担ぎ続けた処刑物語が「実はウソでした」などと、今更誰がどの面下げて言えるのだろう? 無制限の肉身の快楽(物質欲、食欲)、無制限大量殺戮、無期限の搾取と飢餓 キリスト教徒半狂乱の歴史は人間の責任を減少させ差別心を育む新薬聖書というドラッグ+人間性を壊す肉食の所産だというのは個人的な信念である。 霊・天使・奇跡とまるで精神分裂病の世界を鵜呑みにする事が、一つの宗教に肩入れした神という危険な幻覚を起こし世界は排他的に集束された僅か一本の真理の道を握る選民達のやりたい放題の地上地獄に陥れられた。 人類が救いどころか余計に苦しんだ現実は救い主がでっち上げだった事実を証明する。今イエスから歴史の鎧を外してやることが大切だ。それは絶えざる紛争の種、地球上の誰も見ていない一地点で何のニュースにもなっていない一人の男の処刑を“神の愛”などと言い張る奇態な苦行から人類を解放するだろう。
画像出典:Church of the Flying Spaghetti Monster |
感染症情報センターに掲載されている幾つかの疾患で、今年の5~6月以降大幅な患者数増加(例年比)を示す感染症が目立っている。 http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/
ウイルス性疾患が増えた理由は放射能によるウイルス、バクテリアの生態系が破壊されたこと(加えて免疫異常)と考えられチェルノブイリより早い異変の進展が起きているという。 放射能で微生物生態系が「沸騰」し、B・C型肝炎も劇症化へ - 阿修羅 放射能が降り注ぐことで微生物が住む土壌生態系が沸騰・活性化し、凶悪なウイルス次々と生まれる一方で良性のバクテリアが死滅することが分かる-福島を中心として放射能土壌生態系(=腐海)が出現した。 セシウムは筋肉部に入り込むとの事で今後日本人の心臓、胃、腸、眼、肝臓、腎臓への被害はじわりと顕在化して来るのかもしれない。全身を放射能の格好の標的にしないために、この機にさっぱりと臓器を傷害する西洋的食習慣と縁を切ってみては如何だろうか。 (以下青字は下記サイトからの転載) チェルノブイリ事故発生から25年間の健康被害まとめ ●2000年(14年後) ・ベラルーシでは1990-2000年の癌患率が40%増加した。最も汚染の強かったゴメリ州で52%と最も高かく、汚染の少なかったブレストとモギリョフ州で33.32%の増加だった。 肉類 腐るの字は"臓腑に肉"の意から取られたという。腐敗細菌と毒素で体を満たす内部被曝も同然の行為が肉食である。英国の調査(⇒)では菜食で胃、腸、肺、膀胱、リンパの癌までリスクが大きく低減する可能性が示唆されている。 ●1995年(9年後) ・1976年と1995年のベラルーシの比較。悪性の腎臓腫瘍 男4倍以上、女2.8倍以上。悪性膀胱腫瘍 男2倍以上、女1.9倍以上。悪性甲状線腫瘍 男3.4倍以上 女5.6倍以上。悪性結腸腫瘍 男女とも2.1倍以上。放射線管理区域のゴメリ州では、腎臓ガン 男5倍、女3.76倍。甲状線ガン 男5倍、女10倍。(ゴメリ医大、バンダジェフスキー博士) 乳製品・動物性脂肪 疫学的に乳製品摂取が心臓疾患と相関することは有名だが白内障、前立腺ガン、骨粗鬆症のリスクも報告されている。ヨーグルト習慣で動物性乳酸菌の摂取が増えても胃腸病、大腸ガンはむしろ増加を続けている。ヨーグルトは本当に健康に役立つのだろうか?・・・ ヨーグルトとチーズを摂ると白内障になる・・『最新医学大事典』/前立腺ガンリスク高める ●1996年(10年後) ・ベラルーシの事故現場から200キロ以上離れた村で、子供達の23%が白内障にかかったり、失明したりしている。その村では84%以上の子どもたちに不整脈。多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況。80%の子どもが、胃炎や潰瘍を患っている。特にひどいのは12歳から15歳の子供達。胃の粘膜が萎縮し、70過ぎの老人のよう。(原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ) パン・砂糖 図=食育大辞典より パンは吸収が早く強い血糖抑制反応(インスリン分泌)が糖尿病・膵炎・肥満を誘発する擁護できない諸悪の根源である。主食にはより硬い物が勧められる(米、パスタ、そば…)。砂糖は免疫力にも影響するのでブドウ糖や麦芽糖(甘酒、みりん、水飴)、又は人工甘味料で代用すると良い。 ●2000年(14年後) ・2000年までにロシアでは270万人が事故の影響を受け、カルーガで行われた検診では癌の症例が著しく増加していた。乳癌が121%、肺癌が58%、食道癌が112%、子宮癌が88%、リンパ腺と造血組織で59%の増加。(Wikipedia) 児童相談所における虐待相談の処理件数(全国) '91 1171件 '01 23274件 '95 4102件 '05 34472件 '99 11631件 '09 44210件 '10 55152件 米国の児童虐待通報件数はこれだけ増えた日本のなお50倍以上もある。食事を自由にできない最大の理由は健康以前に大脳の機能が壊されるからである。 「右のほほを打たれたら相手が死ぬまで殴り続ける」キリスト教国の伝統的な愛の無さは中心的な掟が食事に関してであるユダヤ教から離れ過ぎた事と無縁ではない。 何故キリスト教=肉食か キリスト教の肉食主義は“イエス=律法からの解放者”とする誤ったパウロの定義が原拠なのだろうが、これも1世紀当時から支持された考え方ではなかった。 福音書のイエスと弟子達が新しい宗教を創っている意識のないユダヤ教徒として描き出されている通り、初期キリスト教も旧約聖書を崇めるユダヤ教そっくりの集団であらねばならなかった。イエスも当然食物禁忌に従うユダヤ教徒である。 「牛や豚は人間様に食べられるため神様がお創り賜うたものだから」というキリスト教の常識は新しい約束の提唱者であるパウロ(或いはローマ皇帝)から発せられたもので、明らかに後世キリスト教の世俗主義の産物なのだ。そもそもあまりに広大なローマ帝国全土で割礼、食物禁忌が施行できるはずもなく、帝国の国教に採用された時点でキリスト教は単純化された俗悪な宗教へ変容せざるを得なかった。 神ではないものを「神」、「主」と呼びながら神の名で血生臭い行為を正当化する飯事が続く限り、キリストと接点のない“新厄時代”が終わる事はない。 関連記事: 放射線対策 2 スパゲティモンスター養生法 画像出典:Technical Translation Services |
キリスト教の歴史はほぼ5世紀を境に旧約時代/新約時代に大別することができる。 「神との古い約束(旧約)は無効になりイエスを信じるのみで良くなった」とする現在の一般認識は正確にはローマ帝国が行った線引きであり4世紀以前の教会にとっての聖典は間違いなく旧約聖書だった。「聖書は全て神の霊感で書かれており…」とあればほぼ旧約聖書のことである。そして"契約"と"神"を作り変えた張本人であるパウロが初めから現在の名声を得ていたと考えるのは、現実からかけ離れている。 「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」 「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」 (コロンブス) コロンブスが上陸した時に約800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかった。 日本は略奪国家アメリカを棄てよ コロンブスに見る「悪魔の精神」 - 株式日記 キリスト教は何故史上最多の人間を殺しイエスに反する暴虐行為を繰り返したのか。 ―パウロ教だから 何故キリスト教徒は黒人奴隷をコーヒー農園・製糖工場で使役し優雅にコーヒータイムに浸っていたのか。 ―マルキオン教だから キリスト教は良くパウロ教だと揶揄される。イエスと面識がなくかつてそれのみでは異端視された男の書簡への聖書の比重の重さからそれは納得できるだろう。 パウロとは何だったのか 考察価値もないパウロ書簡の概要はイエスの言動に一切触れないまま、著述家パウロも承知していたローマ周辺世界では珍しくなかった復活神話を何やら迫真の演技で語っている。その救済論がユダヤ人相手に通用しない内容である点、煩雑なユダヤの規則を一掃して入信のハードルを下げている点、以上から無知 な異邦人を対象とした宣教文書である事が推察できる。
当時のローマ帝国は多神教で、ローマ・ギリシャ・エジプト・オリエントの神々が縁日の屋台のごとく出店していた。その中で改宗者を得ようと思えば、強引に神を独占する一神教的教義、力作を捻り出して行かねばならなかった状況も想像できる。 キリスト教がご都合主義の解釈しかできず矢鱈と“唯一の真実”を他へ投げつけたがるのも“神の独り子”という神の愛を限定する排他思想に傾倒するゆえなのだろうが、これはまるでローマの多神教に向けたアンチテーゼのような発想なのである。(ユダヤ教の許諾も得ず聖書を使い回している不正集団が「唯一の正統な子」を主張するとは何とも笑止な話だが) 興味深い事にパウロの真正書簡を時系列で並べると初めの2つ(『テサロニケ人への手紙一』『ガラテヤ人への手紙』)にはあのくどい原罪思想(イエスを信じない者は地獄へ落ちる)が全く登場しない。この例からも“キリスト教理”は原始教会の了承を得ないまま、ギリシャ語を母語とする者達の無用な対外宣教の過程で膨張した可能性が高い(当時の帝国は西側がラテン語圏、東側がギリシャ語圏だった)。 元々のイエスとはユダヤ教の一派(エッセネ派の特徴が見られた)に対する限定的救世主に過ぎず救済範囲を取り替えながら布教されるべき対象ではなかったのだ。そして1世紀の大地に人類の救世主が来現した形跡は全くない。 キリスト教の歴史 - Wikipedia アンティオキア教会の後援で宣教活動をしたパウロは、異邦人改宗者に対して割礼、食物禁忌、律法遵守を免除したため、エルサレム教会から猛反発を受け、各地のキリスト教共同体で論争や分裂が起きた。 世界の言語地図にはかつて吹き荒れた問答無用の異教文化破壊の傷跡がくっきりと映し出されている。 布教を伴う異教徒殺戮で数千万人という世界大戦級の死者が出ていようとも、「結果的にキリスト教の大地になったのだから良かったではないか」と擁護するキリスト教徒も実は少なくない。このアルコール以上に善心と人間性を麻痺させ容易に犯罪者の壁を乗り越えさせる独善キリスト教の麻薬的一面は、いくら強調してもし過ぎることはない。キリスト教の形をしたパウロ教団の特徴の最たる物は、イエスと何の関連性も持っていない点である。 「ユダヤ教はなぜ真の救世主を受け入れないのか」 キリストの正統性を否定するユダヤ教の姿勢が理解できなかった中世以降のキリスト教徒は、事あるごとにユダヤ教徒も迫害・虐殺した。しかし中立の立場からつぶさに事を検証すれば、実際はユダヤ教に分があったと考えざるを得ない。 キリスト教がイスラエルを崇め、聖書に触りたいのであれば、先ずユダヤ教の了承を取り付ける必要があるだろう。彼らは2千年間神の流用者、旧約聖書泥棒を追う原告だ。新約聖書の方も異教の神々の為の著作権である可能性がある。 以上の問題を解消できないのであれば、キリスト教は長年のペテン、裸の王様、違法かつ空虚な伝道の非の謗りを免れまい。 画像出典:Technical Translation Services |