2000年代の人間 > 1990年代の人間 > 1980年代の人間 もう日本の大人には凄まじく脳の汚れた人間しかいないのかもしれません。 「私は成功者だ」 「日本は本当に酷くなった」 「今の若者は駄目だ」 このような事を言っている大人達に言いたい。 人の事は言えんぞと… 地球の明日、日本の明日を考えて来なかった結果生じた未来に文句をつけて貰っても困ります。何があれば満足なの日本人これを今全員で考える必要があるのだろう。 613 :優しい名無しさん :2006/07/31(月) 23:19:19 感情も辛い以外何も感じなくなってくるんだよね。。。 ご飯食べるにしても、おいしいって思うことは最近ほとんど無い。 614 :優しい名無しさん :2006/07/31(月) 23:37:05 なんかもう疲れた。自分自身に疲れた 全てのことにおいて偽り、もう本当の自分を見失った。 今では偽っている自分が今の本当の自分と思ってしまう 615 :優しい名無しさん :2006/07/31(月) 23:55:40 もう、地球ごと、爆発して、無くなっちゃえば、いいのに。 617 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 00:19:10 もうだめかも なにやってもだめだ 自分なんか消えてしまえばいい もう疲れた 悲しい しんどい 629 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 06:59:14 仕事明けです。 疲れた… 最近、以前に増して疲れやすい。 仕事始まって30分もすると、もうすでに疲れてしまっている。 これから先もこんなに辛い思いで働かなくてはならないなら、一層死んでしまいたい。 もう働くのも、悩むのも、不安になるのも…嫌だ。 このまま時が止まればいい。 明日なんかいらない。 630 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 07:08:22 死にたい もうみんな死んでほしい 632 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 07:32:38 死にたい 635 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 09:41:14 私も死にたい。もう疲れた。 636 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 09:43:02 死にたい死にたい死にたい 637 :優しい名無しさん :2006/08/01(火) 10:16:44 本当にしんどいな。人が信じられない。昔ならもっとうまくやれたのに…。
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妙な話ですがこれらはまず血液の状態を変え 次第に脳を酸化させていきます。 気付けば親への感謝、食への感謝がなかったり、精神病人・自殺志願者だったりします。 日本での暮らしが嫌ならアジアや欧州でのんびりと暮らせば?と思うのだが既に世界への視野が閉ざされていてそんな事は考える事もできません。 貧困の国にはある感謝の心が何故我々には無いのだろう 答えは脳を病んでいるからという事になります。 美食で自分を喜ばせるほど、感謝できない、誰をも愛せない人間に変わって行く 日本は本当の貧困の国になりつつある。 この苦笑するしかない、人間の設計の見事さ 例えば砂糖が30gも入っていようかという美味しいケーキを毎日食べられるようになり日本人が幸福になったかどうかというと、只の盲目で、視野は偏狭で、金しか愛せず、哀れな存在になっていただけだったという事実。食べている時は幸福そのものでも… 冷蔵庫って凄い 電子レンジって凄い 物に囲まれて幸せだ この至宝とも言える精神を所有していた子供の頃へ戻るため、 私は脳の酸化を解く為の断食を推奨します。 但し体の汚れ具合は 2000年代の人間 > 1990年代の人間 > 1980年代の人間 病気の多さや社会の荒廃度からこう判断できてしまうので、長い断食が必要になるかもしれません。しかし日本人は今食べるよりワクワクする事を持たなければ非常に危いのではないでしょうか。 |
脳の状態と言っても理解され難いのが残念ですが…。 ♪1年生になったら 友達100人できるかな 100人で笑いたい 世界中を震わせて 子供の頃は誰もが世界を視野に入れたビッグスケール。両国の子供達に然したる差はありません。しかし日本人は成長するにつれ環境問題や世界平和への関心、肉親を敬う心を失い、高校での成績を巡って親子が殺し合うという異常な事件が社会に頻発しています。 いったい何時、高尚な精神能力を失ったのか 明日にワクワクする子供心を 環境資源を大切にする心を 親を敬う心を失ったのか ここで脳の状態が問題となります。 現代人は猛スピードで脳を汚染しているのです。新しい教科書の匂いにドキドキしていた小学校入学時~卒業~その10年後、20代という人生が最も楽しいかも知れない時期に既に人生に疲れ切っており、急増している30代の自殺に繋がって行きます。 フィリピンの人々には考えられない事です。この差は何処で生じたのか? 子供の頃は体が汚れていなかった ここに注目して考えてみましょう。 (続く) |
贅沢三昧 は人間の生きる道ではなかった
外道や不法の続出…
今後世界的に霊の荒廃は拡大し
人類は道を見失い金と食欲に完敗する
この破滅を抑え込む3つの方法
温暖化防止、人道支援などをきちんと行う。あなたがエイズ撲滅の募金に協力したなら
それは世界平和に貢献した事になります。世界一連帯感の薄い日本人にはここが
理解し難いようだが同時多発テロ後アメリカも貧困撲滅へ熱心に取り組んでいる。
肥満や犯罪が増加しているタイの現状を見ても行き過ぎた支援は無用なのです。しかし
命を命と思わず、弱い者虐めを続ける人類は悲惨な報いを受け取ると思います。
・宗教による統制
神を失った人類がどれだけ不遜で粗暴になるか 既に日本人が思い知った通りです。
サッカーのW杯を見ていても神に祈らないのは日本の選手、日本のサポーターだけ.....
・飽食、環境破壊をやめる
今やリサイクルする毎に地球に負荷を掛けているという状況です。今人類に路線変更が
求められてはいるが、この国では人類の未来を慮るより環境を壊してお金を稼ぐ事の方
が重要らしいのでもう何も言えない。
これらの実現に関し何故だかこの日本に桁外れの力が眠っているが
人々が気付けるのかどうか微妙な所だ。
今人類(こと日本人)へ突き付けられている質問
お金の為?
食べる為?
愛情の為?
もう避けては通れぬ疑問であると思います。
この30年で日本人の暮らしは見違えるほど優雅で快適になった。
しかしそれに反比例する様に 我々は幸福を感じる能力を失ったように思う。
綺麗なパソコンがあって
インターネットができて
接続速度も速くなった
毎日美味しい物が食べられて
高いCG技術を駆使した映画やゲームが楽しめる
然るに何事だろうこの死にたがりの多さは
今の殺伐とした社会を30年前に予測し得た日本人がいただろうか。
何が人間を変えたのか。やはり
贅沢は人間にとって何か大事な能力をむしり取ってしまうのではないのか。
今ここを考えない限り、先へは進めないのだと思います。
人間は快適に囲まれるほど
ゲームは1日○時間まで
砂糖は1日○gまで
タバコは1日○本まで
何事も摂生する
このような制限が重要になると考えられるがいったい誰が戒律を作ってくれるのか?"無制限"の現状まさに収拾つかずです。
行き過ぎた自由は必ず他の自由を奪うだろう。 既に「騙してでも、欺いてでも金を稼ぐ」、「人権無視の猥褻行為」、馬鹿な大人が目立ち始めています。今の日本を見るに
今後カネの魔力は一層世界を覆い、人間の命に価値はなくなる。例えば生産性重視から食物の農薬汚染が進む。高いコストを払ってでも良質の食材をという良心的な業者や食料品店も減り、我々は良心の死・霊の敗北の時代を生きる事になります。
傍若無人が世間に通用しないように、大事な物を失った先進国もいずれ行き場を失う。核の時計もそれ程狂ってはいない、向こう20年で人類が大戦争をする可能性は相当な高確率と言わざるを得ない状態です。
「困った人を放っておけない」
「生き物を殺したくない」
この精神を失った時人類は滅亡するようにできていたという事なのか?
破滅を食い止めるものは良心の復活以外にないと考えますが止めなければならないのはテロリストの方ではなく、文明国の人間(我々)です。
今後文明国の人間は零落れ国家間の敵対は勢いを増す。自己中心でガの強いワガママ連中が献身的で自爆攻撃もできる無ガの人々を武力で蹂躙する。義憤に満ちたテロ集団が導火線に火を付ける。自動的に世界は破滅を迎える。
結局、「
環境を壊し、飽食している者が「破滅がヤダ」などとは、全く筋の通らぬ言い草です。
ジャワ島の被災者救援金に100円すら出す事のできない日本人が多い。「困った時はお互い様」 こう考える事もできない自己中心者は世界と共生できない仕組みになっています。
今我々が“人道”を考え直すなら、破滅は回避できそうだ。
しかし救いのある日本人は少ない。
「病気になろうと」「戦争になろうと」、美味しい思いをしていたいと願う人が少なくありません。
道は、自分で選んで下さい。
お金があれば好きな物を好きなだけ食べていい
タバコも好きなだけ吸っていい、個人の勝手だ
これは違う気がします。
我々は人と人の間で生きてこそ人間です。肥満の宗教者が多いのは何故でしょう。
電車内での飲食 バス内での飲食 歩行喫煙 …
我が身の快楽の為に、他人の迷惑も省みない見境の付かない人々が増えています。
こうして、先進国の人間はサルのようになって行く訳ですが、我々のような環境保護も考えない傲慢な小人が、感謝の心を持つ後進国の偉人達を権力や軍事力で足蹴にしていればどうなるのか。
そんな事は神の許す事ではないのでいまに「神(アラー)は偉大なり」と恐ろしいテロが起きてしまいます。神はむしろあちらの味方のようです。分かりにくいとは思いますが、我々が他の迷惑(地球温暖化等)を考える事なくゴミも分別せず、飽食するたび、戦争が近付いているという事なのです。
自己中心の人間が社会から居場所を失うように
奢れる先進国の文明も永くは続かない
結局、人類は食欲ごときに倒されて終わるのでしょうか。
もう生き方を改めねばならない時期に来ています。
この先美食家は、テロリストと同じ扱いです。
新聞上で日々目立つ 横領、詐欺、不正、家庭内殺人
日本人は金や目新しい物質を追い求める余り、「人間」を考えて来なかったように思われますがこれが人間という生き物です。
贅沢と快適に入り浸れば必ずこうなるものです。
苦痛を伴う進言には うざい だるい きもい
目の前が破滅? そんなのヤダ
砂糖が有害? そんなのヤダ
この機知も英知も無い子供のような思考が先進国の人間の物の考え方です。
この意味ではロシアはともかくアメリカに霊的復興を起こす事は至難と言えるのだろう。
奢りの精神の上に崇高な人類文明も精神文化も永続しません。しかし逆を言えば日本は荒れるべくして荒れている訳であり、原因を少し捻れば結果が変わるでしょう。
途上国支援とは途上国にコンビニエンスストアを建てる事ではないという事がお分かり頂けるだろうか。贅沢の怖さを知らない宗教が述べ伝えられる事は防ぐ必要があると思います。
日本人のワガママぶりはどこかしら「自分さえ良ければ…」と考えている
「あなたの目の前が崖だ」
こう教えても見て見ぬフリをするのです。そして転落して死ぬ事になる。
我ママ=自己否定には耐えかねるという事です。
日本に真人間がいるとしたら高齢者か子供くらいのものだろう。
この点を踏まえても断食は“人類最後の希望”。堕ちた先進国に真人間を生み出すには断食か、戦争以外に方法が無いと考えられるからです。
食べられないから食物に感謝するようになるというのとは少し違い
人類へ最も偉大な能力を返す力があります。
精神の健全な人間の祈りは強く 堕落した人間の祈りは弱い
・うつで休職
・うつで不登校
これらは途上国の人間には中々考えられない事です。
「学業に就けるだけで有り難い」
「両親に恩返しできるまで働く」
万物に感謝し殊勝な彼らこそ強者であり 衣食に飽き足らず不登校やニートになる日本人は弱い
日本人は今後弱くなる一方でしょう。便利・美食・酒・タバコ …贅沢に浸れば必然的にそうなるのです。
そして諫言を聞かなくなる。
教会が砂糖食べたさに砂糖の弊害から目を逸らすのは論外の沙汰だが、これは苦い野菜を食べさせようとする親に「うざい」「しね」などと拒絶する子供と同じで、父である神の教育を受ける気がないという事です。
要するに
「主よ、癒して下さい」 など願っても聞かれる事は稀だろう。
自分がどれだけ堕落しているかが分からないのです。
神はへりくだっている人間は好むが、百獣の王にでもなったつもりでを繰り返し食べ残しをする傲慢な者は恐らく歓迎されない。先進国の人間が祈りの力を欲するならば、まず贅沢をやめ衣食住への感謝を取り戻す=初心へ帰る必要があるでしょう。
「もうチョコレートもシュークリームも食べられないの?そんな宗教辞める!」
これだけでカルトだと判ってしまいますね。
身を律する気のない者が宗教者を名乗るとはおかしい気がします。
「リバイバル祈祷会」など何がしたいのだろう?
あなたが断食をしない限り一切は始まらないのです。
叩かずに開く扉がないように 行動せず実現する理想もない。何時まで人任せなのか?
2026年の日本では間違いなく女子供老人が酷い目に遭っている。
それは2020年から対策を講じても手遅れです。
2010年からでも遅い。
夏は断食に最適の季節。
しかし国民が大量に砂糖の類を摂取する季節でもある。
2006年の夏も逃してしまい、また手遅れが加速するわけです。
害のない便利も、益のない不便もない
ここまで話せば分かると思いますが、先進諸国では神の臨在が薄いという事が言えます。贅沢三昧に過ごし不平の多い人間の祈りより、清貧にある途上国の真人間の祈りの方が神に聞かれているのではないでしょうか。
美食ばかりしない タバコは吸わない 髪は染めない
このように生活するほど神の是認を受ける事ができます。洗濯を手動で行えば忍耐力、感謝の力、労働力が身に付き上下水道と電気を節約する事にもなります。問題はそれをするしないではなく、やろうと考えもしない事だと思います。食べ物は残し便利にかまけ感謝が無い 神への激しい欲求が宗教者にすら微塵もないのです。
神はあなたが天国行きになるか地獄行きになるかなど知った事ではないというスタンスでいます。人間が聞く耳を持ち自分の足で歩き行動しない限り福音の到来などあり得ないでしょう。
祈っていても一方的に平和と治安が失われて行くのは何故でしょうか。
“高級車を所有し豪邸に住む”生活には確然たる負の影響力があるという事です。
主として人間から忍耐や感謝の力が剥ぎ取られます。
江戸時代は偉人の宝庫ではなかったかと思うのですが、彼らは快適や快楽を嫌っていたので食物、水、物資、平和への感謝がある真人間の集まりと言えたのです。逆にその快適・快楽に溺れた現代の日本人は感謝を忘れ堕落してしまいました。これ以上の便利は人類にとって有害、不要です。人類は今最後の岐路に立たされている事を知らねばなりません。
あらゆる便利には害があり、逆に極貧は人間を強くします。
清貧に身を置くほど、感謝の力が身に付き、神に愛されます。
飽食者・美食家は神に見離され、粗食の人間は愛されます。
熱心に神を求めるのなら信仰者は貧に居て安んずる生活をすべきです。
日本のキリスト教などはまず山上の垂訓から理解できていません。
心の清い者は幸いです。その者は神を見るからです。
洋菓子などの快楽で体内と心を汚染している者は悪魔を見る事はあっても神を見る事はないでしょう。
現代人は贅沢の影響などナイナイと言う割に、では何故
現状に不満が多いのかという矛盾を解決できない恐るべき盲目です。
贅沢のできなかった江戸時代の人々が不幸だったかというと、そんな事はない、むしろ
人情・愛情という人間の最も高尚な精神的能力を失わせるものは贅沢や快楽なのです。
贅沢が呼ぶワガママとは愛情の対極にある自己中心の事です。
人間が機械と向き合うようになりコミュニケーション能力を失い、美食でしか心の空白を埋められないようになれば、必然的にかなりの速度で自己中心が勢いを増してきます。
1986年
子供達がファミコンに興じていた頃社会はまだ健全だった。
僅か20年で人間がここまで堕落した事は人類史上ないだろう。
加速する人心の荒廃 2026年の日本は恐らく生きる価値もない。
今の内に死んで行く若者は賢いのかもしれない。
いま聡明な目を以って事物に対処すべきです。
日本人が「快楽の影響を知らなかった」など非常にらしくない敗因ですから。
開発途上国に先進国並みの文明が揃えばそこでも病的犯罪が生じる事は自明です。
本来宗教が人間を縛らねばならないが、宗教が砂糖や美食など贅沢にふけっていたり、既に便利の拡大が制御不能の域に達している感もあって、ここで一つ言い切れる事は、人類の歴史はこの先永く続く事はないだろうという事です。