「嘘八百」
|
もう少し詳細にお答えします。 Q.キリスト教会の物分かりが悪くて困っています |
ここで読者の方からの質問にお答えします。 Q.キリスト教会の物分かりが悪くて困っています |
キリスト教とはイエス・キリストに放置される可哀想な宗教である事が明らかになって来ました。 「 私の名を呼んだ者ではなく 父なる神のみこころを行う者が天の御国へ入る 」 キリストのこの言葉と性格を知っていれば 「神と心が通じ合わない」現状にやばい!と電撃的に反応する筈なのですが、精神的に弱い者は現実を直視できず漫然と構え自滅してしまいます。 敵を赦す やり返さない 誤りを認める キリストの愛・平和・非暴力は思考を忘れリッチな生活に入り浸った精神的弱者には到底遂行は不可能なのでしょう。以下はガンジーの言葉です。 「それ(暴力)は、一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。けれども私は、非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。」 「非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです。」 「インドが本物の自由を手に入れるつもりであり、インドを通して世界も自由になってもらいたいのであれば、人々は都市ではなく村に、大邸宅ではなく小さな家に住まねばならないという事実に早晩気づく必要があります。都市や大邸宅で何億もの人々が平和に暮らせるはずがありません。暴力と不正義をはびこらせる以外にしようがありません。」 |
しかしこのような悪への厳しさなくして平和は守られないのだろう。 この国には怒りが足りていないのではないか? 不二家の一件を見ても今や日本人の正義は人命よりお金、有益な怒りを社会へぶつけて行かない限り食の安全、学校の安全、子供の安全、交通の安全は何一つ守られないように思います。 キリストの愛は悪を厳しく矯正していく事 堕落した信仰者に「戦争はだめだ」と国家を矯正する事が果たしてできるだろうか。 |
イエス・キリストは優しい人というセンは怪しくなって参りました。 「私を平和の人だと思うな。神とキリストを切に求めていかなければ剣がもたらされるから心せよ」 このように信徒達へ厳しい求道と自助努力を要求 思考の怠惰から戦争を安易に起こせばまんまとキリストの罠にかかる事になるかもしれません。 要するに考えていない人間が大嫌いという事なのか、自分にすがって来る者にすらこういう物言いをしています。 「わたしはあなた方を全然知らない」 「キリストもどきが大勢現れよう」 信仰者でも実体が伴わないなら悪党扱い。 優しいというより非情の人ではないでしょうか…? |
善心が強い=神の怒りを生じやすい これは神・キリスト・人間に共通する性格のようです。 仮にキリストが現在の下界を一望したなら、悪霊と悲劇の蔓延にうんざりするのかもしれません。 「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか」(マタイ17章)」 我慢ならぬ耐え難い時代― 「イエス・キリストは優しい人」という認識は正確ではないようです。 優しい 厳しい 悪には辛辣 現代は憤りの絶えない憎らしい時代という事になるのでしょう。 イエス・キリストは「救世主」を自認していながらどこかやる事がいい加減だった。本当に世の中から悪事や紛争を排除しようと考えるなら具体的な教条を信徒へ言い付けるべきだったと思います。しかし残したのは抽象的な例え話でした。 これでは例え話の意味が分からない後世の人間が過ちを山ほど犯す事になりますが、それでもいいと考えていたという事なのです。 紛争や悲劇が起きても仕方ない これは一体何故なのか………ここに「私は剣をもらたす為に来た」というキリストの怖い側面を見る事になります。 |
「イエス・キリストは何故世界中で慕われているの?」 紳士だからではないでしょうか。 「平和を乱す悪党は殺ってしまえ」 旧約の神のこの悪魔の様な性格が過去幾多の戦争を引き起こしてきた事は疑いありません。 しかしキリストは「悪党・極悪人をも許せ」と言っています。 ある意味神をも超越する愛と言えるかもしれません。 慕われるのも無理はないのでしょう。 しかし、善心が強い=怒り易いという点は見過ごされがち。 イエス・キリストは憤り易い人です。 その点がイジメ・虐待死を見て「フーン」で済ませるにせキリストとの決定的な違いではないかと思います。 |
悪魔の怒りが幼児を虐待せんとする恥ずかしい怒りなら 神の怒りは弱い者虐めに憤る正義心による怒り 正義心の無い者が神の怒りを感じる事がないのは当然であろう。 昨年一年 ホームレス・女・幼児は蹴られていた 悪魔の狙う先は女子供老人。この吐き気を生じる邪悪に憤りを覚える事が無いならその宗教はもう霊的には潰されていよう。 日本のキリスト教は既に神と心が通じ合わない危機的状況 それは神の子としての属性を既に保っていない事を示し、悪魔の子に育たない為の手段を放棄したために。 彼らは祈って神の弱い加護を受け取るが、その先は分からない… |