原始教会ないしエビオン派のパウロへの反発は"「復活」がイエス信仰の発端ではない"事実を逆説的に浮かび上がらせている。「神の子」としても「メシア(ユダヤの王)」としても発生したとは思えないイエスへの信仰は、何故ユダヤの地で発祥していたのだろうか。その原初の姿を追ってみたい。 紀元後1世紀、パレスチナの村落共同体は、新たな支配者のローマ帝国に組み込まれ、政治、経済、宗教、文化のグローバリズムに晒されて困窮化の一途を辿った。重税で借金漬けになった農民は土地を取り上げられ、家族も解体して流浪化し、「ローマの平和」は実に過酷で、… http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/7330/1/20110428-4-5.pdf 2千年前のユダヤ世界では新たに流入したローマの支配体制の下で貧困と律法(宗教的戒律)によって苦しむ人々が増え続けていた。 野蛮なローマ帝国(共和国)は植民地に飢えており、巨大な軍事・官僚機構を抱え重税が基本。その重圧が上流階級(サドカイ派)でも中流階級(パリサイ派)でもないユダヤ教徒貧民層に時代の要請に応じた救世主(み言葉)への需要の手を呼び起こしていたのではないか― イエスの実像をある程度そこに洞察することができると思う。 世界史講義録 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-18.html 極端に言えば救われるのは金で戒律を守ることのできる人だけになる。そして、ローマの支配下で重税をかけられて、貧しい人々がどんどん増えていたのが当時のパレスチナ地方です。 こういう状況の中で、イエスが登場して民衆の支持を得る。イエスが何を言ったか、もう想像つくでしょ。かれは、最も貧しい人々、戒律を破らなければ生きていけない人々、その為に差別され虐げられた人々の立場に立って説教をするんですね。戒律なんて気にしなくてよい。あなた方は救われる、と言い続ける、それがイエスです。 パレスチナの混乱
1世紀には熱狂的なユダヤ原理主義(ユダヤ・ナショナリズム)が吹き荒れていた。伝統的戒律を乱す異端的集団への厳しい追及が必然的に起こり、迫害はやがてユダヤ教とキリスト教の分離を決定的にするのだった。 その過程の中ですべてが既存の異教神話が混入したと私は推定している。エジプトの有名な神を拾い上げている点でも(母イシスは2世紀以降ローマ全土で信仰された)初めから実在した神話としての実現は想定しておらず、それよりは早くユダヤ教の亜種を始めたい人々がいた事情を窺わせる。 イエス派ユダヤ教がローマ帝国内で睨まれるキリスト教運動の段階に引き上げられた頃には、宣教者達は原始福音に背を向けていたのだ。 http://www31.ocn.ne.jp/~fellowship/act_08.htm ステパノの殉教から始まった教会への迫害は、宣教を拡大させるものとなった。… 宣教の舞台はエルサレムとユダヤを離れて、異邦人世界へと大きく展開していく。 ・膨大になった律法と教条主義の行き詰まり ・憐れみ・善意を疎かにした宗教エリートによる「差別」 ・ヤハウェ=家父長的な原理への追従の限界 イエスの説教から幾つかの方向性を導き出せば、2千年前のユダヤ世界の諸問題に対応している事が分かる。イエスは或いは厳罰で共同体を支配する父性の神に抱き合わされた花嫁的存在でもあったのではないだろうか。 現在のキリスト教はパウロによる所が大きいが、初めの数百年間、救いの為にはユダヤ教徒でいる事を求めた"ユダヤ教内イエス信仰"がなお存続し、原初の光を放ちながら歴史の表舞台から姿を消して行った事は注目に値する。「イエスが架空の存在であれそんな事では揺るぎもしない」 それが最古のキリスト信仰であったろう。 画像借用元: The Roman Empire The World's Best Photos 関連記事: 誰がキリスト教を始めたのか |
数多の偽書を生んだキリスト教の初期にはより多くのキリスト教分派が存在した事が知られている。 乱立するキリスト教集団は自身の教義に沿う正典を独自に護持していた。パウロを"無知"と断じたクレメンス文書も信奉され、パウロの名声も一様ではなかった。初期キリスト教はどんな集団だったのだろうか。
異端とされたグノーシス派でも、今日のキリスト教の様な低俗な思想ではなかった。キリスト教グノーシスでは復活信仰では救われず、イエスが語る神智を自力で解明する者だけが救済に与ることができる。 “カトリック”(普遍)としてローマ帝国に認められた一派は、ローマ周辺で勢力を保っていた集団だった。またユダヤ的要素を(旧約聖書ですら)廃していたマルキオン派も同じく、西側のローマ周辺で勢力を築いた一派だった。 考えてもみていただきたい。開放的なラテン人に、ユダヤ人の緻密で地下的な世界が理解しうるものだろうかと。 宗教熱心な今の米国人にはモーセ五書、十戒はおろか、四福音書さえも言えない人が少なくない。大味な西洋人の民族性に合うのは、叡智と実践を犠牲にしながら一般化されたパウロ思想だけであったのかもしれない。 最近千年間のキリスト教が1億人以上を殺害・奴隷化した事実に鑑みる時、皇帝権威/公会議によって一掃された宗派こそ本物のキリスト教であり、現代まで君臨したのがローマの男神崇拝、女神崇拝の換骨奪胎でしかなかったという結論に異論を差し挟める人はいないだろう。 画像借用元: 聖書の民 横浜金沢みてあるき 白地図、世界地図、日本地図が無料 参考文献: 『キリスト教成立の謎を解く』 バート.D.アーマン著 津守京子訳 柏書房 関連記事: 異端問題と新約聖書 |