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空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(FSMism)は主に米国のネット上で信徒を増やしている預言者ボビー・ヘンダーソンが2005年に立ち上げた新興宗教。教義の概要は * 宇宙は空飛ぶスパゲッティ・モンスターによって創造された。 * 最初に創造したものは山、木々、小人一人だった。 * ID論(高度な知性による創造論)における何らかの知性とはスパゲッティ・モンスターを指す。 * ブッシュ元大統領を始めとしたID論推進者は我々の代弁者だ。 * 現代人の背が昔より伸びているのも空飛ぶスパゲッティ・モンスターが一人一人を押さえつけるヌードル触手の数が人口増のために足りなくなった事が原因だった。このように、空飛ぶスパゲッティ・モンスターの存在によって世の中で起こる様々な現象の説明がつくのである。 * 地球温暖化、大地震、ハリケーンや他の自然災害は1800年代に始まる海賊の数の減少の直接的な結果である。 * 信者は海賊の衣装を着る事が好ましい。 * 宗教的な祭日は金曜日。 * 麺類(ヌードル)はスパゲッティ・モンスターの触手を象徴する神聖な食物。 * 教義に固執はしない。 * 入信・退会は自由。 * 天国にはストリッパー工場とビール火山が約束されている。 * 祈るときは「ラーメン」と言う。 * 学校教育では進化論のみならずスパゲッティ・モンスター創造説を教えるべきだ。 スパゲッティ・モンスター アンサイクロペディア グッズ 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書 シンボルマーク 信者獲得ゲーム リンク集 フランス イタリア スペイン スウェーデン ロシア インド ギリシャ ブラジル 動画 米国 ドイツ パリ スパゲッティ・モンスター教は「“何らかの高度な知性”による創造を認めても良いが、それは不完全な極悪のペテンと嘘に彩られているキリスト教のGodとは全く違う存在だ」という主張を共有したい人に勧められる宗教である。(教会が進化論に噛み付くのは人類の祖アダムに入った罪をキリストの死が贖った点に対応している。) 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 (創世記1:29) キリスト教の奉じる神とは何者であろうか?― 一般的には唯一神YHWHと思われている。しかしYHWHは人間に規律と奉仕を要求し、その対価として、ユダヤ民族の庇護を約束した存在である。神への犠牲として一人の男を捧げる事で救済が全てなされる発想はユダヤの論理にもない。「キリスト教は聖書を持ち逃げし勝手に神を作り変えた」 ユダヤ教の告訴はキリスト教勢力が拡大し尽くした今も正当性を失っていないだろう。(ユダヤ教は新約聖書を聖書とは認めていない) キリスト教の神はいわばイスラエルにいる2体目の、子ヤーウェとでも言うべき不完全な神なのであろう。上記のユダヤ教の準菜食行為をすべからく正当化する聖句も律法も人間性ごと解除し、外面的行動は一切問われない奇妙奇天烈な教義の信仰者がおこがましくも旧約聖書に触り、創世記を得意げに語っている様は何よりもまた嘆かわしい実情と言わなければなるまい。 15世紀にオスマントルコの侵攻で東ローマ(ビザンツ)帝国は滅亡した。この時にローマの統治道具として始まった新約聖書は消滅しローマ統治機構のキリスト教も店を畳まなければならなかった。だが"原罪"を持っていたのがローマ領民だけだと分からなかった教会は、世界征服事業と結合したありがた迷惑な布教活動を続け世界を席巻して来たのである。 ニャンで植民地政策とキリスト教が関係あったかニャン? 虐殺、占領、奴隷制、人口爆発、飢餓、世界大戦― 悪の版図を世界的に広めていく有様を教会は眼前に眺めながらも、後ろで手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのは甚だ寒心に堪えないことであった。 ローマの迫害にあっても霊の炎を燃えたぎらせ、帝国を十字架の前に屈服させた初代教会の精神の光も、時の流れと共にいつしか失ってしまい、今や金銭を必要とする無意味なローマ皇帝賛美機関としてのかすかな残光のみが、先達の残骸を見苦しく照らしているに過ぎないのである。 肉食教の氾濫が高じて年間全穀物生産量23億トンの内、60%以上が世界人口の2割に満たない先進国によって独占利用される事態が生じている。真の福音にとっての最大の障害は聖書を触らせるに足りない詐欺的宗教だと考える人も、FSMイズムに浸ってみては如何だろうか。 画像提供 Church of the Flying Spaghetti Monster |
今から2千年前、ユダヤ教が“子羊”を殺して神に捧げる供犠を“イエス・キリストの犠牲”に置き換えて新興宗教キリスト教は始まった。十字架にはオシャレなアクセサリーのイメージがあるものの、実際は薄暗い一面血だらけの神殿祭儀の象徴である。
人間がどこまで駄目になるのかの標本としては貴重なキリスト教史を裏で支えた新約聖書は、初期教団においては重要視される物ではなかった。彼らの正典はあくまでユダヤ教聖書であり、それが“旧約聖書”と呼ばれるようになるのは4世紀以後のことである。 「これは神が与え賜うた」と思わせたい作為が生んだ書物に独善排他性の強いキリスト教文書が加えられた事は人類史にとっての一大悲劇になった。 以降聖書は人間(主に異教徒)をいくらはたき殺し・奴隷化しても裁かれない神の兵器と化してしまうのである。
あらゆる犯罪行為に手を染めた宗教が課されるべき高等批評の成果で、福音書がイエスの弟子達の著作ではない事、数点のパウロ書簡を除いた約20書が偽名文書(著者不詳)である不吉な事象も欧米の教役者の前では警戒心を持って聞かれる事柄ではなくなっている。(但し、聖書の全容を教え込まれる神学生は牧師など聖職位に就くなり、不思議な程これらの事実を信徒へ語りたがらなくなるとか…) 擬似パウロ書簡 wikipedia ■イエスの最後の言葉
事実を書き取ったものだとするなら、無謬どころか上記の内2つ以上が間違い(又は創作)になる可能性は100%だろう。しかしこれらが文芸作だと考えると『マルコ』は迫害を受ける信者の苦悩を、マルコの数十年後に出来た『ヨハネ』は高度に完成したキリスト教神学を十字架上に描き出したものであると理解できる。 他書とは別物語の『ヨハネ』福音書はイエスが奇跡を行い過ぎてユダヤ人に命を狙われ始める(11章)。話が他の福音書と全く整合しないではないか、と難癖がつけられるが、これは「我は世の光」としてイエスが盲人に光を与え、「我は死と甦り」の存在として死者を甦らせる象徴的物語なのである。全ては現実に起きた事ではなく寓話・霊的洞察・発想の材料として右脳的に蓄えられなければならない。 ■一緒に処刑された強盗たち
現場に同行していない者が聞き間違いのレベルではないこの書き加えをした以上話の信憑性は失われるが、ルカの主張が字面の外に隠されている箇所と考えられる。歴史ではないものを字義通りの説明的表現として捉えても大切なものは殆ど残らない。 『マタイ』⇔『ルカ』でイエスの血筋が異なるのも、両者が別々の場所で発生したためであった。初期キリスト教は統制の取れない種類多岐なグループだった事が知られており、ローマ帝国の迫害の中でも正統として生き残るため教義の正当化・信者獲得等の要で100を超える文書が生み出されている。(福音書・パウロ書簡共約20種) 新約聖書正典・外典・教父文書一覧 「聖書は神が与え賜うた」 それらは全て神の力で書かれたのだろうか?雑多な書物を“聖書”として纏め上げたのはキリスト教の政治利用を考えたローマの便宜主義だった。新約聖書の記者たちは当然、自著が数百年の後肩を並べて聖書に組み入れられようなどとは知る由もなかったのだ。 聖書の肝要は記述内容よりも"如何なる"書物であるか。大した検証もなく肝心な所は神だの霊だのと誤魔化し、思考停止に陥った様は不名誉な暗黒に暗黒を上塗りした人類史を築いた過去のキリスト教徒と変わりが無い。 ある段階でキリスト教の語る「神」「主」は「ローマ帝国」に、「父」とは新約聖書の生みの親である「ローマ皇帝」にある程度置き換えられた事実を知る必要があるだろう。 |