たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

歩く道 <一本の道「“歩く旅”の原点をゆく>を見て九度山町を歩きながら

2018-12-02 | 心のやすらぎ・豊かさ

181202 歩く道 <一本の道「“歩く旅”の原点をゆく>を見て九度山町を歩きながら

 

先日、主治医から歩きなさいと言明されました。そう前にも言われていながら、億劫で滅多に歩かない状況を少し変えないと、と思いつつもわざわざウォーキングで歩く気分になれませんでした。

 

ところが、意外にも今日は早朝の番組を見たのと、ちょっと仕事で気になっていた建物の確認をすることを思い立ち、狭いところなので車は近くの駐車で停めて歩くしかないと思い立ったのです。そして九度山町を1時間ほど歩きました。久しぶりでしたが平坦な道だったのと小春日和でポカポカとしたいい気分で歩けました。おかげで少し汗ばむくらいでちょうどいいウォーキングになりました。

 

帰ると、NHK杯テレビ囲碁トーナメントがちょうど始まったところでした。一力八段と寺山怜五段との力勝負というのか、つばぜり合いで、寺山五段が傍目にはうまく囲っているかと思ったのですが、次々と繰り出す一力八段の手は緩むことのない攻めで押し破ったといった印象で、私には勝敗が分からない中で、中押し勝ちを収めました。

 

ところで、早朝の時間帯は平日、グレートトラバース2が再放送されているのを楽しんでいますが、田中陽希さんの歩きというか走りというか、その躍動感ある動きはただ見るだけで楽しい限りですが、到底歩きの参考にはなりません。とはいえ彼の足の運びは足の先に神経が俊敏に働いているのか、悪路だろうが岩場やガレ場だろうが、難なく通り過ぎます。私が若い頃多少はそんな動きもできたように思うのですが、それでも歩き終えてズボンを見ると結構泥がついていたりします。時には岩場や笹藪などでは切り傷などもできます。でも彼はそのような軽率な足の運びはしません。見事です。それでも捻挫や疲労骨折など負傷しますが、超人的な日程ですから、それで済んでいる方が不思議です。それだけ彼自身が慎重であり、一歩一歩を大事にしているのでしょう。

 

そろそろ本題にとりかかります。今朝見たのはNHKBSの<一本の道「“歩く旅”の原点をゆく~イギリス・ピークディストリクト国立公園」>です。

 

これはシリーズで時折、放送していて、歩くのはNHKのアナウンサー、それもあまり歩いたことのない人が多いようです。今回の鎌倉千秋さんです。さんづけしていますが、一度も会ったことがありませんが、鎌倉で暮らしているときラジオ番組で鎌倉さんがたしか入局当初ということで挨拶があったような記憶で、なんとなく身近に感じて、その後TV番組にも再三登場され、勝手に身近な印象を抱いています。そういうアナウンサーはラジオ深夜便の方で多いですので(これもずいぶん代替わりしましたが)、鎌倉さんのような若い方は珍しいのですが。

 

さて鎌倉さん、歩きはほんと無残でした。見事にへとへと感がこれぞというくらいでていました。いつも元気な鎌倉さんがこれでもかというくらいへたっていましたね。でも私もきっといまだったら同じような状態になるでしょうから、人のことを笑うと天に唾するようなものです。

 

さて<ピークディストリクト国立公園>といっても私自身、初耳ですが、イングランドらしいなだらかな丘や牧場が連なるすてきなところでした。

 

もうこれ以上歩けないと思っていた鎌倉さん、いろいろな出会いで体も心もリフレッシュしたのか、元気を取り戻し最後の目標地まで貫徹して笑顔になっていました。

 

その大きな一つは歩く意味、歩いている英国人たちの心意気を、そしてその歩く道の歴史を知ったことかもしれません。

 

私が歩く権利を知ったのは約20年前、青山学院大学法学部教授であった故平松紘氏の著作『イギリス 緑の庶民物語』を手に取ったことからでした。この本には大きな影響を受けた、いろいろな仲間に紹介したことがあります。そんなこともあってか平松さんとはその後いろいろな機会に出会うことになり、著書もいただいたりしていたのですが、まもなく他界され残念な思いです。気さくな方でしたが、英連邦法系の環境法に造形が深く、コモンズや信託について深く掘り下げて研究されていたように思います。

 

80年代から90年代にかけて里山がゴルフ場開発、リゾート開発、さらには産廃処分場として、どんどん破壊されていく現状を憂い、いろんな住民運動が立ち上がり、里山保全についても90年代後半になり関東弁護士連合会で調査を始めたころに、歩く権利運動など平松さんの著作はちょうどよいテキストになりました。

 

歩く権利について、その運動の発祥の地(地名を失念)として番組では紹介され、その集落の語り部が元々貴族や大地主が囲い込む前はコモンズとして共同利用されていたところで、若い労働者たちが集まって歩く権利運動を繰り広げたといった説明であったかと思います。

 

たしかそれが1930年代であったかと思いますが、それ以前から歩く権利をめぐって訴訟がたびたびあり、ようやく32年に「歩く権利法」が成立していますが、その後も繰り返し訴訟が起こっています。番組で登場した英国人二人組が歩く道の歴史を次世代に継承するため歩いているといったようなコメントしていましたが、まさに権利はそれを日々使わないと失うおそれがあるともいえるように思えるのです。

 

歩く権利については、いつか(これが怪しいですが)整理して書いてみたいと思います。

 

鎌倉さんがもう一つ元気になった要素かもしれないのが、旅の途中、あるいは最後に訪れるパブでの一杯です。私も英国旅行をすると必ずパブに入ります。英国人(イギリス人というのは正しくないのでしょう、今後、これにします)らしさがでる場所ですね。番組を見るとすぐ分かりますが、黒ビールのようなものが一杯出るだけです。たいていのパブはビールあるいはスコッチを飲み、語る場所です。なにかないですね。食事です。ロンドンの繁華街などだと食事しながら飲んでいる風景も見ますが、それでも量も少なく、そういう人の割合も少ないように思います。つまり居酒屋さんではないのです。見事に酒のみ(飲み?)といった印象です。

 

牧場の中を歩いて通るというのは気持ちいいでしょう。これもなかなか味あうことができません。それは産業革命以来、とりわけ19世紀には機械化が進み、人が歯車の一つにされるようになり、休日での自然状態への復帰が不可欠となった人というものの存在、人間性から来る必然的な要請だったのではないかと思うのです。ダンスをする権利も唱えられたりしたのは、それだけ労働が人間性を奪うようになってきたことの反映だったのでしょう。

 

他方で、囲い込みという本来ギリシア・ローマ時代にはなかったと思われる財産権以上のものを地主層が行ったことの自然な抵抗権であったのかもしれません。

 

最後に、九度山町を歩いた感想を述べておきます。それが歩く権利ないしは歩く道とどう関係するか、まだ頭の整理ができていませんが、書きながら(タイピングしながら)考えています。

 

九度山町九度山という町は、紀ノ川に接しながら、高野山から流れ落ちる丹生川の右岸と左岸の渓谷に別れています。とりわけ右岸側は北に紀ノ川、南に丹生川がありとても狭い地区ですが、古い家並みが密集しています。といっても瓦葺きの格式のあるような屋敷はわずかですね。真田幸村が隠遁していた(徳川との決戦に備えて準備していたともいわれています)真田庵跡という場所もその中心近くにあります。

 

私自身はそれにはあまり関心がなく、町中をぶらぶらと歩きました。驚きました。路地と言っても肩幅を少し広げたくらい、60㎝くらいでしょうかとても狭いのです。それがほとんどの路地がそうなのです。私も京都や鎌倉など各地の路地をよく歩きましたが、そういうところがあっても残っているのはわずかです。ところが九度山はほとんどがそうなのです。中に曲がりくねっているところもあります。まあ、武家屋敷風に防御のためというのもあるかもしれませんが、一度歴史的由来を検討したくなりました。

 

狭い区域ですが、この路地歩きは結構面白いです。庭もたいて塀が低く、開放的で、路地からよく眺めることができます。ただ庭のある家は少ないですが。

 

そして紀ノ川に降りることができるのもいいです。九度山の下は岩盤になっています。九度山の名称の由来として、空海が母の住む慈尊院に高野山から訪ねてきたのが9回とかという説の一つが紹介されますが、その慈尊院は2kmくらい?下流に船着き場があったようですから、この九度山はという地域は真田で有名になりましたが、果たして江戸時代まではあまり知られたところではなかったかもしれません。なお、慈尊院のある地域は「入郷」という町名です。

 

だらだらと書いてきましたが、歩く道、それは1m未満が最適かなと思うのです。行き違いもできますね。でも60㎝の幅もなかなか趣向があります。そういう町歩きの楽しさを感じることも大事かなと思うのです。そして歩く権利とまでいかなくても、そういった道を歩くことを今後も守っていくことが必要ではないかと思うのです。

 

そして町から、農地、さらに林地にと歩く道を蘇らせることが今後、検討されてもよいかなと思うのです。たしかに川沿いに整備されたサイクリングロードがあるといいですけど、そういったちょっと見落としてきたところにもわが国の魅力が一杯ではないかと思うのです。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。