181222 西行と明恵 <NHK 白洲正子が愛した日本人>を見ながら
今日は終日雨でしたか。やさしい雨模様でしたか。風もあまりなく、音も静かでした。ただ聞こえてくるのは野鳥たちが仲良く騒いでいる声、囀りでした。ヒヨドリの集団がやってきたようで、ずっと近くのヒノキ林で飛び立ったかと思えば、葉っぱの中に隠れたりと忙しく動いています。なんとものどかな風情です。
昨夜は、ゴーン日産前会長の特別背任容疑での再逮捕といったビッグニュースなどが報道されていましたが、さほどニュースに関心が向かず、午前中録画していた<プレミアムカフェ 白洲正子が愛した日本人 美の旅人 西行と明恵>を見ました。
西行も明恵も和歌山県出身とされています。和歌山出身の偉人というと陸奥宗光があがりますが、もし西行が父親が管理していた田仲荘(紀の川市の一部で紀ノ川北岸)で生まれたというのが正しければ、和歌山出身となりますね。そうなると、世界的にも西行を筆頭にあげてよいのかと思うのです。次に明恵となるかは別にして、おそらく二人ともそんなことには関心ないでしょうけど。
私自身、白洲正子氏の著作を1冊か2冊程度しか読んでなく、しかもさらっと眺めた程度ですので、その作家としてのすごさはよく分かっていません。
ただ、<【ゲスト】作家…車谷長吉,歌人…水原紫苑,演劇評論家…渡辺保>の皆さんはそのように指摘され、実際、西行本とか、明恵本とかには、必ずといってよいくらい引用されていますね。私はまだ読んでいませんが。あるいは読んでも忘れてしまうほど、適当に読んだのかもしれません。
白洲氏は74年に『明恵上人』、88年に『西行』を書いています。番組はこの著作を時折引用しながら、ゲストの思いを語り合っていました。最初に西行、次に明恵で、時折白洲氏自身の人物像も取り上げていました。
<2人に共通していたのは“世捨て人”と呼ばれていたこと。彼らの生涯をたどりながら、なぜ正子は2人に魅了されたのかを考える。>というのです。
で、番組では、西行と明恵を同時代の人として紹介していますが、たしかに大きな時間軸で言えば、同時代といってもよいでしょうけど、少し違和感を感じます。西行は1118年生で、明恵は1173年生です。まあいえば西行の晩年に生まれたのが明恵ですね。
有名な文覚と西行の話がありますね。神護寺にいた文覚は、元は西行と同じ北面武士、色恋沙汰の殺人事件で遁走、出家し、各地で勇猛な伝承が残り、私の関心のある紀ノ川では、桛田荘に水を引くため文覚井を作ったという伝承が残っています。皇太子が世界水会議でこの話を取り上げ、その前にわざわざ見学に来ています。
その文覚、神護寺に和歌で有名な西行が訪れると聞き、和歌などで世渡りしていると批判して少し懲らしめてやろうと意気込んで面談したのです。ところが文覚、西行の前で何もせず、話をして終わったのです。それで弟子が不思議がると、西行の身のこなしを見て隙がなくとても自分が倒せるどころか、反対にねじ伏せられるといったとか。
このとき、明恵は9歳から神護寺に入山し、文覚の弟子になっていたと思われ、西行との対面場面でもいたような扱いになっていたかと思います。たしかことばを交わしたような描き方をした小説家もいたような記憶です。同じ紀州出身ですから、西行が神護寺を訪れたのが80年代後半ではないかと思うのですが、祖父と孫に近い関係(70歳くらいと15歳未満か)ですから、それは明恵にとっては大変な方と思い、その後も心の支えの一つになったのではないかと思うのです。
明恵は法然さんの他力本願・浄土的な考えを心底嫌い、強烈な反論・批判を行っていますが、西行に対しては敬慕の念をずっと抱いていたのではないかと思うのです。番組ではこのようなとらえ方は取り上げていませんですが。
さて白洲氏はなぜ西行に惹かれたかが話題になりましたが、やはり出家の理由を問い続け、それは恋、しかも許されない恋にとらわれたためというのです。まあ悲恋の顛末に惹かれたのでしょうか。その人の名は待賢門院珠子です。西行を描く多くの小説家なり、さまざまな方も多数はそのようですね。私はどうかと思っているのですが、まだ有力な根拠を見いだせていません。
待賢門院珠子は白河法皇に見初められ、普通では考えられない生き方を余儀なくされています。夫にも子どもにも見捨てられたのではないかと思いますし、他方で法皇存命中は好き勝手をしていたかもしれません。そんな自由奔放な高貴な女性の姿に、田舎での無骨な西行の前身、佐藤義清はすっかり虜になってしまったというのですが、私には西行の生き方、作り続けた和歌からは想定できない筋書きです。
それに恋敵というか、夫である鳥羽天皇を奪ってしまった美福門院(藤原得子)は高野山に立派な陵が現在も残っていますが、西行は高野山に30年もいた(あっちこっち行っていますが)わけですし、高野山復興に相当な努力をしています。その当たりも気になっているのです。
どんどん番組で紹介された西行と明恵の話から遠ざかってしまいました。
で、番組では西行と明恵は美男子というか男前で、女性にもてたというのですが、明恵はありえるとしても、西行像で美男子というのをお目にかかったことがないのですが、ほんとかしらと思うのです。女性にもてたことはたぶんたしかだと思うのです。でも、それは容貌というより、そのりりしい姿、隙のない作法、たぐいまれな教養と自由に生き、頼まれると生死を怖れず強靱な意志で断行する行動力などではないかと勝手に思っています。
明恵の方は、仏に自ら奉仕するため耳を切り取ってしまうほど、熱い情念をもっていて、とても近寄りがたい印象です。それにマツの二つに分かれた幹の股のところに座して修行する、それも孤高の島に一人佇むというのは、とても女性にもてるとは思えないのですが。
最後に、二人の最期、いずれも死を覚悟して、その死を自然に、淡々と受け止め、この世を去っていたことに、日本人がこよなく愛する一面があるように思うのですが。これが本来、日本人の生き方、死に方ではなかったかとふと思うのです。
ちょっと脱線が多すぎて、なにを書こうと思ったのか忘れてしまいました。ともかく西行も明恵も魅力ある人ですね。
今日はこの辺でおしまい。また明日。