181224 辺野古と報道と天皇 <在日米軍再編 辺野古土砂投入の各紙報道>と<社説 平成最後の天皇誕生日>を読みながら
今日はブログをパスしようかと一旦思いました。踏ん切りがつかない中、辺野古の記事に触発され、また天皇のお言葉も感慨深いものでしたので、少しだけ書いてみようかと思います。
本題に入る前に、ゴーン氏の特別背任容疑での逮捕に関する記事<日産ゴーン容疑者 投資損失、日産に払わす 数千万円>を少し取り上げたいと思います。ここでは、付け替えの期間の損失を一旦日産に払わしたことを取り上げています。そのこと自体より、気になっているのは、「付け替え」という用語です。
私などが経験したこのことばは、道路の付け替えといった用法で使われてきた感覚です。つまり、元あった道路が何らかの理由で廃道、不便になったなどから、別の代替用の道路が新設されるという場合に使われていました。むろん金融商品としては別の使われ方もありうると思うのですが、ウェブ検索で少し調べてみても、このゴーン事件以外で見つかりませんでした。むろん金融商品取引法にそのような行為形態を予定した規定はないと思います。
金融商品取引では実務上使われる方法のようですが、どこまで概念が明確なのでしょうか。だいたい、ゴーン氏の資産管理会社がスワップという金融派生商品取引で発生した損失を日産に負担させるといった、いわば債務引き受けに類似する行為が当然にできるとは思えません。債権者の金融機関が日産の取締役会決議を求めたとの報道があったと思いますが、それで有効な取引になるのかも判然としません。付け替えという行為がどのような要件があれば成立するのか、その場合その時点で、特別背任が成立するのかも判然としません。
その意味で、今回の記事が指摘するようなその後の損失の支払は損失自体が現実化したといえますが、「付け替え」自体の問題がどう評価されるのかがあきらかでないですね。
仮に「付け替え」時点で犯罪が成立するのであれば(その可能性が高いと思いますが)、その後に、また元に戻したり、知人に多額の送金を日産にさせたりしても、その犯罪成立には影響しないように思えるのですが、どうも報道では後者を含めてはじめて成立するような取扱にみえます。どうも付け替え行為自体が法的にどう評価されるのか明確な議論を欠いたままであることがこの事件の行方を不透明にしている印象です。とはいえ、ゴーン氏については、犯罪の成否はともかく、この一連の行為は非常なコストカッターとして日産リバイバルを果たしたとしても、その評価は地に落ちたと思います。
と関係のない議論を長々としてしまいました。書くつもりがなかったのに、タイピングをしだすと止まらない悪い癖ですね。さて本題に入ります。
毎日朝刊記事<在日米軍再編辺野古土砂投入の各紙報道 本土側の無関心、責任問う視点も>は、沖縄と辺野古問題について報道のあり方を整理して、しかもその変化を取り上げていて、なかなか興味深いものでした。
沖縄を訪れると地元紙は本土の紙面と大きく違います。
<14日に始まった土砂投入は沖縄の本土復帰後初めての大型米軍基地建設の本格化を意味する。沖縄県の琉球新報と沖縄タイムスは15日朝刊でいずれも1面に大見出しを掲げ、小型無人機で接近した現場を撮影した写真を、赤土が青い海を埋める構図で載せた。>
他方で、全国紙も思ったより取り上げていました。しかも朝日・毎日だけでなく、日経も、本土の国民の責任に言及するものでした。
<量的には地元と本土との温度差がはっきりしていたが、本土側から自分たちの責任に言及するところがあった。朝日は1面に那覇支局長の「視点」を置き「想像してほしい。これが自分の街なら」と書いた。毎日の社説は「本土側の無関心も問われなければならない」と指摘。日経の16日社説も「責任は本土の国民にもある」とした上で、「借地料をもらっておいて文句をいうなという人がいる」という現状について「歴史を知れば、そんな悪口は出ないはずだ」と書いた。>
埋立の評価をめぐっては、強行と批判的な記事が朝日・毎日の全国紙だけでなく、地方紙も相当数がその立場で政府を批判しています。他方で、普天間飛行場の危険な状況を回避するためにはやむを得ないという、読売・産経の姿勢は政府よりの立場ですから、当然でしょうか。
ところで、報道がどれだけ紙面を賑わしても、やはり本土の国民の意識は高まっていない印象です。それを憂うのは誰でしょう。国民の「象徴としての立場を受け入れ」てその「旅を続けてきた今上天皇でしょうか。
<天皇陛下おことば全文>は全文どころか、わずかな一部のみ引用しているだけですので、参考になりません。<社説平成最後の天皇誕生日 平和な時代への深い思い>で、私が少なからずやはりと思い心振るわせる気持ちになった感情を、適切に表現しているように思えました。
<日本で唯一の地上戦を経験した沖縄に寄せる思いは深い。皇太子時代を含め、訪問は11回に及ぶ。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べ、退位後も沖縄に寄り添うお気持ちを示した。>沖縄に初めて来島したとき、火炎瓶を投げつけられたほど、沖縄島民の気持ちは複雑なものだったと思います。その中で今上天皇はひたすら沖縄を訪れ、祈りを捧げていました。
むろん沖縄に対してだけその祈りを続けてきたわけではありません。しかし沖縄が受けた長い長い苦難と悲惨な状態、それに耐え続けてきた人たちへの思いは、国民の象徴としての立場を受け入れたとき、覚悟していたのではないかと思うのです。私は人として尊敬したいと思うのです。
もし天皇を象徴として尊崇するのであれば、沖縄の現状を無視できないと思うのです。辺野古基地新設は許してはいけないと思うのです。
今日はこれにておしまい。また明日。