たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

森林経営管理法(その6) <Q&A資料から経営管理権実施権配分計画を読み解いてみる?>

2018-12-08 | 農林業のあり方

181208 森林経営管理法(その6) <QA資料から経営管理権実施権配分計画を読み解いてみる?>

 

農地制度について平成21年の法改正は平成の大改革とか言われていたと思います。森林についても似たような印象を持っています。たしかに一定の制度改革効果はあったと思いますが、耕作放棄地や森林の荒廃が減ったかと言われるとさほど顕著な変化を感じません。

 

しかし今回は違う、というような制度の概観を感じますが、どうでしょう。矢継ぎ早にいろんなところで「大改正」なり「新制度」が生まれていて、どうもトリガーのキーワードは適切な管理が行われていないというところで、あらゆる分野というか、少なくとも農林漁業の第一次産業分野では特徴付けられるように思えます。

 

漁業法改正も毎日社説<70年ぶりの漁業法改正 地元への目配りを十分に>などで、<漁場を「適切かつ有効に活用している」>かどうかが問われ、否となれば漁協の優先権を認めず、企業参入に門戸を開く方向が示されています。

 

農地についても<農地制度>で詳細が紹介されていますが、農地法や農業委員会法など関連法が平成27年改正で、さらに農地所有適格法人など第三者による利用促進にアクセルペダルが強力に押されてているようです。

 

私自身、以前からこのブログで時折指摘してきたとおり、所有に責任(まあ責務が無難でしょうけど)が伴うという立場ですので、所有者であるかどうかに関心がないとか、自分の土地建物を適切に管理・利用していない場合社会的な責任が伴うべきではないかと考えています。漁業権についても先祖伝来の受け継いだ権利だからと行って、乱獲するのも問題ですが、放置するのも問題だと思っています。

 

とはいえ、その「適切かつ有効な活用」とか、「適切な経営管理」とかいった抽象的な基準をどのようにしてステークホルダーの意見を反映させながら、透明な手続で、公正さを保持することができるかが、むしろ重要ではないかと考えます。と同時に、このような試みは、過去例がないのですから、モニタリングをしっかり行い、政省令などで基準・手続を明確にしても、実際に問題があれば手直しすることにとりわけ配慮してもらいたいと思うのです。むろんこれまでの法改正でもそのような配慮が行われてきたからこそ、頻繁に改正もされてきたと思いますが、どうも上滑りしているような部分もあるのではと思う部分もあります。

 

また饒舌な前書きになってしまいました。いつものことなので容赦ください。

 

さて今日の本論ですが、<Q&A>を参考に、<経営管理権集積計画の作成事務>を受けた<経営管理実施権配分計画の作成事務>(同17頁)を取り扱います。この間に重要な<民間事業者の募集>がありますが、今回は飛ばします。

 

<経営管理実施権配分計画>の内容については、<森林経営管理制度(新たな森林管理システム)について11頁で、<経営管理権集積計画(経営管理実施権配分計画)の作成>と同一に扱い、その違いを明確にしていません。ただ、12頁の<森林所有者に支払う金額の算定方法の例>では、<林業経営者は、木材の販売収益から伐採等に要する経費を差し引いた額を森林所有者等に支払うこととする。>とあることから、主伐か間伐か、施行期間、経営採算性などはこの計画の核心になると思われます。

 

では法文はどうなっているかを確認しましょう。

 

「第四章 民間事業者への経営管理実施権の配分(第三十五条―第四十一条)」が相当します。他方で、「第二章 市町村への経営管理権の集積」で4条ないし32条で詳細に記載されています。

 

352項で、「経営管理実施権配分計画」に掲げる法定事項として次のものをあげています。

一 経営管理実施権の設定を受ける民間事業者の氏名又は名称及び住所

二 民間事業者が経営管理実施権の設定を受ける森林の所在、地番、地目及び面積

三 前号に規定する森林の森林所有者の氏名又は名称及び住所

四 民間事業者が設定を受ける経営管理実施権の始期及び存続期間

五 民間事業者が設定を受ける経営管理実施権に基づいて行われる経営管理の内容

六 第二号に規定する森林に係る経営管理権集積計画において定められた第四条第二項第五号に規定する金銭の額の算定方法並びに当該金銭の支払の時期、相手方及び方法

七 市町村に支払われるべき金銭がある場合(次号に規定する清算の場合を除く。)における当該金銭の額の算定方法及び当該金銭の支払の時期

八 第四号に規定する存続期間の満了時及び第四十一条第二項の規定により同項に規定する委託が解除されたものとみなされた時における清算の方法

九 その他農林水産省令で定める事項

 

この6号が上記に指摘した<森林所有者に支払う金額の算定方法の例>に当たるものかと思いますが、同号でも引用されています425号の記載とほぼ同じですので、その違いは条文の規定からはわかりにくいですね。

 

実際、これもやり方によるとは思いますが、条文の記載のように簡単に収益から経費を控除して配分といった簡易な例は希だと思われます。C級材だとあまり問題ないでしょうけど、実際は森林の中はいろんな意味で複雑でしょう。具体的な計算は所有者、伐採林、売価など個別に識別すると、相当複雑ですので、どのような工夫をするかは林業経営体の力量と森林所有者との協議によるのかもしれません。

 

ところで、6号が引用する425号を読むと、利益配分は「販売収益から伐採等に要する経費を控除してなお利益がある場合」としていますので、さすがに林野庁もこの計画で必ず利益があるとまでは考えていないようです。そうありたいと思っているでしょうけど、経営管理というのは、市場動向や経費などの物価動向に大きく左右されるわけですから、利益がない、収支トントンとか、場合によっては赤字(それはないようにするでしょうけど)とかもありうるという、現状を踏まえた制度になっているようです

 

いずれにしても「経営管理権集積計画」も「経営管理実施権配分計画」も、市町村が作成主体です。ただ、計画について同意を必要とする相手が、前者は森林所有者(45項)、後者は選抜された民間事業者(353項、実質は林業経営者でしょうか)となっています。後者について森林所有者の同意を必要としないとしつつ、Q&Aでは<森林所有者に事前に情報提供することをお勧めします。>としています。当然ではないかと思うのですが、法文に明記されていないのはどうしてでしょう。また、森林所有者の中で配分利益が思ったより少ないとか言ったらどうするのでしょう。それは一部不同意の取扱になるのでしょうか。

 

なお、前者の計画は、厳密には所有権以外でも「地上権、質権、使用貸借による権利、賃借権又はその他の使用及び収益を目的とする権利を有する者の全部の同意」を必要としています。

 

条文を読みながら書いていますので、一時間でもなかなか進みません。今日も中途ですがこの辺でおしまい。また明日。


181208 歩く道(その2) <万葉の面影>と<中世領主・隅田党の面影>そして紀ノ川段丘を歩いてみる

2018-12-08 | 心のやすらぎ・豊かさ

181208 歩く道(その2) <万葉の面影>と<中世領主・隅田党の面影>そして紀ノ川段丘を歩いてみる

 

先週日曜日、久しぶりに歩いて少々疲れましたが、それはいい感じでした。主治医の一言は金言です。これは続けてみようかと内心(ここで暴露すると責務?になる?)思っていて、今朝も少々冷えるなと思いながら、あるギリシア・ローマ法がらみの難しい(私にとって)法律論の書を読むよりいいかと、思い立ったのです。

 

紀ノ川に降りて見ようと、いくつかのコースを考えてみたのですが、まだ訪れたことのない万葉集に歌われた大和と紀州の国堺にある真土峠の「飛び越え石」をまず、訪れることにしました。

 

あさもよし 紀伊へ行く君が

真土山 越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね  巻9-1680

 

あさもよし 紀伊人羨ともしも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも

巻1-55

 

いで我が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きてはや見む  巻12-3154

 

など、万葉人が大和を離れて他国に入ったことで、故郷を懐かしく思う心持ちなんでしょうか。いまだとこの間、車だと一時間もかかりませんので、そんな情緒はとても生まれそうにないですね。いやいや、昔、飛行機で30数時間かけてブラジル・アマゾン川中流域にある都市マナウスに降り立ったときでも、郷愁なんて気持ちは起こりませんでしたので、距離や移動手段ではなく、心の豊かさの違いかもしれません。まあ私自身が心の豊かさを持ち合わせていないことは自白しておきましょう。

 

いや驚きました。「飛び越え石」が結構大きかったのです。しかも狭い渓谷の様相で、大きな岩が蛾両岸にずっとつながっています。流れる川の名前は落合川といって、東京の落合川と同じ名前です。後者は一度訪れたことがありますが、昔年の面影はないのですが、結構生態系が豊かです。他方で、当地の落合川は小高い山が削られて、できたような渓谷で、当然ながら川岸の岩場の上は急な坂になっています。これでは飛鳥天平人の女性や子どもはここを通過するのが大変だったと思います。乗馬して上がり降りなんては無理な話ですね。

 

大雨の場合は増水して下に降りてはいけない注意書きがありますので、古代もまたとても増水時はもちろん、水量が少ない(たとえば今日のような冬期も)ときも、結構危ないでしょう。わたしはこういう岩場を歩くのは慣れているので、いい年をしてという気持ちは半分ありますが、すたすた岩伝いに渡っていきますが、それでも雨に濡れていると、沢登り専用のシューズでないと危ないかもしれません。

 

ところで、この渓谷美に感心して、少し岩場伝いに下流に降りていこうとしばらく進んだのですが、2m近い段差があり、やっかいな大岩があったので、もし滑ったりすると大怪我するなと、年寄りの冷や水がごとき振る舞いはやめにして退却することにしました。

 

その後、ちょうどいい水道(これはミズミチ、あ、そういえば水道法の改正が今国会で問題となっていましたが、これもいつか検討したいですねなんて思いながら)があったので、そのそばの幅1尺程度の道を歩いて行くことにしました。コンクリート造りの水路があり、水利組合が管理用の道としてそのそばに作っている道です。私もしばらくこの道を毎日のように草刈り、雑木刈り、ときにスズメバチ狩りなどして過ごしたことがあるので、とても愛着があります。むろんここの水路は初めてですが、水路ということでなにか親しみが湧くのです。しかも水路幅は日本では一般的な30㎝くらいでしょうか。

 

ただ、ここの水路脇の道は、崖状のところに作られているため、かなり危うい状況かなと思いました。実際、一カ所上から根倒しになった中高木が2本倒れていました。私が世話しているところだったら、すぐに枝払いして小さく切るのですが、水利組合も冬場はほとんど訪れることがないため、また定期的な監視活動の際、対応するのでしょう。

 

しばらく行くと、先般、橋桁が傾いた恋野橋が見えてきました。大きく傾いていることがよくわかります。倒れないように橋脚の下には規格外の土嚢袋が何段か積み重ねられ、ようやくこれ以上傾くのを止めている印象です。そのそばでは新しい道路橋づくりに、重機が何台も動いています。私が竹藪のわずかな隙間を降りていったところ、その現場が間近でした。というか、竹木をいま倒したばかりの束をユンボが掴んで、私の立っているすぐそばにボーンと下ろすのです。豪快ですね。まあ邪魔にならないよう、今回もさっさと立ち退くことにしました。

 

しばらく別の道を行くと、こんどは紀ノ川の両岸を結ぶ歩道橋に出くわしました。歩道橋からみる紀ノ川の岸辺景観は初めてでしたが、なかなか情緒があってよかったです。

 

その後、今度は幹線水路に沿って歩きました。幹線水路は紀ノ川の段丘の直上にあり、幅1.5mくらいありそうでした。そのそばに軽自動車が走れるほどの管理道路が幅1.5m弱で走っていましたので、そのそばを通って隅田の段丘畑、あるいは水田を見ながら散策したのです。

 

写真をパチリパチリと撮ったのはいいのですが、アップの仕方がよく分からないので、当分文字情報だけですね。fbでは結構、写真をアップしていたのですが、このブログではなんどか成功したものの、結局よくわからず、また、もうこのブログの3月までですので、このままでいこうかとおもっています。

 

このあと少し仕事をして、夕方またブログに戻ります。