170817 自宅診療ナウ <ドキュメント 訪問診療の暑い夏1~8>を読んで
昔のお医者さんの面影というと、ビートルに乗って、思い革の鞄を持ち、威厳のある格好でやってくるおっかいない大人、というイメージが私のどこかに残っています。
戦後初期頃までは訪問診療がまだ田舎では結構あったのかなと思いながら、うっすらした記憶が生きています。幼い頃病弱だった私にはおっかない医師が必要だったのかもしれません。その後長く病院や診療所に行く機会がなく、訪問診療といったことも忘れてしまうようなこの頃です。
私が横須賀にいた頃関わったのは医師・看護師グループを中心とする終末期医療を自宅でという実践活動への支援でした。上記の私の危うい記憶を思い起こすこともありませんでした。
いま毎日朝刊で連載してる見出しの記事は、すでに8回になり、「訪問診療」という言葉がなにか身近に感じるようになりつつあります。まだ連載記事は続くようですが、ひとまずこれまでの掲載記事を読みながら、訪問診療の実態についてその切れ端を並べて、その将来を少し考えてみようかと思います。
と思ったら、最近、腕の痺れが少しでてきており、今日はとくに痛みが強くなる嫌な感じですので、少し手加減して、手短で簡潔にしたいと思います。
<ドキュメント訪問診療の暑い夏/1(その1) 「虫の知らせ」命救う>では、主人公の<「たかせクリニック」(同大田区)の高瀬義昌医師(60)>について、<「医療のプロだが、同じ人間同士」との思いで、白衣は着ない>と紹介しています。
私は白衣が人と人との触れあいを遮断する、人を見ない医師を育てるという面があることを忘れてはいけないと思うのです。
訪問診療のスケジュールにない、介護施設に高瀬医師は一人で駆けつけました。そして<異変は、その背中をひと目見て感じた。>聴診器を取り出して診察した高瀬医師、<女性は感染症が疑われた。「キュウハンしますか?」。隣にいた施設長が「救急搬送」を依頼すべきか尋ねてきた。「した方が安全だね」 「虫の知らせ」でここに来た。>というのです。
そして<彼女のことは、病歴から処方した薬の効き具合まで頭に入っていた。天候の変化で自律神経や免疫力に影響を受けやすい。「だから、僕の頭の中では彼女に旗を立てていた」。命を救った「虫」の正体は、患者と向き合って得られた多くの「情報」なのかもしれない。車に戻ると「来てよかったあ」とつぶやき、座席に身を沈めた。>
これは大変な仕事です。そしてまさに医療の「現場」に終日対応しているのです。
続いて<訪問診療の暑い夏/1(その2止) 長い1日「おもしろい」>では、上記の救急搬送の後に向かった<集合住宅の一室。大柄の70代の男性がすり足で出迎えた。先に入った看護師が、血圧や酸素量を測りながら話し始めた。「お酒は飲んでらっしゃらない?」「4月から一滴も飲んでない。足が動かずに怖い目にあったから」。うれしい報告だ。
ひと足遅れて、先生も話に加わる。最近、検査入院したらしい。「よく勇気を持って病院行ってくれたよ」。病気の正確な診断は治療の基本だが、悪い現実を受け入れたくなくて、病院から遠ざかる人もいる。だから「勇気」とねぎらったのだ。聴診器を当てた後は肩までもみ始めた。「だいじょぶ、優等生! また困ったことあったらすぐ言ってね」>
当然ながらまったく異なる環境で、患者の症状も異なります。でも高瀬医師は患者の生活全般を全身で受け止めて診療に当たっているように見えるのです。
<朝から13件の診療を終えるともう午後5時近かった。車を降りて出た言葉は「ああ、おもしろかった」。プロとしての達成感と、13人の人生を少しでも支えていることの喜び、だろうか。>いいですね。
次の<訪問診療の暑い夏/2 薬の種類、徐々に減らす>は、少し前このブログでも一部取り上げました。
今度はアパート。<神奈川県の川崎市内にある2Kのアパートに向かった。80代と70代の老夫婦は、最近訪問を始めた新患。狭い玄関で靴を脱ぎ、台所を通り、6畳間の布団にいた夫に声をかけて、奥の部屋のベッドに横たわる妻から診察にかかった。>
高齢者の薬の服用は過剰になっていることが少なくないですね。高瀬医師は<「いい話があんの。糖尿病はよくなった!」。12種類もの薬が出ており、見直しに着手する頃合いだ。まず三つの糖尿病薬、念のため一つ残して二つを消す。高脂血症薬も同様に減らせると判断した。後でクリニックから薬局にファクスを入れれば、2週間分の薬が届けられる。高血圧薬も四つあるけれど、食事の見直しなどでさらに減らせそう。でも、急にはやらない。相手の気持ちを考えて徐々にやっていく。>と患者の気持ちに寄り添いながら誘導していくのです。夫も同様です。
薬の適切な服用は年老いた患者には困難なことが少なくないでしょう。高瀬医師はその点もしっかり配慮。< 「じゃあ、ぼちぼち頑張ろう」。部屋を出て車に乗り込むと、夫婦を受け持つケアマネジャーにすぐ電話した。日々の生活を支える介護保険のサービスは、ケアマネが計画する。夫は脳梗塞(こうそく)の後遺症で歩けない。押しつけがましくないように「リハビリできるといいんだけどなあ」と提案する。ケアマネから新たな情報も入る。ヘルパーが促さないと薬を飲めないようだ。>
訪問診療は一人の医師・看護師ではできません。多様なサポートが必要です。その核となる一人がケアマネでしょう。
続いて<訪問診療の暑い夏/3 「独居で認知症」に挑む>では、認知症患者が相手。
状況は<1人暮らしの80代の女性を支えるため、医療や介護の専門職が集まり、親族も交え話し合う。その初顔合わせの日だ。電車が通ると、声はみな大きくなる。認知症だが本人には自覚はなく、病院に連れて行くのが難しい。訪問診療の出番だ。>
<「お国はどちらでしたっけ?」。先生はやさしく話しかけた。女性は散歩好きで、迷っては警察に保護される、その繰り返しだという。「入院するとドーンと悪くなる。できるだけ長くここでやれるようにしていきたい。よろしくお願いします」。大きく、はっきりと伝えた。
6月末、午前8時。クリニックの開業時刻前なので、先生は自分で運転して女性宅に来た。急いだのは、女性が散歩に出てしまうからだ。これまでも何回か「空振り」していた。チャイムを押すと、ケアマネジャーがドアを開け、「前座を務めてました」と笑顔を見せた。よかった、今日は間に合った。あいさつしながら、クリニックのパンフレットを渡す。先生の顔写真が載っているのがミソ。「みかけた顔」になれば女性の気持ちがほぐれてくる。>
私も認知症の方、認知症になりかけの方、さまざまなタイプの方を、仕事上、対応してきました。まだらの場合、その方の不安な気持ちを理解しつつ、その動揺する言葉を否定しないで、丁寧に受け止めながら、話を聞いてきました。根気のいることでしょう。
高瀬医師の<体温を測る。順調かな……。そう思ったとたん、女性は不機嫌になる。「いったい、どういうことなの!」。カルテをとじた青いファイルを2度3度、左手でたたく。先生は「これはねえ、役所のね……」。こういう時は「役所」という言葉が有効だ。女性も納得してくれた。そのあと先生が「ヘルパーさんに、買い物行ってもらえば……」と言うと、また不機嫌に。「買い物は1人でやりますから。人にやってもらうのは嫌」。ケアマネが「そうそう、嫌なんですよねえ」と素早くフォローした。「善意」がそのまま通じないのが認知症ケースの難しさだが、挑みがいもある。>も参考になります。
今度はチーム連携です。<訪問診療の暑い夏/4 留守役、息の合った連携>では<クリニックの患者は400人弱。2週間に1回の訪問が基本だが、その間にも相談の電話は頻々と入る。すべてを先生につなぐことはできないから、看護師の「前さばき」は重要になる。新患が入れば、訪問診療の前に説明に出向き、日常生活の様子を聞き取る。患者が退院して在宅に戻る時の病院との打ち合わせも、看護師が先生の代打ちをすることが多い。>
介護施設、訪問介護事業者、疾病に応じた専門医や入院が必要な場合の病院など、など、いろいろな手配連絡が不可欠でしょう。医師一人でできることは限られます。いい仕事は多様な関係者との連携とチームワークによって成り立つのでしょう。
そして重要な主役の一人は家族です。<訪問診療の暑い夏/5 肩肘張らず遠距離介護>では<東京都大田区に1人で暮らす山口貴美子さん(96)宅には毎週金曜の夜、大阪から長男、省三さん(68)がやって来る。週末ごとの遠距離介護は2年目になった。>
長男さんは頑張っています。<7月1日土曜日の朝9時すぎ、開店直後のスーパーに省三さんが姿を見せた。コロッケを三つに焼き魚2品。野菜の煮物も忘れてはならない。買うものは決まっているから滞在時間は5分ほど。総菜19品、しめて4230円。毎週決まって、ここで1週間分の食べ物を調達する。それが長男の「土曜朝の日課」だ。>
母親は訪問診療・看護は受け入れるのですが、<介護サービスは受け入れない。「面倒みてもらうのは嫌だ」。何度勧めてもダメ。最後は土下座までして「イヤ」を貫いた。食事はどうするのか。宅配弁当を頼む手もあったが、ゴミ出しができない。そこで長男の登場となった。>こういう女性、明治(もういないでしょうね)大正生まれに多いのですよね。私の母親もそうでした。
長男さんの思いやりもいいなと思うのです。<家族構成を聞かれて「4人です」と答えていた母。父も弟も病気で亡くなってもういないのに。そういえば、家族用サイズの炊飯器いっぱいに、ご飯を炊いている。「お父ちゃんと弟の分も炊いてるんだな」。母は昔の世界に生きているようで、認知症の心配もある。「好きな時に寝て食べて、ゆっくりできる。今が母にとって最後のチャンスかなあ」>と。
その家族をも支えないと訪問診療は成り立たないのですね。<訪問診療の暑い夏/6 患者支える家族もみる>では、<「お母さん、夜眠れてる?」。6月末、東京都大田区の訪問診療医、高瀬義昌先生(60)の月2回の定例の訪問診療。区内の夫婦2人暮らしの家に来て、先生がまず話しかけたのは妻の方だった。患者の夫より先に。「少しは。……ワインを飲んでみたんですよ」「お母さん、飲むなら漢方(薬)がいい」。妻はあれっという顔になる。「先生、聞く相手が違います……」
間違えたわけではない。「患者を支える家族もみる」が先生のポリシーなのだ。「お母さんが先に倒れちゃダメ。倒れたら、お父さんが大変だから」。そう言葉を重ねた。>
まさに訪問診療の醍醐味であり、医師の本領発揮でしょうか。
帰り際も見事です。<「お父さん、またねえ」。診療を終えると、先生は患者と握手する。親密さを伝えるのと同時に、最後にもう一度、手の震えや関節の硬さなど異変がないか感じ取りたいから。そして見送りの妻にも、車から一言を忘れない。「からだ大事に。奥様の方がね」>と。
いつは死を迎えるのですが、自宅が一番でしょう。<訪問診療の暑い夏/7 自宅で最期を迎える>で、みとりをこころ安らかな方法で行われています。
<東京都品川区の自宅で、昭子(てるこ)さんは息を引き取った。享年90。大腸がんだったが痛みは少なく、穏やかな最期だった。>
<みとりは、痛みを和らげたり体の状態に合わせた食事を考えたり、残りの人生を穏やかに過ごすのに主眼を置く。点滴など「生き続けさせる」措置はしない。ただ、家族にはつらい場合もある。何か食べたそうに見えるし、唇に食べ物が触れると口を動かすこともある。「それって、反射現象なんですよ」。訪問してくれる看護師とやり取りしながら、迷いのあった長男(65)も腹が決まった。
「9人きょうだいで育った母は、ゆっくり食べたら自分の分がなくなるって、食べるのは速かった」。それが徐々に、何も口にしなくなった。<枯れるように死ぬ>。手渡された先生の自著にあった一文そのままに、午前2時過ぎ、命を閉じた。
しらせを受けて駆けつけた看護師が昭子さんの体を清め、きれいな姿にしてくれた。そして、亡くなった後も数日間、家で過ごした。病院で亡くなると、人は「遺体」として扱われるが、自宅では少し違う。遺族はもちろん、お世話になったデイサービスのスタッフやご近所さんとのお別れの時間がたっぷり取れた。好きだったフラダンス用の純白のドレスを家族が着せ、見送った。>
今回の最後<訪問診療の暑い夏/8 父入院、動けない娘は>では、場所が、<トタンを壁に打ち付けた2階建ての貸家だ。>こういった場所も訪問診療では当然、重要な舞台となるのでしょう。
<古希をすぎた父と女性の部屋は散らかり放題だった。畳の床はたわんでいる。食べ物や薬のにおいが混じり合って室内に籠もっていた。確かに退院した父親が、ここですぐ生活するのは難しいだろう。>心配して毎日尋ねてきているという<兄だって仕事がある。>
訪問診療の生の現場は、まさにさまざまなヘルプが求められるのです。
<「介護保険を申請しようとしたけど、主治医が必要で……」。要介護認定の申請には主治医の意見書がいる。「俺がなってあげる」。先生が即座に請け合う。あとはケアマネジャーと、入院費など費用の相談に乗る人も必要だ。次の訪問先に向かう道すがら車内から親しい税理士に電話を入れ、入院に合わせて家に来てもらうことにした。父親の退院を延ばすよう病院にも掛け合わないと。クリニックの看護師に電話を入れて指示する。
女性の世話をしていた母親は、数年前に他界した。福祉サービスの手続きもせず、なぜ彼女がふせりがちなのかわからない。障害のある子どもを親がひとりで抱え込むと、その親が倒れた時に困ってしまう。福祉のサービスはいくつもあるが、助けを求めなければ声は届かない。>
最後はやはりさすがですね。
<訪問の最後には写真撮影をする。「記念写真」ではない。撮っておいてカルテに貼っておけば、クリニックの誰が来ても、患者や家族の顔、その時々の状況がわかる。女性と兄、税理士と先生がうまく納まるよう斜めに<隊列>を組んで並んだ。「救助隊!」。先生がおどけると女性が噴き出し、みんなもつられて笑った。>
なんだかんだといいながら、痛みを少し忘れて、高瀬医師の思いに乗り移ったようで、最後まで読んで、引用させていただきました。指先がびりびりしてきました。危ない状況。
今日はこれでおしまい。