Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

東ジャワ紀行(4)「ジャワ美人・ジャワ島歴史・海鮮料理」

2006-09-18 11:46:30 | インドネシアとバリ島の話
 長らく記事投稿をサボっていた・・・

 イザ記事を書くとなると、まことに躊躇する。何から書き始めてよいか迷いつつ、どうしたらよいか、我が事ながら全くわからないのである。まるで長く入院していた病人が、急にベッドから起き出して外出したくなったものの、娑婆の空気に触れるのは怖くてしかたないという感じか?さりとて、なれない外出は危険である。それと同じように、急に記事を書くのは躊躇しつつ気恥ずかしく、すべてが億劫なのだ。

 ならば本日、古い「飴風呂記事」を転載し、新記事「投稿」に代える。

オリジナルテーマ:東ジャワ紀行(4)美人・ジャワ島歴史・海鮮料理

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   〔本文〕

シンガポールのホテルを午前7時に出発して、延々10時間、ようやくスラバヤのホテルに到着。

日本を出発する以前からあらかじめ予約しておいたホテルにチェックインする。
明日は午前2時にホテルロビーにてアポイント。彼の組合表敬訪問と、組合役員たちと昼食をご一緒するお約束をした。
組合長アッバス氏は男爵のチェックインを見届け、エレベーターまで見送り、事務所に帰っていった。
組合長と別れた初日同日夕刻、さらに我輩は別の重要なアポイントをこなさなければならなかった。
大学教授のB博士は、すでに同ホテルのロビーで待機し、男爵の到着を待ちわびていた。
日本のN国立大学文学部に国費留学し博士号をとったドクターBは、流暢な日本語を駆使し、夜な夜なカラオケバーに通ったとの事、帰国してさらに磨きがかかり、いまやスラバヤでは名うての遊び人である。博士論文が「インドネシア語と日本語の比較言語論」というが、内容を聞いてみると日本語の単語の欠片とインドネシア語の単語の欠片を並べたて、対語訳リストをせっせと作ったそうだ。そして今なお当時の対語表にせっせと単語を追加しているという。
「なんだ、そんな作業で博士号が取れるのか?簡単なことだ、我輩でも出来るぜ」
と、コチトラ言いたくなる。
が、我輩はいまさら学者になる気が毛頭無いので、言わない。
その博士、ホテルのロビーにいてもソワソワと落ち着かない。
聞けば、
「我輩に博士の奥様を紹介しようと、ロビーで待ち合わせしているが、まだ来ない。どうしたのだろうか?」と、言う。
ウム!
そういえば、、、、
先ほどから約一名、裏門のところのロビーで誰と待ち合わせしている風情の女性を見かけた。目鼻立ちのすっきりした、インドネシア人とは思えないほどにウリザネ顔で色白の超美人がいた。美人だから記憶にある。
博士と一緒に裏門ロビーに歩いた。
超美人がにっこり笑ってソファーを立つではないか?
「なんだ、ドクターの奥様ではないか?」
我輩は驚いた。
参りました。

ジャワ島にはびっくりするくらい色の白いインドネシア人をしばしば見かける事なる。島国のインドネシア、外部からの他民族流入はたやすく、長年にわたる混血を積み重ね、世代交代のある時期、おのずと優良品種?が飛び出してくるのは必定。
よくわかりました、こういう美人がジャワ島にいる、その理由も、、、。

3人はホテルからタクシーを呼び、スラバヤ市内の海鮮料理屋のレストランに向った。

<続く>

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<添付画像>
撮影年月:2001年11月
撮影場所:スラバヤ市内、ローカルの海鮮レストラン入り口にて