本日も飴風呂引越記事、インドネシアジャワ島東ジャワ州より、、、。
<オリジナル原稿>
2005-03-15
子供シリーズ第2弾(東ジャワ州・ルマジャン県)
カメラレンズの目は、なぜか子供に向いている・・・
ジャワ島は、東ジャワ州のルマジャン県。
さる「うらびれた漁村」でのone-shot・・・
「うらびれた漁村」とは我輩の比較対照尺度であって、地元ではこれがあたりまえであり、決してしてうらびれてはいないのだ。
「朝早起きして漁村に向かい、そして撮った写真である」
と、言いたいのだが、そうはいかない。
何故か?
理由をご説明する。
まず第一に光の具合。この写真は、少し橙色(だいだいいろ)がかっている。これが朝だと、少し青みがかった色調になる。
第二に太陽光線の方向である。ご存知の通り、太陽は東から上り西に沈む。
この写真の太陽光線は右手斜めから差し込んでいる。事実、2001年の師走(日本で)、つまり南半球側に太陽が位置する午後3時過ぎ、撮影した写真である。
ちなみにインドネシアでは雨季、湿気だらけ、、。
湿気と塩分から、カメラ保護を如何に計らうか?かなり神経過敏な気分にて、かろうじて撮影す、、、。
子供の背中の方向が、海。
海はインド洋であるから、日本を背にした我輩は、当然北方向からインド洋つまり南方向に向けシャッターを切っている。
ならば、右手から射しこむ日差しは西方向からのものであるからして、簡単に東西南北の方向が判断できるのである。
西からの日差しであれば、時間は「午後」。
したがって、「朝の写真」ではない。
が、この景色は朝のショットがいい、是非撮りたい、と思う。
子供の背後は「入り江」になっており、右手をわずか数キロ下ると、海岸線から外洋に繋がる。さらに背後の椰子の木が点在する位置から2~3キロ先、ようやく海岸線に到達する。あることはあるのだろうが、なんだか日本ではあまり見なれない海岸線到達までの有態だ。はたまた、数十年前はこの入り江の場所が海岸線であったという。
南の方角の砂洲は少なくとも2キロ以上にわたって盛り上がっている。
浜の砂は、真っ黒。
重くてきらきら光を発する。磁石にくっつく。つまり、砂鉄の海岸だ。
南西から、つまりオーストラリア方向から一定の風速で四六時中、いや、年がら年中吹き上げてくる風が、この砂洲を形成していると聞く。
この砂洲は、一年間で2~30cmも海岸に伸びつつあるという。たいへんな勢いで、風が陸地を造成する現場を見た。
自然の「力」は大きく、
あらためて、
地球は生きているのだ!と、気付く。
当時、海岸線に辿り着こうとする調査隊隊員(我輩一人のみ)は、地元ルマジャン県庁職員10数名のご同行の中、まず、わずか50メートルにもならない川幅で浅い入り江を敢えてカヌーで渡り、さらに砂鉄の砂洲をひたすら4~50分歩き、ようやく海岸線に到達した。そして砂鉄海岸線に上がってきた「漁師」たちのショット、これが先にご紹介した「かじきマグロ」の写真となるのである。
写真の子供は、たぶん、初めて日本人(我輩)を見たに違いない・・・
我輩も、彼らと出会うのは初めてである。
また会える日があれば、その時、彼らは一人前の漁師になっているだろう、、、。
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カメラレンズの目は、なぜか子供に向いている・・・
ジャワ島は、東ジャワ州のルマジャン県。
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「うらびれた漁村」とは我輩の比較対照尺度であって、地元ではこれがあたりまえであり、決してしてうらびれてはいないのだ。
「朝早起きして漁村に向かい、そして撮った写真である」
と、言いたいのだが、そうはいかない。
何故か?
理由をご説明する。
まず第一に光の具合。この写真は、少し橙色(だいだいいろ)がかっている。これが朝だと、少し青みがかった色調になる。
第二に太陽光線の方向である。ご存知の通り、太陽は東から上り西に沈む。
この写真の太陽光線は右手斜めから差し込んでいる。事実、2001年の師走(日本で)、つまり南半球側に太陽が位置する午後3時過ぎ、撮影した写真である。
ちなみにインドネシアでは雨季、湿気だらけ、、。
湿気と塩分から、カメラ保護を如何に計らうか?かなり神経過敏な気分にて、かろうじて撮影す、、、。
子供の背中の方向が、海。
海はインド洋であるから、日本を背にした我輩は、当然北方向からインド洋つまり南方向に向けシャッターを切っている。
ならば、右手から射しこむ日差しは西方向からのものであるからして、簡単に東西南北の方向が判断できるのである。
西からの日差しであれば、時間は「午後」。
したがって、「朝の写真」ではない。
が、この景色は朝のショットがいい、是非撮りたい、と思う。
子供の背後は「入り江」になっており、右手をわずか数キロ下ると、海岸線から外洋に繋がる。さらに背後の椰子の木が点在する位置から2~3キロ先、ようやく海岸線に到達する。あることはあるのだろうが、なんだか日本ではあまり見なれない海岸線到達までの有態だ。はたまた、数十年前はこの入り江の場所が海岸線であったという。
南の方角の砂洲は少なくとも2キロ以上にわたって盛り上がっている。
浜の砂は、真っ黒。
重くてきらきら光を発する。磁石にくっつく。つまり、砂鉄の海岸だ。
南西から、つまりオーストラリア方向から一定の風速で四六時中、いや、年がら年中吹き上げてくる風が、この砂洲を形成していると聞く。
この砂洲は、一年間で2~30cmも海岸に伸びつつあるという。たいへんな勢いで、風が陸地を造成する現場を見た。
自然の「力」は大きく、
あらためて、
地球は生きているのだ!と、気付く。
当時、海岸線に辿り着こうとする調査隊隊員(我輩一人のみ)は、地元ルマジャン県庁職員10数名のご同行の中、まず、わずか50メートルにもならない川幅で浅い入り江を敢えてカヌーで渡り、さらに砂鉄の砂洲をひたすら4~50分歩き、ようやく海岸線に到達した。そして砂鉄海岸線に上がってきた「漁師」たちのショット、これが先にご紹介した「かじきマグロ」の写真となるのである。
写真の子供は、たぶん、初めて日本人(我輩)を見たに違いない・・・
我輩も、彼らと出会うのは初めてである。
また会える日があれば、その時、彼らは一人前の漁師になっているだろう、、、。
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