あれから一週間が経った。
こともあろうに「昭和天皇ご発言メモ」なるものをでかでかと公表公開し、あげくの果てにはジャーナリストのあてずっぽう的推測まで書き加え、いかにも昭和天皇をして「A級戦犯の靖国合祀に対して不快の念」を持っておられたとか、訳の分らない報道がなされたのは先週金曜日(7月21日)である。
(こじつけの私論にて)そもそも靖国問題の根底に在るのは、先の敗戦による「東京裁判」から結果した「A級戦犯」該当者の靖国神社合祀を賛否云々する問題である。終戦から60数年も経過、我が国の外交史観と国家史観の背骨は、未だに未熟である。
我が国、弱腰外交の脆弱性の根拠なるもの、はたまた今日的靖国問題は全て、歴史誤認識ともいえる軟体動物的歴史感覚から派生した負の遺産から成る。
上述、まずは「ご同意」下さる方、
是非下記BARをクリック頂き、「不肖・エセ男爵ブログ」の人気?不人気?度合いをチェックしてください!
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)
1945年8月敗戦の結果、我が国は不法な侵略戦争を行なったとされ、東京裁判にて裁かれ戦犯をつくり我が国の誇りを消滅壊滅させ、しめてサンフランシスコ条約締結にて非占領国家から一応の独立を果たした経緯がある。さて、上述の一箇所でも「歴史認識」を違えた場合、異なる判断と方向性が生じてくるのは当然である。
若し、日本国にとって(先の大戦は)侵略戦争ではなく自衛戦争であったとすれば、どうなるか。当然ながら、東京裁判のかの判決はありえないし起こりえない。東京裁判の判決なくして、A級戦犯の対象者は存在し得ない。どうやら、先の戦争は侵略戦争でもなく東京裁判は国際法上不法にて成立しないという判断、現在国際法上の常識とされつつある(らしい)。
歴史は動いている。
歴史は生きている。
歴史認識は目まぐるしくかわる。
我々は正しき歴史認識を持ち、健全なる国家認識とは何かを、今一度、組み立てなおさねばならない。
ならば、先週の昭和天皇ご発言メモとは、なにを意味するものか?全く報道の意味を成さなくなる。こんな無意味で世間を空騒ぎさせる報道、在ってよいのか?
メモの出処は公にできず、内緒のままで済ませるならば、今の我が国に於けるジャーナリズムをして、本来持つべきモラルも倫理も存在しないことの逆証明になるか。
ああ、嘆かわしきかな。日本報道世界の誇りは、いずこに消え去ったか・・・
そんなとき、渡部昇一先生と櫻井よしこ女史、いみじくも時を同じくして、同じテーマを同じ感度で捉えておられるから、痛快になった。
<その1>
根も葉もない、根拠の無い、出処不明の報道をしたあと、その後の論拠証明たるものが未だに成されていないから如何にも現代日本国に於ける報道なるもの、覗き見趣味的無責任さは丸出しとなって垂れ流し、精神的不衛生なること甚だしく、止まるところがない。
昨日の報道(7月27日)によれば、谷垣禎一財務大臣はポスト小泉に向け「出馬表明」をしたとか。その時に「靖国参拝問題」を否定的に捉える旨、あわせて報道された。何たる事か、自民党総裁選に「靖国参拝問題」を政策に取り上げるのか。ポスト小泉選びの論点とは、そのような低次元且つ無益な「論点」を選び言葉遊びを楽しんでいるほどに悠長な時ではないと考える。
ミサイルがいつ発射されるかわからない周辺隣国暴力団的国家から我が国民と国家を守る安全保障の体制は、どうなっているのか?今後の対応はどうするのか!
そう、
次期総理に於いてして、日本国民は万事承知にて、世界に知れわたっている最重要事項あり。
憲法改正を最大目標としたポスト小泉選びでなくて、どうするか。
ならば国家百年の計=平成新憲法制定内閣とならねばいけないのでは、、、。
そのためには一刻を争って自虐的歴史観から脱却し国を愛す国民の総意を形成する一役をになうは、隣国ではなく我が国のマスコミであり知識人ならびに政治家により、力強いリーダーシップを執って前進あるのみ。と、願ってやまない。
バカバカしく、もう話にはならぬ。が、真っ二つに割れた日本国民の巷の議論をこのまま放ってはおけない。
あらためて整理する。
当シリーズ記事は、
1) 靖国問題をして、如何に無知無意味な論争であるか。という基本姿勢をまずは示したく、
2) 捻じ曲がった我国の国家観を正したく、
3) 悲観的自虐的な我国の国家観を正しく見つめたく、
4) そのためには日本人の日本人による正しき歴史認識を持ちたく、
5) もって日本人として生を授かった我国「日本を愛し」たく、
6) 国を愛する気持ちを携えて、我国の将来を見据えたく、
7) 日本国民老若男女共々、挙って発展的な我が国の将来の「目標」をもてるよう、
とりあえずは、我が頭脳と気持ちを整理する目的にて記事を書く。
本日(2回目投稿)記事、さきの「昭和天皇ご発言メモ」の根底に流れる問題点なるものあり。すなわち、かの東京裁判によって判決を下された「A級戦犯」について考察し、A級戦犯なるものは「そもそも存在しない」と、位置付けたい。東京裁判そのものが違法であったとすれば、A級戦犯は存在しななくなる。存在しないA級戦犯を祀る靖国神社を参拝する行為については、これを百歩譲ったとしても、ゆめゆめ中韓からの中傷を受けるべき行為ではない。いわんや、我が国内の「自虐的国家観を持つ輩殻」から云々いわれる筋合いのものではない。
さて、上述の「展開」分かり切った「事柄」なれど、
以下、櫻井よしこ著『この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006』ならびに渡部昇一先著『「反日」を拒絶できる日本』より引用し、我が脳裏の引き出しを整理しておきたい。
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
-----------------------------------------------------
<その-2>
<櫻井よしこ著「この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006」より引用>
『見せしめにされた東京裁判と“A級戦犯”』(p9~p11)<第1章 国を滅ぼす“理念なき改革”より全文引用>
是非読んで欲しい一冊がある。一〇年近く前に出版された「世界がさばく東京裁判」(佐藤和夫監修、終戦五十周年国民委員会編、ジュピター出版)である。
佐藤氏は青山学院大学名誉教授で、法学博士である。「終戦五十周年国民委員会」副会長として「戦後、日本社会に巣食ってその骨髄をむしばみ、健全な国民精神を頽廃させてやまない」東京裁判史観の見直しと、東京裁判について世界の専門家の評価をまとめたのが同書である。同書は、国際社会の識者八十五人に上る錚々たる人びとの東京裁判批判によって構成される。
たとえば、ソ連封じ込め政策の立案者で、国際政治の権威、ジョージ・ケナンである。彼は一九四八年に来日し、マッカーサーの占領行政に驚愕して書いた。「一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとした思えないものだった」(前掲書六二ページ)と。
彼はまた、東京裁判を厳しく批判している。「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。(中略)公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。(中略)戦争の勝ち負けが国家の裁判である」(同六二ページ)
マッカーサーのアドバイザーを努めたウイリアム・シーボルド総司令部外交局長は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと事態が誤りであったと感じた。 ・・・当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ」と書いた。
役職上は東京裁判を支持し遂行しなければならない立場の人物でさえ、このように批判したのだ。彼は、抗議の意思を表すため、東京裁判が終わるまで再び法廷には戻らなかった。
そして、以下のことはつとに知られているのだが、再度強調しておきたいのは、マッカーサー自身、東京裁判は誤りだったと告白していることだ。彼の告白は一九五〇年一〇月一五日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際の述懐である。また五一年五月三日にマッカーサーは米議会上院の軍事外交委員会で証言し、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と述べている。『世界が裁く東京裁判』に集められたこれらの証言の数々は、東京裁判についての国際社会、就中(なかんずく)、専門家は、「東京裁判こそ国際法違反である」と断じていることを示している。
ところが、同書の「あとがき」では心痛むことが指摘されている。同書をまとめるために日本の国会図書館などで文献に当たったところ、「意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している一方、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った」というのだ。日本全体が東京裁判史観に染め上げられているのだ。
佐藤氏らは、当初は日本の戦争をすべて侵略戦争として断罪した東京裁判の考えを批判することによって、日本を精神的につぶした東京裁判史観を払拭したい、戦犯の汚名を着せられた一千余人の名誉回復を図りたいと考えていたという。しかし、東京裁判のあまりの無法ぶりを痛感するにつれ、「東京裁判によって貶(おとし)められた国際法の権威を取り戻すためにも、東京裁判は批判されなければならない」と考えるに至ったそうだ。日本人と日本国の名誉と誇りを取り戻したいと考えて始めた調査は、国際社会の至宝のあり方はこんなもので良いのかという義憤および問いへとつながっていったわけだ。
いま、中国も韓国も、日本国の首相に、“A級戦犯”の合祀されている靖国神社に参拝してはならないと言う。私たち日本人は歴史を根幹から見つめ、東京裁判の無法と無効を論点整理し、世界の法秩序と平和を守るためにこそ、東京裁判や“A級戦犯”が見せしめとしての日本断罪であったことを彼らに説いていかねばならない。
(『週刊ダイヤモンド』二〇〇五年七月二三日号)
<引用・完>
---------------------------------------------------
<その-3>
以下、渡部昇一先生の「お考え」を、以下引用してみよう。
渡部昇一著『「反日」を拒絶できる日本』(2006年4月30日 第一刷)より
「第二章 A級戦犯など居やしない」第一項「東京裁判」東条首相の主張~第二項「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」を、引用する。
第一項 「東京裁判」東条首相の主張(p69~p71)
小泉首相に関して、皇室典範では大いなる疑問を感じましたが、靖国神社参拝を続けていることについては支持しています。
したがって私は、靖国神社に替わる「国立全没者追悼施設」の新設などという動きには反対です。(以下、本文より3行省略・・)
昨年夏*、私は東条英機元首相の宣誓供述書の解説を執筆しました。(東条由布子編『大東亜戦争の真実~東条英機の宣誓供述書』解説)。なぜ、終戦直後に刊行されてすぐ発売禁止になった東条英機被告の供述書の解説を書く気になったのかといえば、むろん彼を弁護するためではありませんでした。「大東亜戦争は断じて侵略戦争ではなかった」という東条首相の言い分が正しかったことを世に伝えたいと思ったからです。
東条被告はこう供述しています。
《私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認された国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。私はいまだかつてわが国を本戦争を成したことをもって国際犯罪なりとして勝者より訴追され、敗戦国の適法な官吏であった者が個人的の国際法上の犯人、また条約の違反者として糾弾(きゅうだん)されるとは考えたこととてはない》
大東亜戦争が侵略戦争ではなく、したがってA級戦犯などというものは全く戦勝国がでっち上げたフィクションにすぎないということを日本人が知れば、A級戦犯を祀(まつ)っている靖国神社に参拝するのは許せないという、中国や韓国からのいわれのない批判など吹っ飛んでしまいます。当然、国家追悼施設など新設する必要もなくなります。そこで、東京裁判の性格をもう一度振り返り、改めて「日本の主張」を伝えたいと思って東条被告の宣誓供述書を取り上げたのです。
詳しくは後述するとして、東京裁判はいかなる法律に基づくものでもありませんでした。
あの裁判は連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥の権力に基づき、GHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)によって開廷されたものにすぎません。
「チャーター」というのは第一条から第十七条までありますが、とても短い条例で、一応東京裁判の管轄、実態法、手続法などを記しています。といっても、国際法や慣習法、文明国同士の条約などに拠(よ)ったものではありません。そうした処法律とは一切無関係に、全くマッカーサー一個の権威に基づくだけの条例でした。
したがって極論すれば、東京合判というのは当時の国際法に基づく正式な裁判ではなく、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が命じてやらせた「復讐裁判」ないし「私刑」(リンチ)のようなものでした。そんな場で、戦前の日本人は侵略戦争をしたと決めつけられたのです。
第二項 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった(p72~p76)
ところが、その裁判をやらせた当のマッカーサーが、戦後の一九五一年(昭和二六年)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争に突入したのは主として自存自衛のためであった」と証言したのです。そこにあげられた理由も、東条被告の主張と同じです。東条被告とまったく同じ意見でした。
マッカーサーが米上院の軍事外交合同委員会で証言を求められることになった経緯は次のとおりでした。
昭和二十五年、朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは総司令官として戦線に出ますが、北朝鮮の背後には中国とソ連がいて、際限もなく武器や弾薬を送り込んできていました。そこで彼は北朝鮮の背後に位置する旧満州の爆撃をトルーマン大統領に進言します。合わせて、東シナ海の港湾をすべて押さえる構想も立てました。ところが当時は、世界大戦が終わってまだ五年しかたっていません。ふたたび大戦争に突入するのを嫌ったトルーマンは彼の提案に反対しましたが、マッカーサーがそれでも自説を曲げないため、ついに解任してしまいます。そうしてマッカーサーはアメリカ本国に召還され、上院で証言を求められることになったのです。
アメリカの上院というのは、「盲腸」などと揶揄(やゆ)されている我国の参議院とは性格がまるで違います。アメリカでは各州の独立性が非常に高いわけですが、そんな各州からふたりずつ議員が送り込まれ構成されているのが上院です。上院が置かれているのはどこの州でもない場所 ― すなわちDC、ディストリクト・オブ・コロンビア(コロンビア特別区)です。ここは連邦会議直轄地で、どの州にも属していません。そこに各州の代表が集まって各州に共通する問題を検討するのです。それがアメリカの上院です。日本の参議院と比べものにならないほど権威の高い議会です。アメリカの学者で、「一人の上院議員の力は下院議員の十人分ぐらいある」と私にいった人もいます。
各州に共通する問題といえば軍事と外交になります。したがってアメリカ上院軍事外交合同委員会というものは、軍事・外交に関する限りアメリカでは一番権威ある公の場ということになります。
そんな議会でマッカーサーは、日本が戦争に突入するに至った東亜の事情について、ヒッケンルーバー議員の質問に対してこう述べたのです。
《日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
若しこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです》(小堀敬一郎編「東京裁判 日本の弁明」講談社学術文庫五六四~五ページ)
最後のくだりは非常に重要な指摘です。英語の判る日本人にはみな暗記してもらいたいと思っておりますので敢えて英語でも記しておきましょう。
《Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.》
マッカーサーがやらせたといっても過言でない東京裁判の趣旨は「日本は侵略戦争をした」ということでした。ところが、そのマッカーサーがアメリカの上院で「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したのです。しかも、日本の開戦理由については「安全保障のため」であったと指摘しています。
これは東条首相の宣誓供述書にある「自衛戦であった」という意見とまったく同じです。
日本の開戦は自衛のためであった、断じて侵略戦争ではなかった ― となれば当然、東条首相は無罪ということになります。
これこそ、すべての日本人が知らなければならないポイントです。
戦後に日本人は、大東亜戦争は侵略戦争であったと教えられてきました。戦前の日本は外国の領土を侵略ばかりしていた悪い国であったと教えられてきたのです。そのために自国を貶めるような思想が日本中に蔓延(まんえん)し、日本人としてのプライドはずたずたに引き裂かれてしまいました。ところが東京裁判を開かせ、日本人に罪悪感を植えつけたマッカーサー本人が「日本の戦争は侵略戦争ではなかった」と、折り紙をつけてくれたのです。日本人全員が知らなければいけない「歴史の真実」といっても大袈裟ではありません。
そこで私は、雑誌「正論」でマッカーサーの証言録の連載を喜んでおり、また『東条英機宣誓供述書』の刊行を奨めたのです。このふたつの証言は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」という誤った見方を正してくれる好一対の貴重な資料です。私は、東条首相を弁護するために「東条英機宣誓供述書」の刊行を進めたではありません。大東亜戦争はけっして侵略戦争ではなく、自衛戦争であったという「真実」を明らかにしたくて「東条英機供述宣誓書」の解説を書いたのです。
東条首相の弁護をしていると受け取られることは私の本意ではありません。
(引用、完)
読み比べていただいて、如何?
渡部先生も櫻井女史も、切り口はいささか異なれども「全く同じ方向のご意見」をお持ちになっているから痛快である。
痛快に思われる方、是非下記バーをクリック願いたい。
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
*(第一回関連記事「昭和天皇ご発言メモ報道による、マスメディアの資質を問う」は、こちらから入れます・・)
次号(8月8日記事へ)<続く・・>こちらから入れます・・・
こともあろうに「昭和天皇ご発言メモ」なるものをでかでかと公表公開し、あげくの果てにはジャーナリストのあてずっぽう的推測まで書き加え、いかにも昭和天皇をして「A級戦犯の靖国合祀に対して不快の念」を持っておられたとか、訳の分らない報道がなされたのは先週金曜日(7月21日)である。
(こじつけの私論にて)そもそも靖国問題の根底に在るのは、先の敗戦による「東京裁判」から結果した「A級戦犯」該当者の靖国神社合祀を賛否云々する問題である。終戦から60数年も経過、我が国の外交史観と国家史観の背骨は、未だに未熟である。
我が国、弱腰外交の脆弱性の根拠なるもの、はたまた今日的靖国問題は全て、歴史誤認識ともいえる軟体動物的歴史感覚から派生した負の遺産から成る。
上述、まずは「ご同意」下さる方、
是非下記BARをクリック頂き、「不肖・エセ男爵ブログ」の人気?不人気?度合いをチェックしてください!
毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)
1945年8月敗戦の結果、我が国は不法な侵略戦争を行なったとされ、東京裁判にて裁かれ戦犯をつくり我が国の誇りを消滅壊滅させ、しめてサンフランシスコ条約締結にて非占領国家から一応の独立を果たした経緯がある。さて、上述の一箇所でも「歴史認識」を違えた場合、異なる判断と方向性が生じてくるのは当然である。
若し、日本国にとって(先の大戦は)侵略戦争ではなく自衛戦争であったとすれば、どうなるか。当然ながら、東京裁判のかの判決はありえないし起こりえない。東京裁判の判決なくして、A級戦犯の対象者は存在し得ない。どうやら、先の戦争は侵略戦争でもなく東京裁判は国際法上不法にて成立しないという判断、現在国際法上の常識とされつつある(らしい)。
歴史は動いている。
歴史は生きている。
歴史認識は目まぐるしくかわる。
我々は正しき歴史認識を持ち、健全なる国家認識とは何かを、今一度、組み立てなおさねばならない。
ならば、先週の昭和天皇ご発言メモとは、なにを意味するものか?全く報道の意味を成さなくなる。こんな無意味で世間を空騒ぎさせる報道、在ってよいのか?
メモの出処は公にできず、内緒のままで済ませるならば、今の我が国に於けるジャーナリズムをして、本来持つべきモラルも倫理も存在しないことの逆証明になるか。
ああ、嘆かわしきかな。日本報道世界の誇りは、いずこに消え去ったか・・・
そんなとき、渡部昇一先生と櫻井よしこ女史、いみじくも時を同じくして、同じテーマを同じ感度で捉えておられるから、痛快になった。
<その1>
根も葉もない、根拠の無い、出処不明の報道をしたあと、その後の論拠証明たるものが未だに成されていないから如何にも現代日本国に於ける報道なるもの、覗き見趣味的無責任さは丸出しとなって垂れ流し、精神的不衛生なること甚だしく、止まるところがない。
昨日の報道(7月27日)によれば、谷垣禎一財務大臣はポスト小泉に向け「出馬表明」をしたとか。その時に「靖国参拝問題」を否定的に捉える旨、あわせて報道された。何たる事か、自民党総裁選に「靖国参拝問題」を政策に取り上げるのか。ポスト小泉選びの論点とは、そのような低次元且つ無益な「論点」を選び言葉遊びを楽しんでいるほどに悠長な時ではないと考える。
ミサイルがいつ発射されるかわからない周辺隣国暴力団的国家から我が国民と国家を守る安全保障の体制は、どうなっているのか?今後の対応はどうするのか!
そう、
次期総理に於いてして、日本国民は万事承知にて、世界に知れわたっている最重要事項あり。
憲法改正を最大目標としたポスト小泉選びでなくて、どうするか。
ならば国家百年の計=平成新憲法制定内閣とならねばいけないのでは、、、。
そのためには一刻を争って自虐的歴史観から脱却し国を愛す国民の総意を形成する一役をになうは、隣国ではなく我が国のマスコミであり知識人ならびに政治家により、力強いリーダーシップを執って前進あるのみ。と、願ってやまない。
バカバカしく、もう話にはならぬ。が、真っ二つに割れた日本国民の巷の議論をこのまま放ってはおけない。
あらためて整理する。
当シリーズ記事は、
1) 靖国問題をして、如何に無知無意味な論争であるか。という基本姿勢をまずは示したく、
2) 捻じ曲がった我国の国家観を正したく、
3) 悲観的自虐的な我国の国家観を正しく見つめたく、
4) そのためには日本人の日本人による正しき歴史認識を持ちたく、
5) もって日本人として生を授かった我国「日本を愛し」たく、
6) 国を愛する気持ちを携えて、我国の将来を見据えたく、
7) 日本国民老若男女共々、挙って発展的な我が国の将来の「目標」をもてるよう、
とりあえずは、我が頭脳と気持ちを整理する目的にて記事を書く。
本日(2回目投稿)記事、さきの「昭和天皇ご発言メモ」の根底に流れる問題点なるものあり。すなわち、かの東京裁判によって判決を下された「A級戦犯」について考察し、A級戦犯なるものは「そもそも存在しない」と、位置付けたい。東京裁判そのものが違法であったとすれば、A級戦犯は存在しななくなる。存在しないA級戦犯を祀る靖国神社を参拝する行為については、これを百歩譲ったとしても、ゆめゆめ中韓からの中傷を受けるべき行為ではない。いわんや、我が国内の「自虐的国家観を持つ輩殻」から云々いわれる筋合いのものではない。
さて、上述の「展開」分かり切った「事柄」なれど、
以下、櫻井よしこ著『この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006』ならびに渡部昇一先著『「反日」を拒絶できる日本』より引用し、我が脳裏の引き出しを整理しておきたい。
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
-----------------------------------------------------
<その-2>
<櫻井よしこ著「この国を、なぜ、愛せないのか 論戦2006」より引用>
この国を、なぜ、愛せないのか~論戦2006ダイヤモンド社このアイテムの詳細を見る |
『見せしめにされた東京裁判と“A級戦犯”』(p9~p11)<第1章 国を滅ぼす“理念なき改革”より全文引用>
是非読んで欲しい一冊がある。一〇年近く前に出版された「世界がさばく東京裁判」(佐藤和夫監修、終戦五十周年国民委員会編、ジュピター出版)である。
佐藤氏は青山学院大学名誉教授で、法学博士である。「終戦五十周年国民委員会」副会長として「戦後、日本社会に巣食ってその骨髄をむしばみ、健全な国民精神を頽廃させてやまない」東京裁判史観の見直しと、東京裁判について世界の専門家の評価をまとめたのが同書である。同書は、国際社会の識者八十五人に上る錚々たる人びとの東京裁判批判によって構成される。
たとえば、ソ連封じ込め政策の立案者で、国際政治の権威、ジョージ・ケナンである。彼は一九四八年に来日し、マッカーサーの占領行政に驚愕して書いた。「一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとした思えないものだった」(前掲書六二ページ)と。
彼はまた、東京裁判を厳しく批判している。「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。(中略)公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。(中略)戦争の勝ち負けが国家の裁判である」(同六二ページ)
マッカーサーのアドバイザーを努めたウイリアム・シーボルド総司令部外交局長は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと事態が誤りであったと感じた。 ・・・当時としては、国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ」と書いた。
役職上は東京裁判を支持し遂行しなければならない立場の人物でさえ、このように批判したのだ。彼は、抗議の意思を表すため、東京裁判が終わるまで再び法廷には戻らなかった。
そして、以下のことはつとに知られているのだが、再度強調しておきたいのは、マッカーサー自身、東京裁判は誤りだったと告白していることだ。彼の告白は一九五〇年一〇月一五日、ウェーキ島でトルーマン大統領と会見した際の述懐である。また五一年五月三日にマッカーサーは米議会上院の軍事外交委員会で証言し、日本が戦争に突入した動機は「大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と述べている。『世界が裁く東京裁判』に集められたこれらの証言の数々は、東京裁判についての国際社会、就中(なかんずく)、専門家は、「東京裁判こそ国際法違反である」と断じていることを示している。
ところが、同書の「あとがき」では心痛むことが指摘されている。同書をまとめるために日本の国会図書館などで文献に当たったところ、「意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的視野に立って『連合国の戦争責任』を追及している一方、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った」というのだ。日本全体が東京裁判史観に染め上げられているのだ。
佐藤氏らは、当初は日本の戦争をすべて侵略戦争として断罪した東京裁判の考えを批判することによって、日本を精神的につぶした東京裁判史観を払拭したい、戦犯の汚名を着せられた一千余人の名誉回復を図りたいと考えていたという。しかし、東京裁判のあまりの無法ぶりを痛感するにつれ、「東京裁判によって貶(おとし)められた国際法の権威を取り戻すためにも、東京裁判は批判されなければならない」と考えるに至ったそうだ。日本人と日本国の名誉と誇りを取り戻したいと考えて始めた調査は、国際社会の至宝のあり方はこんなもので良いのかという義憤および問いへとつながっていったわけだ。
いま、中国も韓国も、日本国の首相に、“A級戦犯”の合祀されている靖国神社に参拝してはならないと言う。私たち日本人は歴史を根幹から見つめ、東京裁判の無法と無効を論点整理し、世界の法秩序と平和を守るためにこそ、東京裁判や“A級戦犯”が見せしめとしての日本断罪であったことを彼らに説いていかねばならない。
(『週刊ダイヤモンド』二〇〇五年七月二三日号)
<引用・完>
---------------------------------------------------
<その-3>
以下、渡部昇一先生の「お考え」を、以下引用してみよう。
渡部昇一著『「反日」を拒絶できる日本』(2006年4月30日 第一刷)より
「反日」を拒絶できる日本徳間書店このアイテムの詳細を見る |
「第二章 A級戦犯など居やしない」第一項「東京裁判」東条首相の主張~第二項「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」を、引用する。
第一項 「東京裁判」東条首相の主張(p69~p71)
小泉首相に関して、皇室典範では大いなる疑問を感じましたが、靖国神社参拝を続けていることについては支持しています。
したがって私は、靖国神社に替わる「国立全没者追悼施設」の新設などという動きには反対です。(以下、本文より3行省略・・)
昨年夏*、私は東条英機元首相の宣誓供述書の解説を執筆しました。(東条由布子編『大東亜戦争の真実~東条英機の宣誓供述書』解説)。なぜ、終戦直後に刊行されてすぐ発売禁止になった東条英機被告の供述書の解説を書く気になったのかといえば、むろん彼を弁護するためではありませんでした。「大東亜戦争は断じて侵略戦争ではなかった」という東条首相の言い分が正しかったことを世に伝えたいと思ったからです。
東条被告はこう供述しています。
《私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認された国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。私はいまだかつてわが国を本戦争を成したことをもって国際犯罪なりとして勝者より訴追され、敗戦国の適法な官吏であった者が個人的の国際法上の犯人、また条約の違反者として糾弾(きゅうだん)されるとは考えたこととてはない》
大東亜戦争が侵略戦争ではなく、したがってA級戦犯などというものは全く戦勝国がでっち上げたフィクションにすぎないということを日本人が知れば、A級戦犯を祀(まつ)っている靖国神社に参拝するのは許せないという、中国や韓国からのいわれのない批判など吹っ飛んでしまいます。当然、国家追悼施設など新設する必要もなくなります。そこで、東京裁判の性格をもう一度振り返り、改めて「日本の主張」を伝えたいと思って東条被告の宣誓供述書を取り上げたのです。
詳しくは後述するとして、東京裁判はいかなる法律に基づくものでもありませんでした。
あの裁判は連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥の権力に基づき、GHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)によって開廷されたものにすぎません。
「チャーター」というのは第一条から第十七条までありますが、とても短い条例で、一応東京裁判の管轄、実態法、手続法などを記しています。といっても、国際法や慣習法、文明国同士の条約などに拠(よ)ったものではありません。そうした処法律とは一切無関係に、全くマッカーサー一個の権威に基づくだけの条例でした。
したがって極論すれば、東京合判というのは当時の国際法に基づく正式な裁判ではなく、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が命じてやらせた「復讐裁判」ないし「私刑」(リンチ)のようなものでした。そんな場で、戦前の日本人は侵略戦争をしたと決めつけられたのです。
第二項 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった(p72~p76)
ところが、その裁判をやらせた当のマッカーサーが、戦後の一九五一年(昭和二六年)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争に突入したのは主として自存自衛のためであった」と証言したのです。そこにあげられた理由も、東条被告の主張と同じです。東条被告とまったく同じ意見でした。
マッカーサーが米上院の軍事外交合同委員会で証言を求められることになった経緯は次のとおりでした。
昭和二十五年、朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは総司令官として戦線に出ますが、北朝鮮の背後には中国とソ連がいて、際限もなく武器や弾薬を送り込んできていました。そこで彼は北朝鮮の背後に位置する旧満州の爆撃をトルーマン大統領に進言します。合わせて、東シナ海の港湾をすべて押さえる構想も立てました。ところが当時は、世界大戦が終わってまだ五年しかたっていません。ふたたび大戦争に突入するのを嫌ったトルーマンは彼の提案に反対しましたが、マッカーサーがそれでも自説を曲げないため、ついに解任してしまいます。そうしてマッカーサーはアメリカ本国に召還され、上院で証言を求められることになったのです。
アメリカの上院というのは、「盲腸」などと揶揄(やゆ)されている我国の参議院とは性格がまるで違います。アメリカでは各州の独立性が非常に高いわけですが、そんな各州からふたりずつ議員が送り込まれ構成されているのが上院です。上院が置かれているのはどこの州でもない場所 ― すなわちDC、ディストリクト・オブ・コロンビア(コロンビア特別区)です。ここは連邦会議直轄地で、どの州にも属していません。そこに各州の代表が集まって各州に共通する問題を検討するのです。それがアメリカの上院です。日本の参議院と比べものにならないほど権威の高い議会です。アメリカの学者で、「一人の上院議員の力は下院議員の十人分ぐらいある」と私にいった人もいます。
各州に共通する問題といえば軍事と外交になります。したがってアメリカ上院軍事外交合同委員会というものは、軍事・外交に関する限りアメリカでは一番権威ある公の場ということになります。
そんな議会でマッカーサーは、日本が戦争に突入するに至った東亜の事情について、ヒッケンルーバー議員の質問に対してこう述べたのです。
《日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
若しこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要にせまられてのことだったのです》(小堀敬一郎編「東京裁判 日本の弁明」講談社学術文庫五六四~五ページ)
最後のくだりは非常に重要な指摘です。英語の判る日本人にはみな暗記してもらいたいと思っておりますので敢えて英語でも記しておきましょう。
《Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.》
マッカーサーがやらせたといっても過言でない東京裁判の趣旨は「日本は侵略戦争をした」ということでした。ところが、そのマッカーサーがアメリカの上院で「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したのです。しかも、日本の開戦理由については「安全保障のため」であったと指摘しています。
これは東条首相の宣誓供述書にある「自衛戦であった」という意見とまったく同じです。
日本の開戦は自衛のためであった、断じて侵略戦争ではなかった ― となれば当然、東条首相は無罪ということになります。
これこそ、すべての日本人が知らなければならないポイントです。
戦後に日本人は、大東亜戦争は侵略戦争であったと教えられてきました。戦前の日本は外国の領土を侵略ばかりしていた悪い国であったと教えられてきたのです。そのために自国を貶めるような思想が日本中に蔓延(まんえん)し、日本人としてのプライドはずたずたに引き裂かれてしまいました。ところが東京裁判を開かせ、日本人に罪悪感を植えつけたマッカーサー本人が「日本の戦争は侵略戦争ではなかった」と、折り紙をつけてくれたのです。日本人全員が知らなければいけない「歴史の真実」といっても大袈裟ではありません。
そこで私は、雑誌「正論」でマッカーサーの証言録の連載を喜んでおり、また『東条英機宣誓供述書』の刊行を奨めたのです。このふたつの証言は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった」という誤った見方を正してくれる好一対の貴重な資料です。私は、東条首相を弁護するために「東条英機宣誓供述書」の刊行を進めたではありません。大東亜戦争はけっして侵略戦争ではなく、自衛戦争であったという「真実」を明らかにしたくて「東条英機供述宣誓書」の解説を書いたのです。
東条首相の弁護をしていると受け取られることは私の本意ではありません。
(引用、完)
読み比べていただいて、如何?
渡部先生も櫻井女史も、切り口はいささか異なれども「全く同じ方向のご意見」をお持ちになっているから痛快である。
痛快に思われる方、是非下記バーをクリック願いたい。
*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ
*(第一回関連記事「昭和天皇ご発言メモ報道による、マスメディアの資質を問う」は、こちらから入れます・・)
次号(8月8日記事へ)<続く・・>こちらから入れます・・・
前まで法務教官として、ある医療少年院で働いてましたが、合わなくてすぐ辞めちゃいました(^_^;)こんな自分ですが、よかったら友達になってほしいです。よろしくね(^-^)
http://blog.livedoor.jp/keijikun/
天皇の私の心発言は、あれは天皇でないという考え方もできるんだってね。驚いています。済
私は「BC級戦犯もいない!」ということを検証した本の記事を書きました。男爵さんとは時々採り上げるテーマが重なりますね。
TBさせてくださいね。
中韓から完全にはねつけられてしましました。これをどう打開して、それでいて、戦争問題も領海の問題も強くでられる人が
次の人でないといけないと思います。
(^o^)┘
私は他国に干渉されることなく、靖国問題は自国で討議し、A級戦犯分祀を強く望んでいます。
櫻井よしこ氏の主張は今回の件においては全く破綻しており哀れな印象を私に抱かせていることも追記させてください。
仮に本物であっても、
日経は出すべきではなかったと思ってます。
結果的に、昭和天皇を貶めることに繋がっていませんか。
そう感じるのは私だけでしょうか?
このメモに関することは私も書きたいと思っています。
先走りしないように今は我慢してます(笑)
それから、櫻井さんも渡部さんも、
“日本人”ですね。
自信を持って騙ることが出来る日本でありたいですね。
昭和天皇は靖国参拝は止めましたが8月15日に恒例でしてた事がありましたね。
「何があっても大丈夫」
「この国を、なぜ、愛せないのか」
を買いました。
現在読んでおります。
間に合うかと思ったら日付が変わってました。。
6日、9日、15日と小泉政治の
締めくくりがそれぞれどのように
されていくのか、関心があります。
(^o^)┘
日本が再独立後A級戦犯と呼ばれた方々は、多くの国民の署名と国会の決議により名誉を回復しています。それにより処刑された方々は法務死として扱われそれを受けて「昭和殉難者」として合祀されています。
しかし、一方靖国神社は国の管理に戻ることなく、国は英霊の慰霊を一宗教法人に預けたままなのです。
過去に靖国の護持法案は廃案となった経緯が有りますが、今こそ「靖国神社」のまま国営又は特殊法人化して国による護持体勢を整えるべきでは無いでしょうか。
政教分離については此処では触れませんが、方法は色々有ると思います。