Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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百花繚乱の須賀川

2013-05-06 21:25:13 | 自分にチャージ
白河から東北本線で須賀川を目指します。

須賀川には、昨年今年と縁あってお仕事をさせているお客様がありながら、一度も街を拝見していないという状態を残念に思いうかがいました。

残り時間はそうなかったので、東洋最大の牡丹園「須賀川牡丹園」、B級グルメ「かっぱ麺」を必須とし、あとは街を感じながら散策といったところです。

東京で縁あって、すでにGETしていたこのパンフで予習はある程度できていましたので、わりと短時間でサクサクと動くことでできました。



それにしてもパンフにある「百花繚乱」というのはまさにその通り。
牡丹園を初め、街中には季節の花々が溢れておりました。



今年の東北の春は長かったでしょうから草木も待ってましたと言わんばかりだったと思います。

しかし、牡丹は残念、花期にはまだ早かったようで、1部咲き(大半がつぼみ)。

それでも、来週、再来週に一斉に咲くとたいへんなことになりそうなくらいの数の牡丹が観賞できそうです。

何せ東洋最大級にふさわしい規模・・・

POPな気分で園内を回り、こごみとタラの芽を購入して、近くの「かっぱ麺」が食べられるお店に向い、いただきました。



きゅうりがホントにみずみずしい。
一食あたりキュウリ一本が練り込まれる麺は、薄い緑色でツブツブのキュウリの食感も楽しかったです。

味は、わりとオーソドックスな和風(そばつゆ&みそ)。
個人的にはもうすこしドレッシングっぽい酸っぱさがあるのかと思っていましたが、これはこれでもちろん美味しいのですが

もうすこし、インパクトというか「ちょいワル」感があってもいいかな・・・

遅い昼食を済ませ、駅までの道のりは春爛漫な街を楽しみながら、芭蕉記念館、ウルトラマンの生みの親:円谷英二生誕地を経由し駅へ。

須賀川のお土産は、いろいろあるのですが、個人的には『かみしめ』にはまりそう。



炒ったもち米に黒砂糖と水あめを絡め、きなこをまぶした自然食的やさしさがツボです。

最後は、須賀川のゆるキャラ「ボータン」に見送られて福島での旅を終えました。




またゆっくり来たい街です。
少し松尾芭蕉について知っているとより楽しめそうです。
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白河戊辰見聞館にて

2013-05-06 14:23:35 | 自分にチャージ
翌日は、ここからスタート『白河戊辰見聞館』




ここは、本当に小さなスペースながら、すばらし資料館でした。
私が在館中に、入館者はみるみるうちに増えていきました。

新選組については、新政府軍側の藩視点で描かれる新選組、新選組から見た幕末、会津から見る新選組はかなり違いますが、

新選組の存在自体がドラマティックであったことには変わりありません。

5年前に会津を訪れて以来、個人的には会津の視点で「新選組」を理解するのがナニゲに好きです。

ちなみに、新選組の剣客:沖田総司は白河藩士の息子として生まれています。
病弱であったがゆえ、白河口の戦いに参戦することなく亡くなりました。

また、近藤勇と土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、甲府から流山に敗走し、この土地で別れを遂げ、近藤は板橋で首切りになるのですが、

この後の仇打ちのエピソードは、先月流山を訪ねていたこともありとても身近に感じられました。

大久保大和と名前を変えて転戦を試みた近藤勇を、近藤勇だと見破ったのは、考え方の違いから新選組を離脱し、西軍側から参戦していた加納道之助と武川直枝でした。

しかし、白河では、近藤亡き後、負傷中の土方に変わって、白河・会津で新撰組の隊を率いた斎藤一が

今度は、清原清と名を変えた武川直枝を見破り、仇を討ったという話なども、先日NHKの歴史番組が取り上げられていましたが、現地で見聞きするとなかなか興奮する話でした。

(軽く歴女気味・・・)

ちなみに、斎藤一は戊辰戦争後、八重の桜でおなじみの八重の親友、高木時尾と結婚。

しかもお仲人は、松平容保公というからには、斎藤一の忠義の程を思い知ります。

大河ドラマの中では、いつもにらみが効いてる降矢隆志と貫地谷しほりの夫婦姿がドラマの後半では見られるんでしょうね。

また、会津藩の家老山川家の5女の山川さき(後の捨松)の話もかなり度肝を抜きました。

いやはや、山川家は兄弟だけでなく姉妹も大活躍してたんだってことにさらに驚き。

ちなみに、5女さきは、戊辰戦争で会津を猛撃した薩摩藩の砲兵隊長(後の陸軍大将:大山巌)と将来結婚してしまう話も興味深く、これも八重の桜で描かれるようです。

大人になってからの活躍を知るに、会津の女性の大活躍と八重以上のキャラの濃さには驚くばかりです→コチラ

こんな人間模様が楽しめる楽しい資料館。

こちらも、白河では必ず立ち寄りたいスポットの1つです。

今年は、仕事以外でも積極的に福島を巡る予定ですが、会津・中通りを戊辰戦争の視点で旅することがこんなに楽しいものとは予想もしませんでした。

とても素晴らしい時間を白河で過ごすことができました。
この時間を持つことができた全てに感謝します。
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とら食堂

2013-05-06 12:02:07 | 自分にチャージ
この日、とら食堂へに行くのに自転車で行ったのは私ぐらいではないでしょうか?

とら食堂は、駅からは3km以上離れていますし、バスも一日に数えるほどの本数です。

なにせ、ペーパードライバーには観光地で車を借りる勇気はなく、ラーメンを食べに行くのに単独で何千円もかけてタクシーに乗るのもなんかちょっとちがう。

よって自転車で敢行!
このプランは雨だったら絶対ムリでした。お天気に感謝・感謝。

場所自体は県道沿いから少し入ったところにあるので、そう複雑ではないのですが、いかんせん両脇田んぼの道を自転車で走るのは心細いもので、

この看板を見た時には、安堵。



到着したのは15:55



この看板の前に、相当の行列ができていました。そして駐車場も満車。

私は25人目の客でした。

これで食べられなかったら無念と思っていましたが、大将はあるタイミングで区切って行列客に分け隔てなく食べさせてくださったのでした。

ありがとうございました(涙)

16:45ぐらいには、食すことができました。



おーっ、にごりのない純醤油味~っ。
ダシと醤油以外に脂などの雑味はしないスッキリとした美しいスープです。

そして、ちぢれ麺の弾力がスゴイ。
なんだろう・・・このぷっくり加減は。

脂の少ないチャーシューもこのスープにはしっくりきます。
途中から、刻んだ玉ねぎを入れていただきましたが、ますます醤油の味が引き立ちやっぱり美味。

17:00にはのれんが降りていました。

連休などにとら食堂に行くには、とにかく早めに移動するに越したことはないようです。

帰り道には、往路に「何だろう?」と思っていた断崖に立寄ってみると、そこは鎌倉~安土桃山時代の白河結城氏が築城した「白河城(別名:搦目城)」の城郭でした。



レンタサイクルの返却時間が迫っていたので、立寄る時間はありませんでした。
また機会があれば、悠久の白河にも思いを馳せてみたいものです。
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松平定信公と南湖公園

2013-05-06 10:26:10 | 自分にチャージ
GWの白河は、ソメイヨシノこそ散ってはいますが、八重桜は見ごろで、至るところで街路樹として咲き誇っていました。



再び自転車にまたがり「南湖公園」へ。

碁盤の目とはまではいかないまでも、さすがの城下町、直線で移動できるのは、旅人にはありがたいです。

さて、南湖公園は、日本最古の公園です。

松平定信公が飢饉などが続いて暮らしの困窮した民を救済する意味での公共事業としても機能したわけですが、

身分制度が士農工商とはっきりしていた時代に、身分を超えて人が憩える場を作ることがコンセプトのまさに「元祖」公園。

この日も老若男女がたくさん訪れており、初めての方は、その湖沼の広さに驚きの声を上げていました。

確かに広い・・・



そして私はこの旅に、佐藤一斎の「言志四録」を携えていました。

[現代語抄訳]言志四録クリエーター情報なしPHP研究所

松平定信公の政治指南役の中井竹山の師弟が佐藤一斎でした。
幕末の奇才:松代藩士の佐久間象山も佐藤一斎に師事し朱子学を学んだたことでも知られます。

やがて松平定信の次男は松代藩主となり、また佐久間象山など和洋の英知に長けた人材を登用し、産学を強化していくのも偶然ではない感じもします。

後に、松平定信公は、「寛政異学の禁」で朱子学を禁じます。
当時昌平坂学問所で朱子学を教えていた佐藤一斎ですが、陽明学者として中江藤樹らに影響を及ぼして行くことになります。

また、西郷隆盛は「言志四録」を愛読していたと言われ、幕末の藩士のリーダーシップに多くの影響力を及ぼしています。

何か歴史的に名を成した人は、こうやってつながっているものですが、

それを知らないでいる自分の『教養』には、ややがっかり気味です。
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白河口での激戦地

2013-05-06 09:10:28 | 自分にチャージ
今回の旅でまずはここに行きたいと思っていました。


ここは、小峰城への西軍(新政府軍)の進軍を阻止するために、西郷頼母率いる東軍が激突した場所です。

小高い山の上から白河の街を見渡すと、140年前に焼けた街とは思えないのどかな街とのギャップを埋めることができません。

ここでは会津藩の田中主税が命を落としており、盟友と多くの藩士を失った西郷頼母がその無念さと屈辱をわが身を「かたつむり」に例えて詠んだ歌が碑となっています。



そして

稲荷山の麓には会津藩士304名の名が刻まれた墓・慰霊碑、田辺軍次の墓(白坂庄屋:大平八郎との悲話あり)長州・大垣藩士の墓が隣接しており、

激戦地で落とされた命が、ここでも敵・味方関係なく弔われていました。

この土地の意気には本当に感動せずにはいられません。

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敵も味方も

2013-05-06 00:54:26 | 自分にチャージ
白河にはたくさんのお寺があります。

その中には、戊辰戦争白河口の戦いで命を落とした奥羽越列藩同盟軍(東軍)・新政府軍(西軍)兵士が分け隔てなく眠っているお寺が幾つもあります。

こちらのパンフレットを参考にしながら、レンタサイクルでゆるゆると街中を巡りました。

このパンフレットは、戊辰史跡をめぐるならば、旅の最初に駅の中の観光協会で早めに手にすることをオススメします。



そして選びましたのはこのコース。

>

墓地で写真を撮るのもどうかと思ったのですが、私も手を合わせて、皆さんにこの美しい心のあり方をご紹介したくパチリ。

こちらは、常宣寺での会津藩・棚倉藩士の墓石です。
他にも仙台藩士の墓などもあります。



しかし、街中には薩摩・長州・大垣藩の命を落とした藩士の墓もあり、

勝ち負けに関係なく、御霊を同等に扱い、今もなお、街の随所に悲しい過去の歴史と寄り添うように暮らしている街にググッ(涙)ときてしまったのでした。

そういう街全体からこんなにまでも意気を感じるって経験は今までになく、歩み進めるうちに、この街の律義さ、命への公正さ、寛大さに触れ何度も心を動かされることになりました。

墓地の中には、倒れた墓石もかなり見かけました。
老朽化ではなく、先の東日本大震災の揺れの激しさの影響かと思いました。

あまり報道されてきませんでしたが、小峰城の石垣の崩れ方を思えば、街全体も被害が大きかったことと察します。

あれから2年。
観光客には震災のことを感じさせない街になり、こうして私たちを迎えてくれているのでしょう。
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白河は小峰城から

2013-05-06 00:16:50 | 自分にチャージ
GW後半は、福島の白河・須賀川を旅していました。

まずは、白河と言えば、駅のホームに降りるなり正面にそびえたつ小峰城。

>

先の震災で、石垣が何か所も崩落してしまい、本丸に立ち入ることはできません。
見学できる個所は限られるのですが、ボランティアガイドの皆さんの興味深い話に大満足。

ちなみに私の生まれは、旧加賀藩の金沢なのですが、白河藩の初代藩主:丹羽長重はその昔、若狭・越前・加賀(小松)を治めていました。

前田利長に敗れ、一旦除封され、すこしづつ手柄を上げながら、白河藩を与えられました。

長重の父は、織田信長の家臣の重鎮:丹羽長秀。安土城築城の責任者でした。

築城のセンスは父譲りで、小峰城も工期を短縮して完成したとのことでした。

最近は、観光地では積極的にガイドさんのお話を聴くことにしています。
やっぱり詳しいし、面白い!

幕末には、阿部氏が神戸港の開港を指南したことが幕府にとっては裏目に出たことにより、阿部氏は棚倉藩に移封され、空状態となってしまいました。

やがて戊辰戦争の白河口の戦いで落城となりました。

ここで聞いた「新選組」の、斎藤一がいかに千葉・流山で捕えられ、板橋で斬首となった近藤勇の仇打ちをしたのかがとても参考になり、ここから始まる白河の旅は俄然興味深いものになりました。

白河の旅は、やはり小峰城から。
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只見の雪まつり

2013-02-12 20:50:37 | 自分にチャージ
今回の旅の目玉は、「只見の雪まつり

只見町は、会津若松からバスで3時間。
新潟の県境に近い、豪雪地帯です。

積雪は3メートルと紹介されていました。



いやー、本当に寒かったです。

重ね着やカイロなど寒さ対策はして行きましたが、やっぱり寒かった。
軽く氷点下10度は切っていたはず。

しかし、それ以上に地域に残るお祭りの素晴らしさを思い知り、感動の連続で温かい時間でした。

立派な雪像(八重の桜にちなんで同志社大学)をステージとし



雪の中、ふんどし姿の年男衆が語る抱負は、一昨年の豪雨で大きな被害を受けた故郷の思い、東日本大震災で大きな被害を受けた東北への熱い思いに溢れ、じーん・・・(涙)

祭りのない新興住宅地で育った自分にとっては本当に祭りが結ぶ人と人のつながりがうらやましく思えてきます。

会場には、たくさんの屋台が出ていて、
体が冷えないように只見B級グルメの「マトンケバブ」と会津のおそばをいただきました。



どちらもウマシ。

基本的にもりそば派なのですが、会津の温かいおそばは麺のコシもあり美味しかったです。

この日は、会津の味覚を堪能。

そして、打ち上げ花火は圧巻です。
その打ち上げ花火に添えられるメッセージがまた最高です。

只見の大自然の中に、家族を思う気持ち、地域を思う気持ち、そして花火が1つになって夜空を彩ります。

そして、大空を仰ぎながらまるで大地とつながっているように、いや天地とつながっているという感覚、

いや違う、何もかもが1つになったような感覚に、

感涙・・・

一体、何という体験だったんだろう。

集合時間を過ぎても終わらない花火は盛大そのもの。

そして、こんな思いの詰まった花火は初めてだったこともあり、すっかり只見の雪まつりのファンになってしまいました。

ところが、ツアーバスの乗客が少なすぎる。
両手に余る・・・。

会場に集まった人はとても多かったけど、会津若松からバスを使った人がいかんせん少ない。
東京、仙台、いわき、福島からもバスが出ているようですが、告知が足りないのか、他の雪まつりと重なっているのか?

ちなみに東京からのツアーは1泊2日となっていて、来年はこのツアーで参加してみたい。
(しかし、来年も同時期に会津で仕事が入っているのですが)

いずれにしても、お土産付きで私は大満足です。



来年も機会があればうかがいたいと思う素晴らしいお祭りでした。

只見町の皆さま本当にありがとうございました。

※この記事は、5月に入って2月を振り返って書きました。
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八重の桜で賑わう

2013-02-12 20:11:04 | 自分にチャージ
喜多方を後にし、会津若松へ。

会津若松での昼ごはんは、ここと決めています。
馬肉料理の吉し多さん。



毎回、食べてます。「桜すし」がウマシです。
馬肉は、脂の融点が低いからか、それとも大将の握りに秘訣があるからか口の中でなんともまったりとお肉が馴染むのが不思議です。

馬肉はグリコーゲンが豊富らしく、だから馬力が出ると言われるのかもしれません。

腹ごしらえが十分できたところで、吉し多さんから歩いて5分ほどの鶴ヶ城へ。



鶴ヶ城は、以前来た時と瓦の色が違います。
雪の中に立つ鶴ヶ城は美しく、悲しい歴史をすっかり忘れさせます。

大河ドラマ「八重の桜」の影響もあって、会津若松は観光客でにぎわっています。



震災後の風評被害で、日本でも指折りの観光地:会津若松を訪れる人は激減しました。
2011年のGWに訪れた時の閑散とした会津若松が忘れられません。

会津若松の放射線量は、全く気にするレベルにありません。

もっと多くの人がこの美しい街を訪ねて欲しい・・・
心からそう思います。

酒蔵での見学を終え、駅へ。

もう3回目ともなると、大まかな道は覚えており歩いて移動もあまり苦になりません。
折りたたみ長靴のおかげで雪道はガシガシ歩いておりました。

※この記事は、5月に入って2月を振り返って書きました。
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喜多方の偉人

2013-02-12 17:54:12 | 自分にチャージ
ラーメンを食べて、さて会津若松へ向かおうと思って喜多方駅に向かったのですが、駅の旅行パンフレット



を手にし、ビビッときた「瓜生岩子記念館」。

タクシーで再び町の中へ戻る。

瓜生岩子という名前は、
昨年末、有楽町で開催された福島の特産品、観光地の紹介「ふくしま大交流フェスタ」に出向いた時に、
福島の偉人『日本のナイチンゲール』として紹介されていました。

今年は、大河ドラマ『八重の桜』で山本八重(新島八重)のハンサムっぷりが描かれていますが、
その他にも中野竹子、瓜生岩子と会津はハンサムウーマンぞろいです。

日本の社会慈善家の草分けとして、生活困窮者を救った女史は、日本で初めて藍綬褒章を受章した方とのことです。詳しくは→コチラ



館内を出ると、ふと気づいた。

ここは、5年前に出張した際の研修会場と同じ敷地・・・。

蔵の里

そこは蔵を改装したギャラリーで、薄暗さも、そしてスリッパもあの時と変わらず。

まだ新米講師だったあの頃が、独特の空気感とともに蘇って、「あぁ、ここに来るのは仕組まれていたんだ、呼ばれてたんだな」と直感しました。

そして、受付の女性が「もう一つ見るところがありますのでどうぞ」と声をかけてくださり、期待もせず行ったら、そこは

蓮沼門三大先生の資料館?記念館?

同年代またはそれ以下の読者の方におかれましては蓮沼門三って誰っ?って方が多いかと思いますが、詳しくは→コチラ

私のお世話になっているNPOヒューレック研究会では、2004年に蓮沼門三の人生をミュージカルにしていたので、
何をされた方なのかはぼんやりとは知っていたのですが、

まさか喜多方の出身とは・・・

蓮沼門三氏とは、社会教育団体「修養団」を設立した日本の社会教育の先駆者です。

友人が修養団に勤務していることもあり、まさかここで改めて功績に触れるとは・・・

当時の財界の大御所:渋沢栄一のバックアップにより、健全な青少年・社会人教育を推し進めた功労者です。
錚々たる企業の研修なども手掛けられた、まさに研修講師・研修会社のパイオニアなのであります。

「あぁ、ここに来るのも仕組まれていたのか・・・」


と直感したのは、最近の自分を振り返った時に、どうも人財育成の支援の在り方が「手法」先行になっているということ。

自分の使命や情熱は大事だけど、それで感化しようという考えは最近薄れてきていて、どこか「理屈・理論」が先に立っているのが気になっていたのでした。

そんな矢先に、これを見た。



踏み絵のように踏めと言われたら間違いなく踏めない。

汗することが少なくなった時代ですが、汗するほど何かに打ちこめてない最近の自分・・・
いろいろ思うことがあった。

最近の自分を振り返り、西洋からやって来た人材開発や組織開発手法を学ぶ近年ではあるものの、こうして大和魂に震えるのはなぜか?

仕事でもそう。
福島の会津で、東京と同じクレーム対応方法がしっくりくるとは限らないんだって前日ふと思った。

方法じゃないんだ。

何から、どこから発しているのかなんだ。

「愛」なき「手法」は「凶器」にだってなるんだ。

蓮沼先生もおっしゃっている

『愛なき人生は暗黒なり』

思いもよらぬ蓮沼先生との出会いにより撃沈し、とぼとぼと建物を出た。

あのパンフレットに出会わなければ、この内省の時間はなかったはず。

ありがとなし(会津弁)。

※この記事は、5月に入って2月を振り返って書きました。
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後世畏るべし

2012-01-03 13:39:40 | 自分にチャージ
お正月三が日は、ニューイヤー駅伝・箱根駅伝と、なかなかテレビの前から離れられない日々が続いていました。

ニューイヤー駅伝の日清食品の優勝に続き、箱根駅伝の総合優勝の東洋大学とその圧巻の強さには本当にはシビレましたネ。

昨年の21秒差での敗北から、ここまでのレースも順風満帆ではなかったはず。
それでも晴れ舞台での活躍は、もう1人1人が強すぎて、本当に頼もしい。
そして、チームの結束が涙が出るほど蒼く美しい。

練習だけでなく日常生活における厳しい自己統制があり、それを支えあう関係があってのことでしょう。

先輩は、後輩の手本となる行動を背中で見せ、後輩が敬意を持って見習う。

強い選手はより強く、
昨年、悔しい思いをした選手は1年間その思いを成果につながるエネルギーに変換し、
出場できなかった部員も懸命に選手をサポートし、先の区間の選手に感謝し、
自分の走る区間に全身全霊を傾け、次の区間にタスキが託されていく・・・

近年、低迷を続けている古豪も復活のために「今のままじゃダメだ」「これでいいはずがない」って現状に決して満足せずに、自分たちを奮い立たせ頑張ってきた。

これが、我々が揶揄する『ゆとり世代』ですよ。

えっ、トップアスリートは別格だって!?

いえいえ、例外はあってもやっぱり『後世畏るべし』ですってば・・・

研修講師と登壇していて日々思っていることなんですが、若手の力は計り知れないものがありますよ、マジで・・・
活力に溢れ、チャレンジ精神があり、配慮深く、チームワークを大切にし、素直に振り返りをし、

この姿を見ていると、どうして「最近の若手は意欲がなく、コミュニケーション能力に欠ける」って言葉が年長世代から聞かれるのか本当にわからない・・・

だって、意欲は外に現れるとは限らないし、コミュニケーションは双方の責任で意思を分かち合うものやん・・・

しかし、最近では、いかにして彼らの能力を伸ばすために、自分の何を変えるべきか必死にもがいている受講者の方も研修では増えてきているのも実感します。

東洋大学の酒井俊幸監督は、33歳の若さで監督に就任し、35歳の今年があの見事なチームですよ。
選手の資質、コーチ、その他のスタッフなどの力が強力であったとしても見事だと思います。
何が秘訣かはドキュメント番組で取り上げてほしい・・・多くの若手リーダーが成功するヒントがあるのではないかと期待しています。

こういう組織を見ていると、我々の年代も、もっと若手との関わりに工夫をし、自らが、厳しい経営環境に立ち向かう「勇気」「智恵」「活力」「体力」「行動力」を持つ必要があるように思えてならないのです。

毎年、お正月にこういう気持ちになり、3ヵ月後の新人研修へのスイッチが入ります。
大切なことを教えてくれるのは、いつもひたむきな若者です。

我々の理想を押しつけるのではなく、「今、ここ」で、お互いが学び合えるような関係を大切にしていきたいと思う初春です。
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ふくしまの「みそぱん」

2011-09-26 15:32:07 | 自分にチャージ
福島は、縁あって東京以外に最も訪れている県です。
今年の福島お仕事は、東日本大震災以降、中止になっております。

震災以降、テレビはすっかりNHK派となり、毎日のように、福島の苦悩を見聞きしています。
しかし、災害ボランティアのツアーも福島に向かうバスが見当たりません。

少しで分かち合えるものがあればと思いますが、私には案ずるだけの日々です。

災害ボランティアの帰りに岩手・宮城からの帰りに福島県内のサービスエリアでお土産を買うことは、痛ましい光景の中で作業した自分が、東京での暮らしを取り戻す上で、切り替えのひと時になります。

夏は、桃。秋は、梨にぶどう。

出張で福島に行った時は、季節のフルーツやきのこを買って帰ることがありました。

そして、季節を問わず、私の「お気に入り」としてご紹介したいのは、

「元祖みそぱん」(駒田屋本舗)



福島駅のNEWDAYSで電撃的に出遭って、個人的にはお持ち帰り頻度が高い「ふくしまスイーツ」なんです。

無添加で手作り。
蒸しパンのようにむっちりした生地に甘ミソがつぶつぶ状に混じっていて、自然な甘さです。

5つ入って、たしか300円ぐらいだったように思います。
コストパフォーマンスは最高レベルにあります。(もう少し値上げしてもいいくらい)

先日も、安達太良SAで購入してきました。
バスの中で早速1つ。お隣さんにもおすそ分け。

なんともしみじみ懐かしい・・・

先日、福島県川俣町で作られた花火が打ち上げられなかった日進市が、「被災地の状況、放射性物質に対する正しい知識の周知徹底を」と要望されました。

もう福島はこれ以上、傷つきたくない。
そして、私たちも傷つけたくない。

日進市が20件ほどの住民からの問い合わせに対して、3,000件の抗議やメールを受けたことが大きく報じられましたが、

民意の大半は、放射性物質への「不安」は完全に拭い去ることはできずとも、「道義」を選んでいる。

データの有無や対応方法が正しいか、正しくないかはなく、

我々ができることは、福島の「悲しみ」にまずは寄り添い、「失望」から「希望」の実現を応援することなんじゃないかと考えて半年の時間が流れました。

福島のお客様にお会いできるのは、来年の2月。

1年間の時を経て、再びうかがう時には、研修内容も福島のために新しくすることを、今から自分に課しています。

そして、帰りは、また「みそぱん」を買って帰るのです。

いつも、少しでも状況が良くなることを願っています。
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そして私も大人になった

2011-06-21 21:41:06 | 自分にチャージ
19日(日)の午後、東京国際フォーラムで幸福な時間を過ごすことができた。

佐野元春30周年アニバーサリーツアー:『ALL FLOWERS IN TIME 東京』
3月13日の55歳の誕生日に行われるライブだったのですが、この日に振り替え。

この日は、80~90年代の「元春クラッシック」の中でも、特にロックンロールが熱い夜だった。

セットリストは下記の通り。



彼の楽曲は、中学生の時から今でも聴き続けている。

中学の同級生から、「はるさんって、皆が、たのきんとかシブガキ隊とか言ってる頃に、佐野元春とか稲垣潤一とか聴いてたよね~」

その通り・・・

当時、FMラジオから聞こえてきた、ビートのきいたメロディラインにめちゃくちゃ高速(早口)で歌詞を乗っけて疾走感たっぷりに歌い上げた「アンジェリーナ」から始まり

歌詞にあるニューヨークとか、ダウンタウンとか、マンハッタンとかどんなとこなんだろうといったな中学生的関心も手伝って30年。

この日のステージは、これまでとは違う本当に「特別の夜」だった。

声の調子も良く、ロックンロールもバラードも、本当に魂を揺さぶる雄々しいシャウト、切れのあるビートダンス、ホールの一体感、そして忘れてはいけないホーボー・キング・バンドの圧巻の成熟した演奏、演出のライトワークなど、本当に、本当に完成度の高い記念のステージだったと思う。

ホーボー・キング・バンドの演奏も毎回楽しみにしている。
特にこの日は、長田進・佐橋佳幸のツインギターで、いつも以上に華やかだった。

この日は、お祝いの日。
そして、何度も繰り返される感謝の言葉。

この日、震災について触れられることはなかった。
チャリティ的な要素も何もなかった。

たった1度、東北地方から参加された方からの「思い切り楽しみたい」と書かれたメールが紹介され、「みんなもそうだろ?」と問いかけられた。

ひときわ大きな拍手がいつまでも鳴りやまなかった。

この人のスゴイところは、特別なお見舞いの言葉は使わずに、歌詞の中で傷ついたファン・被災地の方々にもメッセージしている。

葛藤や苦悩を乗り越えて、何かを信じ、肯定しながら、希望を歌い上げるそんな楽曲がそもそも多いのである。

そうやって楽曲に励まされて私も大人になった。

アンコールの「アンジェリーナ」の時、それまで暗かった客席にもライトが灯った。
白髪混じりや後頭部が薄くなったファンが多い。
ファンも同じように年を取った。

しかし、昔を懐かしむだけのステージではなかった。

月と専制君主(CD+DVD)
クリエーター情報なし
DaisyMusic


『月と専制君主』というアルバムは、セルフカバーされた楽曲を集めたアルバムであるが、その楽曲の美しさにも魅了された。
若き頃の疾走感は影を潜めた分、無理がなく、優しく、穏やかで、何とも癒される。

『ヤングブラッズ』『レインガール』がジャズやワルツのように心地よい。

変化を続けている、そんな素敵な55歳と30年の年月を積み重ねてきた。

そのことが何よりもうれしい夜だったのです。

Motoharu Radio Show」を聴きながらの更新です。

お読みいただきありがとうございます。


コメント (4)
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きこりの店@奥会津

2011-05-06 13:27:09 | 自分にチャージ
ふたたび会津鉄道に揺られて、会津高原尾瀬口へ。

すぎなみ大人塾のクラスメイトの「おぐらちゃん」がふるさとに戻りお仕事をしている「株式会社オグラ」さんの『きこりの店』へ。

先に告知しておきます。

おぐらさんのお店が「がんばろう ふくしま!応援フェア」東京のイベントに出展します。
そして、いわきや相馬から遠路はるばる出店されます。

お近くの方はぜひ!

日時:5月7日(土)10:00~17:00・5月8日(日)10:00~16:00
場所:二子玉川ライズ1階「ガレリア」

詳しくは⇒コチラ

それにしても、3年ぶりの再会です。

何だか、大人になった(?)おぐらちゃんのお店で、まずは木の持つ力を全身で感じます。

そして、

樹齢300年の栃の木にすっぽり入りました・・・



木のオルゴール「森の目覚め」では、切り株から小さな幼虫や、つくし、水芭蕉などがモグラたたきのもぐらのように出たり引っ込んだり。
どんだけかわいいんだってって感じは、ちょっと言葉では伝えられないなぁ・・・

そして尽きない話。

私が知らない会津の話、おぐらちゃんが知らない私が知っている会津の話。
そして震災でお互いが考えたことややっていることの話。
電気のこと、食のこと、仕事のこと、人と人のつながりのこと。

少しづつ忘れられる共感がある一方で、「自分にできる効果的な支援」を模索しながら、知らず知らずに自責の念で暮らしている人も多いんじゃないだろうか・・・

それで自ら元気をなくしている人がいるのであれば、
一人で悶々とするんじゃなくって、顔と顔を合わせて「話すこと」

これ、大事!

という思いはお互い同じでした。

お店で、商品などから、木の「気」をいただき、リフレッシュ。
ネットショップで一目ぼれしたお豆の形のトレイもGetできてすっかり満たされました。



上質素材が満載のネットショップは⇒コチラ

駅までの道のりも、話は尽きません。
お互いの感度で「何ができるか」「何をするか」の内容は違います。

しかし、決定的に違うのは「不安」。

会津は、被災者を受け入れている以外の日常は震災前と後では何も変わらないのに、私にはない不安が、原発から遠く離れた「会津」にも確実にあるということ。

「福島っていうだけで」という言葉。
今回の旅で何度も訪れたお店のご主人から何度も聞いた言葉でした。

私だったら、「このまま見捨てられてしまうのではないか」と感じるし、先の不安に耐えられるか自信はないです。

そんなおぐらちゃんが、別れ際に「ひのき」のエッセンシャルオイルを手渡してくれました。

「あんまり自分を責めすぎないでくださいね」
「電気も無理のない範囲で」

ガンバラナイセツデンジョシデッテコトヨネ・・・

リラックス下手な私には、なんとも心に染みる贈り物でした。

再び電車に乗り込んで、おぐらちゃんを見送りながら
応援しているつもりが、逆に癒されて、自分が元気になって、効果や影響度を上げて仕事をしていく。
身近なところのつながりを大事にすること。

落ち着くところは、特別なことではなくいつもの着地点。

この2ヵ月書いている記事は、未だ心から離れない震災のこと。

本当はわかっているんです。

書きながら何かを心の整理したいのだろうと思うけど、心はもう決まっているんだってこと。
誰かとわかちあいたいだけなんだってことぐらい。

今日も読んでいただきありがとうございました



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託された命

2011-05-06 09:42:22 | 自分にチャージ
会津若松で残された時間は半日。
よってポイントを絞って、前回訪ねることができなかった「飯盛山」と「鶴ヶ城」へ。

飯盛山では、戊辰戦争を戦った白虎隊の足跡をたどりました。
度々テレビドラマになったりすることもあったので、何となくはわかっているつもりでしたが、こうして自刀の地に立つと、改めて、15~17歳という若さで散った命(しかも誤認によって)に、

「なぜにそう死に急いだ?」と思うのです。

会津に根付く「什の掟」は、武士の心でもあり美学であります。
自決は、「什の掟」の年長者を敬う態度であったに違いありません。

また、今回知ったのは、会津には、「ならぬことは、ならぬ」と「ダメなものはダメ」という毅然とした態度が根付いていること。

あいづっこ宣言

子供に求めることは大人も率先して行うことも含めての宣言なのですね。

どうやら、私が、会津若松にひかれるのは、今の時代では融通がきかないように感じられるけども、屁理屈や、批判や中傷に決して屈することないであろう頑固さが一因のような気がするのでした。

白虎隊の墓前には親子連れの姿が目立ちました。
多くの子供が自決した白虎隊員の墓の前にお線香を供えていました。

しばし、休憩をとった後、向かったのは、鶴ヶ城です。



現在は復元されているのですが、戊辰戦争の際に1ヵ月の攻撃に耐えた難攻不落の城を現在に伝えるド迫力です。

しかも、真っ白。

戊辰戦争の際には、老若男女が総出で、新政府軍と闘い藩を守り抜こうとした1ヵ月の籠城。

しかし、女・子供が籠城しても戦の足手まといになるという理由から自決するという壮絶な話も残されています。

今の時代と、自殺や命の意味が全く違う。

散りゆく桜の花びらを目で追いながら、この数日封印していた、震災後からずっと問い続けながら未だ納得できる解が見つからない自分が戻ってきました。

そこで湧いてきた疑問、

震災で、お亡くなりになった方々の御霊は無事に成仏できたのだろうか?

私たちは、今、被災地や被災者の方々に何ができるのかが頭の隅にずっとありながら、
お亡くなりになった方々は、ご冥福をお祈りすることで完結し、喪失の痛みをご家族だけが引き受けていないかということ。

不本意ながら亡くなられた方々が、生き伸びたかった「今日」を、私たちはどのように生きただろうか・・・

お亡くなりになった方々は1人1人がどんな風に生きたかっただろう。

自分で決めた命の使い方に、託された命を一緒に生きる。

それもまた今の自分にできることの1つであることを気づかせてくれた旅であることに感謝します。

そして、会津若松駅では新潟から到着したSLに遭遇。
何と言うタイミング!



駅で電車を待つ乗客たちを喜ばせたことは言うまでもありません。

テンションはさらに上がり、福島で、さらに元気になっていく自分を感じました。

よろしければ





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