今日は、午前中、都内のお客様を訪問した後、フリーでした。
新宿の書店を回遊して、コーヒーショップで仕事をして帰宅する予定だったのですが、以前から行きたかった、東京都青梅市にある「赤塚不二夫会館」まで行きました。
昨年お亡くなりになった偉大なギャグ漫画家を偲んで・・・なんてシンミリモードな訳もなく、なんというか、ただ思い切り「昭和のエネルギー」を感じたかったんです。
ナンヤソレ・・・
館内は、こぢんまりしていて、原画や写真、おなじみのキャラクターがわんさかです。
私は、特段テレビに噛りついて見た世代ではないんですが、再放送も含めて「天才バカボン」も「ひみつのアッコちゃん」も見て育った、アラフォー世代です。
ところで、
皆さんは「天才バカボン」が仏教哲学とリンクしているのをご存知でしたか?
私は、今年の2月にメンターである大野雅之先生に教わり衝撃を受けました!
実は「バカボン」は、バカでボンヤリの略語じゃなくって、お釈迦様の10ある別名の1つ「薄伽梵(バキャボン)」から命名されているそうです。
それから「レレレのおじさん」は掃除で悟りを開いた、お釈迦様の弟子がモデルになっているそうです。
そして、ナント、「タリラリラーン」にいたっては、チベットの経典の真言らしいですし、バカボンのパパの子供のハジメちゃんは、仏教哲学者の中村元先生ののお名前に由来するとか・・・
ムムっ、深い・・・博学すぎ。
それから、こんな詩も紹介していただきました。
赤塚不二夫さんが作者なんでしょうか?
出典がわからずに、どなたに許可を得たらいいのかわからないのですが、かなり癒されるので、引用させていただき紹介します。
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わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ
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「わしは大丈夫なのだ」
これは、「I am OK」つまり「自己肯定」ってこと。
「あなたも、あなたで、それでいいのだ」
これは、「You are OK」つまり「他者肯定」ってこと。
「I am OK You are OK with me」
交流分析で言うところの人生態度の第1の立場ではないかと。
自分も相手もあるがままに受容し、肯定し、信頼し、敬い、活かしあい、イキイキと自律している状態です。
心配は、未来への感情です。
自分一人では変えられない世の中を憂い、起きるかどうかもわからない何か危機的な状況を思い案じる時、私たちは行動を止めています。
「今、ここ」を生きていないんですよね。
全ての心配からリタイヤする・・・
私自身も、心配や不安を絶つことは苦手でした。
心配や不安って抱いていると、行動しなくていいんで、ある意味、楽です。
「時が解決してくれる」と状況が好転するのを待つだけなんで。
無論、そういう時期もあっていいと思うんですが、突き抜けたい時は、やっぱり行動あるのみです。
1つづつ年を重ね、私も昭和よりも平成を長く生きています。
赤塚不二夫さんの漫画を読んで、あのばかばかしさが収斂された吹き出し文字を見るたびに、
昭和の大人たちは、家族のために働き、景気の波はあれど青天井を疑わなかった経済成長期を支え、そして、屈託なく笑ったのではないかと思います。
時代は変わり、プラス成長が見込めない混沌とした世相の中、過去の延長線上に成功なんてなくって、周囲を見れば、皆がもがき苦しんで、傷つき、慰めあって生きているようなそんな気がするのは私だけではないと思います。
そんな中でも、笑っていいし、誰かを大事にしながら生きていくこともできるのに、何かのせいにして、他者に癒しを求めすぎてしまう。
自分を癒してくれる一番近くにいてくれるのは自分自身なのに。
(私自身は、多分、他者にも癒してもらった方がいい・・・)
他人に肯定されず、受け容れられずに彷徨う自分の魂を自分自身が受けとめなくって誰が受けとめるというのか?
私は、大丈夫なのだ
俺は、大丈夫なのだ と
バカボンのパパは悟っていたのですね。
肝心な時は、やっぱり自分を信頼して「私はOKである」と思って元気出して行きたいものであります。
どんよりとこの冬一番の寒い日でしたが、心はスッキリしています。
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