会いに行ったのは、この夏で92歳になるあたしの命の恩人と85歳になるその妹。
OLをやめて思い切ってイギリスの語学学校に通っていた頃のこと。
英語力なんてちっとも上がらないし、性格上友達を作るのも上手でないし、イギリスでの生活がハッピーなのかどうなのかわからなくなってきて、あたしは連日のようにイギリス生活の不平を日本の友人あてに長い手紙にしていた。そのため郵便局によって手紙を送るというのが、わたしの中でものすごく大切な行事となっていた。
この命の恩人、91歳のマーガレットはまさにその郵便局でしりあった、イギリス人のおばあさんである。これは後から聞いた話なのだが、マーガレットはあたしの送ろうとしていた手紙をなんとなく覗き込み”Japan ”あての手紙を持っているアジア人だから、日本人なのだろうと確信したそうなのだが、彼女から” 日本の秋はどんなですか? ”みたいなことを聞かれたのがきっかけで郵便局で話をし、そのときに彼女の住所・電話番号を持たされて、いつでも遊びにいらっしゃいと言われたのがすべての始まり。
それから18年のつきあいとなる。
見た目もちょっと変わった感じのおばあさんであったため、電話をすることが正しいことかどうかちょっと迷ったのだが、電話をして遊びにいってみて、学校以外でイギリス人と話ができたことが最高の満足につながり、そのあと3ヶ月の間、彼女のアパートにいそうろうすることになる。言葉ができないことでものすごく暗かったイギリス生活に光がともったのはすべてマーガレットのおかげである。
農場で育ったマーガレットは、殺されて売りに出されるブタの鳴き声がつらくてつらくて、ベーコンは食べられなくなったと言う。学生のときはよくダブルデートということで、妹にお金を払ってはつきあってもらったとか、第二次世界大戦のときはイタリア捕虜兵をトラックで移動させたとか、死ぬのことは選ばなかったイタリア兵たちは自分たちの入る予定のテントつくりを競って手伝ってくれたとか、、、ロンドンでは舞台をよくみて、ローレンス・オリビエを舞台裏口で待ち伏せしたとか、、、。妹といっしょにヒッチハイクしながらヨーロッパを旅行した話とか、、、今となっては書き留めておかなかったことを後悔するほど、おもしろい昔話をしてもらった。当時、マーガレットはさびつくほど古い薄い水色のフォルクスワーゲンに乗っていて、わたしの語学学校の授業が終わるころ、あたしの学校まで迎えにきてくれて、そのまま海岸までドライブ。海岸で彼女の手作りチーズサンドイッチを食べながらその日の話をしたものである。マーガレットいわく、車は便利だけど、どこに駐車したのか忘れてしまうのが困る、、、と、止めた車を探し回ったことも何度もあった。一人暮らしであったマーガレットには話相手が必要であったし、英語が話せないあたしは我慢強い先生が必要であったわけである。二人の生活は問題なくはじまり、お互いに助け合いながら3ヶ月とてもスムーズにすごした。
日本に戻ったわたしは手紙を書いた。マーガレットもよく返事をくれた。
そしていま、妹とともに宗教団体が運営している老人ホームにいる。
マーガレットに別れをつげて目指したのは南にくだってブライトン。
OLをやめて思い切ってイギリスの語学学校に通っていた頃のこと。
英語力なんてちっとも上がらないし、性格上友達を作るのも上手でないし、イギリスでの生活がハッピーなのかどうなのかわからなくなってきて、あたしは連日のようにイギリス生活の不平を日本の友人あてに長い手紙にしていた。そのため郵便局によって手紙を送るというのが、わたしの中でものすごく大切な行事となっていた。
この命の恩人、91歳のマーガレットはまさにその郵便局でしりあった、イギリス人のおばあさんである。これは後から聞いた話なのだが、マーガレットはあたしの送ろうとしていた手紙をなんとなく覗き込み”Japan ”あての手紙を持っているアジア人だから、日本人なのだろうと確信したそうなのだが、彼女から” 日本の秋はどんなですか? ”みたいなことを聞かれたのがきっかけで郵便局で話をし、そのときに彼女の住所・電話番号を持たされて、いつでも遊びにいらっしゃいと言われたのがすべての始まり。
それから18年のつきあいとなる。
見た目もちょっと変わった感じのおばあさんであったため、電話をすることが正しいことかどうかちょっと迷ったのだが、電話をして遊びにいってみて、学校以外でイギリス人と話ができたことが最高の満足につながり、そのあと3ヶ月の間、彼女のアパートにいそうろうすることになる。言葉ができないことでものすごく暗かったイギリス生活に光がともったのはすべてマーガレットのおかげである。
農場で育ったマーガレットは、殺されて売りに出されるブタの鳴き声がつらくてつらくて、ベーコンは食べられなくなったと言う。学生のときはよくダブルデートということで、妹にお金を払ってはつきあってもらったとか、第二次世界大戦のときはイタリア捕虜兵をトラックで移動させたとか、死ぬのことは選ばなかったイタリア兵たちは自分たちの入る予定のテントつくりを競って手伝ってくれたとか、、、ロンドンでは舞台をよくみて、ローレンス・オリビエを舞台裏口で待ち伏せしたとか、、、。妹といっしょにヒッチハイクしながらヨーロッパを旅行した話とか、、、今となっては書き留めておかなかったことを後悔するほど、おもしろい昔話をしてもらった。当時、マーガレットはさびつくほど古い薄い水色のフォルクスワーゲンに乗っていて、わたしの語学学校の授業が終わるころ、あたしの学校まで迎えにきてくれて、そのまま海岸までドライブ。海岸で彼女の手作りチーズサンドイッチを食べながらその日の話をしたものである。マーガレットいわく、車は便利だけど、どこに駐車したのか忘れてしまうのが困る、、、と、止めた車を探し回ったことも何度もあった。一人暮らしであったマーガレットには話相手が必要であったし、英語が話せないあたしは我慢強い先生が必要であったわけである。二人の生活は問題なくはじまり、お互いに助け合いながら3ヶ月とてもスムーズにすごした。
日本に戻ったわたしは手紙を書いた。マーガレットもよく返事をくれた。
そしていま、妹とともに宗教団体が運営している老人ホームにいる。
マーガレットに別れをつげて目指したのは南にくだってブライトン。
人との出会いで人生、大きく変わりますよね。
こうしてマーガレットさんに出会えたこと、
本当に人生の財産だと思います。
あ、pearさんとコメントかぶってますね・・・
それにしても、読み応え満点の旅行記!
続きも楽しみにしていまーす!
マフラーでしたっけ・・編んでいましたね。
ミアちゃんに会えて、とても嬉しかったでしょうね。
本当に貴重な体験だし、貴重な出会いだね。
必要なときに必要な出会いってあるんだよね。
あたしの人生の中では、くわぽんとの出会いだってそのひとつ。