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ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

いらだち

2011年05月03日 23時56分15秒 | Weblog
 GW ・・・ がんばろう、和をつくって

 最近のCMは「みんなが一つになって」を強調しすぎるぐらいに強調しています。

 私もその気持ちでいるのですが、自発的に思うことと他人から言われることでは全く意味が変わります。

 本当に「みんなが一つになって」と言える状況ができているのでしょうか。
 
 GWです。時間的には余裕はありますし気持ちはあるのだけど、東北地方まで自費で行ってボランティアするだけの資金はありません。だから、募金や身の回り品の拠出ぐらいしかできることがありません。



 ただ、政治家は別だと思うのです。
 復興の方向性をきちんと定めなければなりません。それが使命です。

 ところが、中央政界で起きていることは全く別方向、否、反対方向とも言うべき状況です。
 報道の上で、指導力が問われる菅政権ですが、こんな時だからこそ周囲のスタッフはしっかり支えるべきでしょう。ライバル政党だからといっても国民のためです。

 どんなに都合が悪くても逃げてはいけません。

 民主党内での菅おろしの動き・・・信頼に足る党ではないことがはっきりしました。
 復興会議への態度・・・民主党に「お株」を取られたくない野党のみなさん、見苦しいです。中に入って議論すべきことではありませんか?

 苦しんでいる国民がいるのに、党利党略・私利私略、私利私欲。
 
 最も対策をリードすべき国会議員がこのていたらく。

 国家公務員、東京電力社員の賃金カット・・・議員は何してるんや?!
 
 特に、カネをばらまいて利益誘導してまで原発政策を推進してきた自民党(もしくは賛成してきた)の各級の議員さんこそが真っ先に賃金カットして謝意を示すべきではないのかと思います。

 もっと言えば、こんな状況になっても「原発推進」を語るみなさん、どれだけの寄付・行動をなさったのでしょうか。




 いざとなれば、反対も賛成もありません。
 全ての人々が巻き込まれます。

 さらに、こんな状況であっても未だに原発推進を語ったり、言葉を濁す首長・議員や推進陳情を出した団体の方々がいます。
 いったん事故ったら、いわゆる「自己責任」で対処できるレベルではありません。
 現在の状況を見ても、推進の方針・考えを改めようとしない方々は、自らの社員や市民に負担をかけない範囲で対処できるという根拠があるんでしょうか。

 例えば、九州電力はカネが満額保障しても余るだけの財源を持っているのでしょうか。



 話が変わりますが、5/3憲法記念日の今日、今回の震災をきっかけに改憲の動きわ加速させようという右派の方々のことが報道されていました。
 緊急事態の対処をわざわざ明文化する必要はありません。
 憲法のような最高法規では概略を述べるにとどめ、下位法規でこまごまとしたことを示すのが法の原則です。
 ということは、彼らが何を考えているのか明らかです。端的に言えば、震災を利用して一部の人間が国民を支配しやすい国を作ろうとしているのです。
 国民はばかではありません。国から言われなくたって、ボランティアに行ったり、募金をしたりしています。治安のよさも世界最高の水準のようです(現地ではいろいろあっても国際的に評価されていることは素晴らしい)。
 空き家になった現地に泥棒が入るとかごく一部の事例をあげて、憲法を変えるという主張をすることの裏をしっかり見たいと思います。そして、誰が主張しているのかもね。

 5/3、憲法記念日です。
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国鉄・宮之城線の今 2011春 ①薩摩山崎駅・その1

2011年05月03日 22時23分35秒 | Weblog
 本編に続く続編シリーズです。
 
 年度末の工事の追い込みの後、一般に提供されているはずだなぁと思っていたところ、ブログ友であるKさんのブログで宮之城線跡地の工事が終了している様子がさりげなく紹介されていたので、今日、時間を作って見てきました。

 川内に近い方から・・・

  

 薩摩山崎駅では、県の商工労働水産部の観光課が発注した「にぎわい回廊整備工事(さつま1工区)」の工事が完了していました。

 もともと駅跡の証明のように配置されていた記念碑と車輪も活用されていました。 

  

  車輪を見て笑ってしまいました。
 きれいに塗装しなおしてありましたね。
 
 かつての姿を見たい方は、今年の2/13ならびに2010年1/22を見てください。
 サビにまみれた車輪を紹介してあります。

 また、駅名標も再現して建てられていました。
わずかに字体の違いはありますが、再現しようとした努力は十分に感じられます。

  


 この事業の設計はどんな人がされたのでしょうか。
 感心しました。

 その理由は不必要な脚色がないということです。
 そして、駅名標の写真の手前にも写っていますが、標識の手前に枕木とほぼ同じ大きさの長方形がデザインされていることです。
 向きを変えて見てみたいと思います。

  

 車輪が転がっていく方向に向かって枕木が並べられているように見えます。
 
 似たような装飾は入来駅跡に見られました。

 
 私はこれが大事だと考えます。

 ここに鉄道が走っていたこと、こちらからこちら向かって走っていたんだよと、「国鉄」の存在を知らない世代の人々に無言のうちに語りかける作りになっています。
 
 以前も酷評しましたが、東郷の方々が利用していた楠元駅跡は最低も最低。下の下です。あんな残し方なら残さない方がいいのです。
 なぜなら、既に郷土史で語られる世界・時代のことだけに、人々の生活の跡・記憶を正しく想起させる形にしなければならないからです。

 その意味で、薩摩山崎駅の事業に当たった方々には感謝の思いを勝手に持っています。

 (その2へ 続く)

 
コメント (4)
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こんなにひどい黄砂は初めて

2011年05月03日 00時28分36秒 | Weblog
 昨日から景色がかすんでいたのですが、今日は時間を追うごとにどんどんひどくなるような一日でした。

 いつもは緑が青々と見える500m先の山もかすむくらいでしたから、とんでもない「降砂量」です。

 

 太陽もぼやっとした感じでした。

 夕方、いつものランに出かけましたが、口の中がざらっとした感じになったので、うがいなどしないと気持ちが悪くなりました。

 明日も続くようなので憂鬱です。
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