#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【速報】二度目の救急車その3

2006-06-18 | Photo-diary
しかし、今回の救急車体験は、鮮烈な9分間だった。

たった9分。
国道58号線を横切り、そのままモノレール高架下を北上し、
市立病院前で右折するだけの距離だ。

しかし、その間の視界は、天井で輝く蛍光灯のみ。
カーテン越しに時々、車のヘッドライトやネオンサインの極彩色が乱入する。
エンジン音に混じって、自分の心拍音が、ピッピッピッと刻まれている。

その9分のあいだ、意識は限界まで張りつめていた。
「自分はもう、起きあがれなくなるのではないだろうか?」
「現実世界には、復帰できないのでは?」
そんなネガティブな思考がぐるぐると回っていた。

なぜだろう。

きっと、移動のあいだ通底奏音として流れていたサイレンが、
そのような思考を引き出していたのだと思う。

日頃は行き交う喧噪のひとつとして、いわば生活音の一部としてしか
耳にしない、救急車のサイレン。
せいぜい10秒やそこらのあいだでしか、共有しないその音を…

     9分間もまるまる聴かされていたのだ。

しかも、音源の真下で…である。

時々、合いの手のように救急隊員が呼びかける。
「救急車、赤信号を直進いたします。車は脇に停車してください!」
「救急車、このまま直進いたします。そこの車!停止してください!」

     ピーポーピーポーピーポーピーポーピーポー
     ウウウウウウウウウウウウウン…

大事には至らず、どうにか日曜の夜にブログを更新する状況まで復活できた。
しかし、この体験は、何かを示唆していると…思った。

考えなければ…。おのれの指針を。
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【速報】二度目の救急車その2

2006-06-18 | Dogs&Cats
救急車は人生で2度、乗車したことになる。

一度目は、大学時代。
無謀にも自転車で沖縄行きを敢行した。
東京から小田原までの約100キロを走破。
道路下で野宿をして、翌朝、箱根越えを試みる。
予定では静岡の清水が2日目の野宿先であった。
夕方に現地入りし、銭湯でリフレッシュしようと軽く考えていた。

実際、箱根越えは強烈な経験だった。
身体中の筋肉が伸びきった。
完全に弛緩してしまった。
…それが、まずかった。

弛緩した状態での下り坂は、体感以上に筋力を消耗した。
国道一号線に到着した段階で、カラダは悲鳴を上げていたのだろう。

意識は朦朧としていた。
夕方5時。夏の西日がほてった体を照らした。
東海道を急ぐ大型トラックが、びゅんびゅん脇を通り過ぎる。
よろめきながらも自転車を制御する。

…そして、気づかず、反射板に乗り上げた。

夜間走行用に白線の位置を知らせる反射板が、
道路脇に縦列に配置されていたのだ。

    …ガタゴトガタゴトガタゴト…!…!

弛緩した筋力ではもはや制御不能だった。

…そのまま自転車は横転。
…トラックがけたたましくクラクションを鳴らし、
…急ブレーキ。

巻き込み防止の柵に荷物を取られた状態で、ボクは30メートル引き摺られた。
荷物がなければ、確実にタイヤの下敷きになっていたであろう、事故。
頭を強打する状況ではあったが、これまた荷物のおかげで、地面すれすれで着地。

夕方の国道を通行止めにする大惨事を引き起こしながら、
無キズで救急車に乗り込んだ。

だが、疲弊したカラダと引き摺られたショックで、
乗車したことを、ほとんど覚えていない。
気が付いたら、翌日の朝、ベッドに横になっていた。
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【速報】二度目の救急車その1

2006-06-18 | Photo-diary
金曜日の夜だ。

背骨の位置が治ったとはいえ、筋肉の緊張までは
まだ取れていなかったのだろう。
仕事をまともにしたのが、間違いだった。

夜の7時には完全に背中の筋肉が硬直していた。

とにかく妻に迎えに来てもらい、
お湯につかって緊張を和らげようとクルマに乗ったのが、
不味かった。

スパ設備のある「かんぽレクセンター」までクルマを走らせ、
駐車場で降りようとしたところ、背中が固まってしまい、
動くたびに激痛が走った。
右に左にカラダを揺らすたびに、走る激痛。

クルマのシートを不格好に転がりながら、
なんとか地べたにカラダを横たえる。

…そこで果てた。

起きあがることも、寝返ることも、できなくなった。

…しかたなく救急車を呼ぶことに。

21時30分。救急車は到着した。
1時間、駐車場で悶えていたことになる。

救急隊員が、凝り固まったボクのカラダを担架に乗せて運んだ。
心拍数、血圧、呼吸回数、体温…すばやく数値を調べる。
21時39分。救急車は那覇市立病院へと向かった。

21時48分。救急車は那覇市立病院救急受付に到着する。
すぐさま、救急の処置が施され、痛み止めの座薬を挿入される。
1時間後、痛みの治まらない状況を見かねて、レントゲン撮影。
整形外科医の触診を行うが、激痛のため、手の施しようがない。

煌々と蛍光灯が充満する救急室の簡易ベッドで、一夜を明かすことになる。

ドクドクと血を流す酔っぱらいや顔面蒼白の心臓を患った女、
気管支が痙攣したおじい、高熱の幼児など…金曜夜の救急は忙しい。

そのたびにベッドの位置が後方へ後方へと移動させられる。

気が付いたら、朝方の6時を過ぎていた。




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