今日からは暦上の「穀雨」でした。
春の期間の一番最後を締めくくる節気となります。つぎの節気は5月5日の「立夏」で、暦の上では夏入りすることになりますから、それまでのこの期間は晩春となるのでしょうね。
行く春や近江の人と惜しみける 芭蕉
この句には:志賀唐崎(滋賀県大津市唐崎)に舟を浮べて人々春を惜しみけるに・・と頭注があります。
湖水朦朧とした琵琶湖に船を浮かべてその地の門人たちと春の別れを惜しんだのでしょうか。
西三河の濃尾平野の中にあっては湖水もありませんし、初夏が近いせいか、比較的さわやかな風が吹き、過ごしやすい季節となっています。
すでにこれまでに出した花ばかりになりましたが、ブログのページを埋めることにいたします。
今年最後となった牡丹の花三連発 ↓
白・赤・赤紫・・・いずれもこれが最後のひと花となりました。
サクラソウ ↓
この種類は今が一番力強い咲き方となっています。
キリシマツツジ ↓
花の命は短い・・・・・透明感のある純白の花は今が見ごろです。
近写 ↓
オモト ↓
オモトも蕾が上がってきました。ナメクジによって交配するそうですから、これからの事のようですね。
オキナグサの種 ↓
オキナグサの種がほどけ始めましたので、これを播種します。
アマドコロ ↓
柿の木の根元に円形に芽を出し始めましたが、どれもすぐに蕾をつけてきています。
ヒトツバタゴ ↓
別名ナンジャモンジャも蕾を見せています。
フクジュソウ ↓
根を痛めつけられてしまい、移植したフクジュソウですが、こうしてみると、葉の茂り方がまだ弱いようですから、来年の花はおとなしくなりそうです。
センボンヤリ畑 ↓
センボンヤリを少しばかり保護して、育成するつもりです。本当はそんなことをするまでも無い様なのですが・・・。
オキナグサ畑 ↓
オキナグサも一か所に固めて保護してみます。そのほかにもう一か所「保護区」を作るつもりでいますが、さらにその上に実生にとりかかってもいます。
付録:キツネアザミ ↓
先日風に揺れてうまく撮れなかったものに再チャレンジです。
近写 ↓
この草にはどういうわけかアブラムシがびっしりついて、茎が黒く見えるほどになります。
カラスノエンドウでもそういう現象が起こりますね。
蛇足:
冒頭の松尾芭蕉の句ですが、
♪行く春や近江の人と惜しみける♪と 詠んだものに対して
他のお弟子さんが、↓
♪行く歳や丹波の人と惜しみける ♪
でもよくはないかと師匠の句に難癖をつける場面があります。
それに対して、高弟の去来が、季節は春ではなくてはならないし、場所も琵琶湖の近江でなければならないと、「時」と「場所」の必然性を理由をあげて説く場面があります。
句作における絶対性(唯一性)の問題なのですが、皆様はどのように感じますか。
春の期間の一番最後を締めくくる節気となります。つぎの節気は5月5日の「立夏」で、暦の上では夏入りすることになりますから、それまでのこの期間は晩春となるのでしょうね。
行く春や近江の人と惜しみける 芭蕉
この句には:志賀唐崎(滋賀県大津市唐崎)に舟を浮べて人々春を惜しみけるに・・と頭注があります。
湖水朦朧とした琵琶湖に船を浮かべてその地の門人たちと春の別れを惜しんだのでしょうか。
西三河の濃尾平野の中にあっては湖水もありませんし、初夏が近いせいか、比較的さわやかな風が吹き、過ごしやすい季節となっています。
すでにこれまでに出した花ばかりになりましたが、ブログのページを埋めることにいたします。
今年最後となった牡丹の花三連発 ↓
白・赤・赤紫・・・いずれもこれが最後のひと花となりました。
サクラソウ ↓
この種類は今が一番力強い咲き方となっています。
キリシマツツジ ↓
花の命は短い・・・・・透明感のある純白の花は今が見ごろです。
近写 ↓
オモト ↓
オモトも蕾が上がってきました。ナメクジによって交配するそうですから、これからの事のようですね。
オキナグサの種 ↓
オキナグサの種がほどけ始めましたので、これを播種します。
アマドコロ ↓
柿の木の根元に円形に芽を出し始めましたが、どれもすぐに蕾をつけてきています。
ヒトツバタゴ ↓
別名ナンジャモンジャも蕾を見せています。
フクジュソウ ↓
根を痛めつけられてしまい、移植したフクジュソウですが、こうしてみると、葉の茂り方がまだ弱いようですから、来年の花はおとなしくなりそうです。
センボンヤリ畑 ↓
センボンヤリを少しばかり保護して、育成するつもりです。本当はそんなことをするまでも無い様なのですが・・・。
オキナグサ畑 ↓
オキナグサも一か所に固めて保護してみます。そのほかにもう一か所「保護区」を作るつもりでいますが、さらにその上に実生にとりかかってもいます。
付録:キツネアザミ ↓
先日風に揺れてうまく撮れなかったものに再チャレンジです。
近写 ↓
この草にはどういうわけかアブラムシがびっしりついて、茎が黒く見えるほどになります。
カラスノエンドウでもそういう現象が起こりますね。
蛇足:
冒頭の松尾芭蕉の句ですが、
♪行く春や近江の人と惜しみける♪と 詠んだものに対して
他のお弟子さんが、↓
♪行く歳や丹波の人と惜しみける ♪
でもよくはないかと師匠の句に難癖をつける場面があります。
それに対して、高弟の去来が、季節は春ではなくてはならないし、場所も琵琶湖の近江でなければならないと、「時」と「場所」の必然性を理由をあげて説く場面があります。
句作における絶対性(唯一性)の問題なのですが、皆様はどのように感じますか。