本宮山の山頂周辺にはいろいろなものが盛りだくさんに集まってきています。
まず、ピンポイントで、山頂には一等三角点や天測点があります。
これがあるということは見通しの良い場所であることになっていますから、三角点のそばには放送局のアンテナはもちろんのこと、自衛隊や国土交通省のアンテナもここに集まって来ています。
標高が700mを超す位置にありますすので、ここにアイススケートのリンクスが設置された時代がありました。そして、人集めのために小動物の飼育舎もありました。(現在はいずれも平地化して居ます。)
そして昨日記事にした「天の磐座」(あまのいわくら)があり、その根元に岩戸神社があります。
また、砥鹿神社の奥宮があり、参詣の人たちは車なら旧スカイラインを使って気軽に来れるし、身体の元気な人なら麓から歩いても来られます。
近年はウォーキングの老若男女が引きも切らずに参集し、それを当て込んで、山麓には「日帰り天然温泉」施設まで出現しているほどです。
小生の今回の山行はそういう喧噪を避けて、静かな渓谷歩きで山頂部分までやって来ています。
岩戸神社の前の霊神 ↓
ここが岩戸神社ではなくて、これはその手前の(おそらくお守りの)神様です。
小さなお像の背後には「導宗霊神」「妙念霊神」「妙意霊神」と書かれた木の札が立っています。
岩戸神社の入り口 ↓
ここから神社の”参詣道”に入っていきます。入口は狭い岩の隙間で、身体を横向きに屈めないと入っていけません。初めての時は、入った後に、再びここに出てこられるか不安になったものです。
”参詣道” ↓
四方を岩に囲まれた、暗くて狭い空間、今にも石に押し潰されそうで・・・・・閉所恐怖症ならずとも、恐怖を感じる場所ですが、この区間は5メートル足らずでしょうか、まことに小規模極まる参詣道です。
突き当りに”もの”が置いてあります。
岩戸神社 ↓
突き当りにあった”もの”は神社の社殿でした。
参詣道が極小規模なら、社殿もまるでおもちゃのような極小規模振りです。
しかしこれを指して”もの”とは罰当たりな表現ですので、前言を「岩戸神社の社殿」と訂正させていただきます。
お参りを済ませ、岩に囲まれた参詣道をすり抜けて外に出て、崖っぷちの階段を上り、山道に戻ります。
今度は砥鹿神社奥宮へ向かう ↓
岩戸神社のあとは砥鹿神社の奥宮を目指し、山中の巻き道を歩きます。
途中の池 ↓
その途中に人工の池があります。おそらくこれは、昔、この上にあったスケートリンクスの施設跡ではないかと思います。
池の鯉 ↓
その池には錦鯉が二匹いました。もう20-30年はこの大きさでいるようです。
ミジソバか? ↓
池のふちを歩いてみるとこんな花も咲いています。
オタカラコウ ↓
池に水が入り込む付近ではオタカラコウも咲いています。
以前はこういう場所以外でも、ここまで来る道筋でこの植物を見ていましたが、シカの食害でしょうか、すべて消え失せてしまいました。
ヤマジノホトトギス ↓
ホトトギス類はここへ来るまでにもいくつか株を見てきましたが、すべてが未だ蕾でした。
この株だけが花をつけて出て来ましたが、随分小さな株でした。
ツルアリドオシ ↓
赤い実をつけています。
赤裸 ↓
この付近で赤い樹肌の杉を見かけます。これは今年皮を剥いだ杉の木ですね。なんでも神社仏閣の屋根に剥いだ杉皮を使うそうです。
あたりの茶灰いろの樹肌はそれ以前の年に剥いだ樹幹です。
参詣道 ↓
砥鹿神社奥宮の社殿が近づいて来ました。石段の参詣道周辺は如何にも神寂びています。
社殿 ↓
砥鹿神社奥宮の社殿にお参りしていきます。当初はここが砥鹿神社の本社(ほんやしろ)だったそうですが大宝年間(701年~704年)に、里(三河の國一之宮)へ社殿を造営し、山頂の社(やしろ)を奥宮、里の社殿を里宮とし、現在では里宮が本社のようになっています。
御神木 ↓
社務所前には御神木の、樹齢1000年以上と言われる大杉が立っています。ここを通り、山頂を目指します。
シロモジ ↓
途中でシロモジの木に実がついているのを見ました。
山頂まで最後の登り ↓
これを登りきると、あそこが山頂です。
山頂 ↓
その昔は小石の堆積はありませんでしたが、これが流行りなのでしょうか、だんだんと増えてきています。
一等三角点 ↓
付近には天測点の大きな標石がありますが、これは人工衛星での測量に切り替わったようで、今は用無しになったのでしょうか、せっかくの構築物が傾いてしまっていますから、撮影はしたのですが掲載は割愛しておきます。
まず、ピンポイントで、山頂には一等三角点や天測点があります。
これがあるということは見通しの良い場所であることになっていますから、三角点のそばには放送局のアンテナはもちろんのこと、自衛隊や国土交通省のアンテナもここに集まって来ています。
標高が700mを超す位置にありますすので、ここにアイススケートのリンクスが設置された時代がありました。そして、人集めのために小動物の飼育舎もありました。(現在はいずれも平地化して居ます。)
そして昨日記事にした「天の磐座」(あまのいわくら)があり、その根元に岩戸神社があります。
また、砥鹿神社の奥宮があり、参詣の人たちは車なら旧スカイラインを使って気軽に来れるし、身体の元気な人なら麓から歩いても来られます。
近年はウォーキングの老若男女が引きも切らずに参集し、それを当て込んで、山麓には「日帰り天然温泉」施設まで出現しているほどです。
小生の今回の山行はそういう喧噪を避けて、静かな渓谷歩きで山頂部分までやって来ています。
岩戸神社の前の霊神 ↓
ここが岩戸神社ではなくて、これはその手前の(おそらくお守りの)神様です。
小さなお像の背後には「導宗霊神」「妙念霊神」「妙意霊神」と書かれた木の札が立っています。
岩戸神社の入り口 ↓
ここから神社の”参詣道”に入っていきます。入口は狭い岩の隙間で、身体を横向きに屈めないと入っていけません。初めての時は、入った後に、再びここに出てこられるか不安になったものです。
”参詣道” ↓
四方を岩に囲まれた、暗くて狭い空間、今にも石に押し潰されそうで・・・・・閉所恐怖症ならずとも、恐怖を感じる場所ですが、この区間は5メートル足らずでしょうか、まことに小規模極まる参詣道です。
突き当りに”もの”が置いてあります。
岩戸神社 ↓
突き当りにあった”もの”は神社の社殿でした。
参詣道が極小規模なら、社殿もまるでおもちゃのような極小規模振りです。
しかしこれを指して”もの”とは罰当たりな表現ですので、前言を「岩戸神社の社殿」と訂正させていただきます。
お参りを済ませ、岩に囲まれた参詣道をすり抜けて外に出て、崖っぷちの階段を上り、山道に戻ります。
今度は砥鹿神社奥宮へ向かう ↓
岩戸神社のあとは砥鹿神社の奥宮を目指し、山中の巻き道を歩きます。
途中の池 ↓
その途中に人工の池があります。おそらくこれは、昔、この上にあったスケートリンクスの施設跡ではないかと思います。
池の鯉 ↓
その池には錦鯉が二匹いました。もう20-30年はこの大きさでいるようです。
ミジソバか? ↓
池のふちを歩いてみるとこんな花も咲いています。
オタカラコウ ↓
池に水が入り込む付近ではオタカラコウも咲いています。
以前はこういう場所以外でも、ここまで来る道筋でこの植物を見ていましたが、シカの食害でしょうか、すべて消え失せてしまいました。
ヤマジノホトトギス ↓
ホトトギス類はここへ来るまでにもいくつか株を見てきましたが、すべてが未だ蕾でした。
この株だけが花をつけて出て来ましたが、随分小さな株でした。
ツルアリドオシ ↓
赤い実をつけています。
赤裸 ↓
この付近で赤い樹肌の杉を見かけます。これは今年皮を剥いだ杉の木ですね。なんでも神社仏閣の屋根に剥いだ杉皮を使うそうです。
あたりの茶灰いろの樹肌はそれ以前の年に剥いだ樹幹です。
参詣道 ↓
砥鹿神社奥宮の社殿が近づいて来ました。石段の参詣道周辺は如何にも神寂びています。
社殿 ↓
砥鹿神社奥宮の社殿にお参りしていきます。当初はここが砥鹿神社の本社(ほんやしろ)だったそうですが大宝年間(701年~704年)に、里(三河の國一之宮)へ社殿を造営し、山頂の社(やしろ)を奥宮、里の社殿を里宮とし、現在では里宮が本社のようになっています。
御神木 ↓
社務所前には御神木の、樹齢1000年以上と言われる大杉が立っています。ここを通り、山頂を目指します。
シロモジ ↓
途中でシロモジの木に実がついているのを見ました。
山頂まで最後の登り ↓
これを登りきると、あそこが山頂です。
山頂 ↓
その昔は小石の堆積はありませんでしたが、これが流行りなのでしょうか、だんだんと増えてきています。
一等三角点 ↓
付近には天測点の大きな標石がありますが、これは人工衛星での測量に切り替わったようで、今は用無しになったのでしょうか、せっかくの構築物が傾いてしまっていますから、撮影はしたのですが掲載は割愛しておきます。