ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

3/29日 明治用水沿いの桜並木で満開の桜を観る

2021-04-01 07:08:11 | 草花
4月1日はエイプリルフールということで、他愛もないウソをついてもよい日だとされてきました。
小生がまだ子供の頃の昭和20年代後半から30年代前半頃までは邪気のないうそをつきあって遊んだものでしたが、昨今はそういったことがすっかり影をひそめてしまい、あっけない世の中になったものだと感じています。
ところが、ヨーロッパ発の他愛もないウソは健在のようで、時々はニュースなどによって知るところであります。

今頃になって満開の桜の記事を出すのも今更のようで、気が引けますが、昔なら入学式の頃に咲くこの花は、格別の意味があったような気がします。
ところで、昔に人々が愛でた桜は山桜だったとされています。
西行法師の桜の歌は
  願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃  この歌の頃には未だ染井吉野は無かった。

都都逸の
  咲いた桜になぜ 駒 繋ぐ 駒が勇めば花が散る  と唄われた時も、桜はきっと山桜だったのでしょうね。

戦時下で
  貴様と俺とは同期の桜 同じ〇〇〇の庭に咲く・・・・・と愛唱されたさくらは染井吉野になっていたことでしょう。

ふーてんの寅さんの妹のさくらさんは、こちらは格別なやまと「撫子」(ナデシコ)だったのではないでしょうか。


不特定の人を集めて商うその場には、「さくら」が居たりしましたね。こちらはエープリルフールどころか年中いつでも、お得意の嘘八百だったのかもしれません。近頃流行りの行列のできるお店でも「さくら」はきっと紛れていることでしょう。

俳句では
 山の鳥来てさわぎゐる桜かな 山口青邨
 大仏殿いでて桜にあたたまる 西東三鬼
 ゆさゆさと大枝ゆるゝ桜かな 村上鬼城 
 枝垂桜垂れて疎水の水にまで 山口誓子
 糸桜夜はみちのくの露深く 中村汀女
 奈良はよし朝餉の卓に初桜 福田蓼汀
 さくら咲くおくれて笑ふ老婆にも 長谷川双魚
 人寝てさくら月夜ののこりけり 柴田白葉女
 さくら咲きあふれて海へ雄物川 森 澄雄
     ・・・・と昭和以降のものが並びます。

JR三河安城駅前のツツジ ↓

派手に赤い色が面積を拡げつつありました。



明治用水路沿いの桜 ↓








幹に咲いていた桜 ↓


枝を強く伐り込まれた桜 ↓






道端に散った花びら ↓


水たまりの花びら ↓


今年の満開見納め ↓




カラスノエンドウとスズメノ・・・・↓




キンカン ↓

誰も実を取らずにこのまま落ちていくようです。勿体ないことです。

コメント (4)
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