LOVE - GOLDEN APPLE

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自分の興味ある事を勝手に綴っているブログです。

茨城で震度5、が意味する事。伊勢サミットに向けて。

2016-05-22 19:13:37 | 日記
先日、茨城で震度5の地震がありました。
私のところでも多少の揺れを感じ、「あ、地震」と叫んだのですが、私以外その他の家族は全く解らず。。。
揺れた?どこ?と思ってテレビを見ていたら、茨城で震度5の地震というテロップが流れました。

私も敏感、なんて一人で感心。

ですがなんで今頃茨城で、と不思議に思いました。こう立て続けに地震が起きては、人々が不安に思うため、気象庁では熊本地震とは関係ない、と必死に否定していましたが、私自身は関係ないはずないよね、とは思っていたのです。

というのも、この茨城って例の中央構造線の終着駅ではないでしょうか?(九州と茨城と実はどちらが始まりでどちらが終わりなのかは解りませんが。。)
そしてそこには鹿島神宮が。。。



そして更には、その日は調度諏訪大社下社の建て御柱が終了した、まさにその日だったのです。
諏訪の神事が全て終了した直後の事だったのです。


このような日に茨城で震度5の地震という事は、何か意味があると思っても不思議では有りません。
そして、更に驚いた事は、この茨城の地震の最大震度の場所がなんと、小美玉市というところです。

小美玉市!(おみたまし)

驚きました。

というのもこのおみたまという言葉、神道で言うお御霊という言葉と読みがそっくりだからです。
御霊(みたま)とはすなわち神様に対する敬称ですが、神様そのものを示しています。あるいは身のうちの神様を示しているのではなかったかしら?

そういう言葉の響きを持ったところで震度5とは、何か意味があると思っても不思議では有りません。

何かが終わったのか、あるいは何かの始まりなのか。何かに怒っているのか。何を伝えたいのか。
何か意味があるらしい、と思ってもそれがなんなのか全く解らないのがもどかしいです。
今後の日本と世界に起きる事に注意していかなければいけないと思います。

そして今週はサミットの週です。

一年くらい前、サミットの場所が伊勢に決まったと聞いたときは、軽井沢、残念。でも伊勢の方が伊勢神宮もあるしいいかもね、なんて簡単に考えていましたが、このような一連の流れのあとの伊勢サミットと聞くと、とても重要な事と思えてしまいます。

熊本地震(阿蘇神社、弊立神宮)から始まり、諏訪大社、小美玉(鹿島神宮)を経て、そして伊勢(伊勢神宮)という流れです。

これにはどのような意味があるのでしょうか。

偶然と言えば偶然ですが、あの熊本地震後のこの流れだと、やはり意味があるものと思えてしまうのです。
この一連の流れの後に、伊勢に世界の要人が集結って、どういう事なのでしょう。

いずれにせよ、日本の神様、日本と私たち日本人そして世界を良い方向に導いて欲しい、お願い、なんて祈ってしまいます。
そして、その熊本地震、まだ収まる気配はありません。

その伊勢神宮、サミットを前にして世界から注目されているようですが、要人の皆様も26日に内宮を訪れるという事。宗教的な意味ではなく、訪問という形だということですが、非公開の御垣内まで見学?されるとか。(非公開の御垣内ってどこの事を指しているの?一般人は手前の御垣内での参拝は出来ます。今回は総理大臣が入れるところまで皆さんで行かれるのかしら??そこの事でしょうか?)
要人の皆様、日本の最高の神域の気を少しでも感じていただいて、世界に持ち帰ってほしいです。

何かが正されるのか。
伊勢の神様、熊本地震や日本の事そして世界の事はお願いね、ですね。
サミットの間には何事も起こらなければ良いですが。



伊勢神宮内宮です。伊勢市観光協会HPページより。








真田丸 大阪に舞台が移りましたが、そこで気になる事。言葉の問題です。

2016-05-22 13:27:31 | ドラマ
真田丸、相変わらず好調な状態ですね。
舞台も大阪に移り、新たな展開になってきました。が、徐々に徐々に、昌幸パパとのぶしげちゃんや信幸お兄ちゃんの過酷な運命が近づいていると思うと、複雑な心境です。

そして、ドラマの舞台が大阪に移ったとき、今までの時代劇ではあまり考えた事もなかった疑問がわいてきました

それは「言葉」の問題。

茶々ちゃんが、「信濃の山奥から出てきた原二郎」としゃべっていましたが、そのときにふと、当時の上田から大阪まで初めて出出て行って、言葉はどうしたんだろうという疑問が湧いてきたのです。

確かに「信濃の山奥」です。今でこそ、上田はそこそこの地方の町となっていますが、真田のお屋敷付近などは今でもほんとに田舎。ですから、田舎っぺが大阪というまばゆい都会に出て行ったのですから、当時はそこの生活に慣れるのが大変だったのではなかったのかと推測しますが、ドラマののぶしげちゃんは物怖じせずに立ち回っていて、感心!?

でもですよ。
大阪というと大阪弁。皆さん、ガチガチに大阪弁しゃべっているところが大阪です。
私自身、大阪というと外国のような気がしてしょうがない。大阪駅に降りたとたん、聞こえる言葉は大阪弁だらけ。当然と言えば当然ですが、大阪の人たちって、まるで水戸黄門の印籠のように、「この大阪弁がわからぬかああああ」というような雰囲気でしゃべっているものですから、ついついこちらの言葉を発するのが恥ずかしいような気になってしまいます。

同じ関西でも、京都や奈良とか岡山とかではそのようには感じないので、不思議ですね。

また、東北のほうの言葉も全く解りません。
まだ私が若い頃、今ではもう使われていないと思うのですが、九段会館に用事で宿泊した事があります。そこで、東北の方の人たちと一緒になったのですが、その方たち、おそらく皇居の清掃とかでいらしていたんだと思います。そこで聞いた言葉、「これ、日本語?」と思うくらい、全く解りませんでした。

ここ、長野県でももちろん方言有ります。今でも長野県民以外は全く理解出来ない言葉もあります。 
現代でもこういう事があり得るのに、当時はどうだったのか疑問。

江戸時代でも、地方の武士が集まるとお互いの話が全く理解できないので、サムライ言葉なるものを作ってこれを武士の標準語にしたという事です。

では、戦国時代特に豊臣政権下では言葉の問題はどうしていたのでしょうか?

ドラマでは時々秀吉さんたちが三河弁?名古屋弁?みたいなものを使っている場面も出てきていますが、大阪の方言は使っていたのでしょうか?
昌幸パパが秀吉に謁見する場面がありましたが、それも見ても、地方から来ている武士たちは、秀吉の言葉を理解出来たのかどうか疑問に思ってしまいました。


のぶしげちゃん、そういう見た事もない土地、聞いた事もない言葉の中で良く頑張っていると思います。
大阪夏の陣の頃には完璧な大阪弁だったのかしら?
そういう事を考えると、信濃の真田が大阪の真田になってしまったようで、一抹の寂しさが。。。

ドラマの内容よりも、最近はコミュニケーションの事が気になってしょうがない。