今年の朝の連続ドラマ なつぞら は主人公がアニメーターになるという話。
このドラマの事が発表された時、戦後すぐからのお話のようで、それは面白そうにも思えるけれど、アニメーターって何❓それが面白いの❓なんて思ってしまっていた私。
特に、前回のドラマのお話が、インスタントラーメンからカップヌードルを開発した人の本当の話を元にしたドラマだったので、とっても面白く、そのため、今度のドラマのアニメーターになるっていう話に面白さを感じていませんでした。
また、毎朝のBSでの放送は、おしん の放送直後の放送だったので、なおさら違和感を感じてしまい、見ていない時も多かったです。
が、その中でも興味が持てた内容が、アフレコで声優さんたちが作品に命を吹き込んで行くところ。
先週の土曜日は、ちょうどこの場面を放送していました。
声優さんたちがアフレコを行なっているところを、スタッフがドキドキワクワクしながら見守っている姿。一つの作品が命を与えられる場面です。この場面で、こうやって一つの作品をなんにもないところからみんなで作っていくのだ、という高揚感を感ずる事が出来ました。
そして、この場面を見ながら、その姿が放火事件に遭遇してしまった京都アニメーションの方々とダブってしまい、とても残念に思えてしまいました。亡くなられた方々もこうやって作品を作っていたのだという事と。
まだまだやりたい事や作りたい作品が沢山あったろうに、と思うと残念でなりません。
また、身元が判明するまでに一週間くらいかかってしまうという話も聞き、あの火災と煙でまっさらなご遺体はないのだろうと想像がつきますが、よもや、そのような姿で亡くなってしまう事は、ご本人もご家族も想像すらしていなかったと思います。
今後、完成された作品として誕生すべきだった多くの作品が世に出る事もなく途切れてしまったことを考えると、非常に無念に思います。
また、当日はなつぞらに絡んで、NHKの取材がある予定だった、という話も聞きました。もし、火災もなくこの取材が無事に放送されていたら、京都アニメーションという名前もまたまた脚光を浴びたのに、と思うと、それも残念に思います。
ご冥福をお祈りいたします。
なお、この放火事件で多くの若い人命が奪われ、それが京都アニメーションのスタジオだった、という事にはどういう意味があるのか、どう解釈すれば良いのでしょうか。社会へのなんらかの警笛なのでしょうか。
朝ドラは見たり、見なかったりですね。
ただ、今回の京都アニメーションスタジオ放火事件もあって、以前よりは見るようになりました。
ところで、何とも痛ましい事件、どこでどうなっていたのか。
心に病を持っているのか、被害妄想が拡大したものか、全く理解の出来ない放火事件です。
川崎登戸の引きこもり包丁男と云い、理解しがたい人間が多すぎます。
いい年をしたものの蛮行、怖い世の中ですね。
防御のしようもありませんから・・・。
困った世の中です。
穏やかな時代でありますようにと、願わざるを得ません。