どうする家康
明日が最終回の様で、、。
そこで、ふと思ったのですが、今描かれている大阪の陣は江戸時代に起こったことで、これが最後の戦国の戦だったんだ、ということ。
当たり前と言っては当たり前ですが、学校の歴史では
関ヶ原の戦いで勝利した家康は江戸幕府を開きました
としか教わりませんでしたっけ。
ですから、江戸時代になっても茶々や秀頼が生きていた、ということをずいぶん後になって知って驚いたことを覚えています。学校の授業では、大阪の陣なんてことは、詳しく教わらなかった気がします。
教わったとしても、その時はあまり興味がなかったのかも。
そして 大阪の陣。
真田信繁さんが活躍する戦ですが、この戦が、戦国最後の戦なんですね。
でも、兵力の差を見れば圧倒的に徳川が有利だったと思うのですが、それでもこの時に戦ったのは、やはり豊臣としてのメンツがあったから❓死ぬのは明らかだったと思いますが、ここはしばらく徳川に従順したと見せかけて、いづれは、と思わなかったのでしょうか。
でも、徳川の家臣になるくらいなら、と思ったのかもしれませんね。豊臣としてのプライドもあったでしょう。
また、徳川側としては、不穏分子をあえて残すよりも完膚なきまでに壊滅した方が、幕府運営にとっては正解だったのでしょう。
そしてこのあと、明治維新ごろのいざこざまで、大きな戦もなく太平な世の徳川の時代が続きます。
戦国時代は一応、1467年の応仁の乱ごろからと言われていますが、鎌倉時代の武士の台頭も含めてもいいとも思っています。
あの頃から戦ばっかりですから。
その全てを終わりにした、大阪の陣。
そして、武士の時代も実質的にはこれで終わりになったと思います。江戸幕府の頃は、武士といえどもただの公務員の様な存在。
そういうことを考えると、大阪の陣は、日本史上、大きな意味合いを持つのではないでしょうか。
単に、豊臣が滅んだ、だけではなく。
そして、そこまで生きることのできた家康は最初からこういう運命だったんですね、と改めてその存在の大きさに驚きます。
この時代、徳川家康が短命だったら、織田信長が生きていたら、豊臣秀吉がもっと力をつけていたら、今の日本はどうなっていたのでしょうか。
真田丸 を見ていた時は、この戦のことはそれほど何も思わなかったのですが、今回は日本史の中の大阪の陣、ということにすごく興味を持ちました。