自分の思い出を仕舞う小さな木箱。
若い頃 高い山の縦走が楽しかった事、オリエンテーリングで林を走った事、ダイビングで水の中が景色になったこと、バイクで風になった事、自分のフネを持って湖が移動できる場所になった事、息子が望みの学校に合格したこと、・・・・・・・・。
そんな楽しい思い出を小さな木箱に入れて、
最後に持って一緒に箱に入ろう。
思い出箱と一緒に煙になって高く高く昇って行こう、後には何も残さず。
普段ぼっと生きていても、もし病気になって医者に余命20年ですと言われたら終わりを意識しますね。
私も来年早々に70歳、平均寿命から言っても自覚している寿命からしても 一桁。
余命20年の半分以下。
最期を意識したらよりの頃を有意義に過ごせる気がします。
自分の好きなものでもすごくあって食べ放題 ではなく 残り 一個 となると大事に食べます。
まあ、無限はあり得ないし、地球だって、宇宙だっていつかは終わる。
まして生き物など長くて数十年、短いものは朝生まれて夜には死んでいるものもあるでしょう。
この、終わり、果て、を意識するかしないかで生き方の密度は変わってくると思いました。
( 追記 )
夏ですし、気になっていた仏壇の掃除をしました。
介護中、母がよろけてお線香やおりんを置くために引き出す板を壊したのも思い出です。
全部引き出さねばそのまま使えています。
仏壇の掃除はこまごました細工があるので大変です。
釈迦三尊を置いてある欄干?は細かい細工で柔らかいブラシで掃除、上の棚から順に 位牌を拭いて棚を拭いて、その下のお茶と水とご飯を置く棚も綺麗にして、作り物のお花のほこりを払い、蝋燭(LED)お線香(電池式)も綺麗にして久しぶりにさっぱり。
暑いのでお水を備えなおしました。
まあ、これだけ片付けるのも大変です。
今日も猛暑、来年の今頃はオリンピック、多くの人が熱中症で倒れ、命を失うのは目に見えています。
競技場など人が多く集まるところでは救急車の対応でなく、野戦病院のように仮設でもいいから沢山のベッドと医療者を確保すべき。
数年後、爆発的に後期高齢者が増えて介護や医療が破綻と同じように来年の熱中症も沢山の人が倒れるのが解りきっているのだから前例主義はやめて早め早めの対応が期待されます。
熱中症介護のボランティアも沢山育成すると良いと思います。
まあ、やっているでしょうけど。