( 写真は昔のものです )
大学に入学して上京し初めての一人暮らし、叔母たちに手伝ってもらい下宿を探して学校のそばの3帖にしました。
平屋の貸家の上に2階を増築し、べニアで3帖4つに仕切ったところでした。
べニアの仕切りだけなので音は筒受け、壁に寄りかかると隣の部屋の物が落ちると言う状態のもの、でもその頃はそんなのが当たり前でした。
1帖1000円の時代。
入学してすぐ大家が来て前から入っていた土木課の先輩のところに行って一緒に来いと言って、出口そばの私も来いと言うのです。
何? と思ったら先輩と一緒に車に乗せられ駅前の交番へ。
交番に行くと先輩の事を こいつ(土木課の先輩)はギターを弾くし長髪の悪者だ、下宿を出ろと言うのに出ない と言いいます。
その頃長髪、ギターはあたりまえでした。
学生運動全盛時代、学生は嫌われていました。
でも、こんなの交番に来る問題ではない。
警官も困って対応していましたがその中の一人が 自分も下宿を経営しているが今大変だ のような話をして、先輩は下宿を出る事になりました。
何だこれ?
1年ごとに入れ替えたほうが礼金が儲かるからですね。
何だか分からないうちに 君も3500円にすると言われて入ってすぐ500円値上げされることになったのです。
無茶苦茶な話でしょ。
我が家の家族は少しして上京し近くの市に住むことになりました。
狭い団地でしたので私まで住むのは無理でしたが、案の定大家は1年で追い出しにかかり父も頑張りましたが実家に移る事になりました。
狭さは気にしなかったし、私は家族で住めるのは楽しかったで良かったのですけど父は狭いのを気にしていたみたい。
昔の学生はひどいところに住んでいたものです。
トイレ無し、流し無しですよ。
トイレの大は学校で済ませ、小はそばの水路でした。
大でどうしようもない時は下の借家に行きトイレを借りたのです。
お風呂は1キロほど離れた銭湯。
下宿の友達と行ったものです。
やがて隣の貸家の上にも増築され、そこに小さい流しとトイレが出来ました。
トイレ汚かったな~。
流しもゴミを置きっぱなしにする者がいて使おうとするとハエが飛び立つと言う不潔さ。
私の部屋は北向きで窓の1メートル先は新築された壁、北の窓は腰高で目隠しべったり、押し入れは奥行きの狭い腰高で布団1枚で一杯。
洗濯物は東のひじ掛け窓の外で階段の上、干すとぽたぽた水が落ちました。
3帖に机を置き、大きな製図版を置くと布団を敷くだけのスペースがあるかないか。
今考えるとひどい環境です。
今、こんなところに住む学生はいないでしょうね。
1年でしたが今思うとすごく長く感じます。
隣の機械科の同学年の友達、廊下の向かい側の建築科の先輩どうしてるかな。
( 追記 )
今朝は道路が濡れています。
暑さ寒さも彼岸まで、台風が連れてきた北替えの影響で今朝は寒かった、厚手の布団にしていて正解でした。
ニャンさんは寝る時帰って2階廊下の手すりにいましたが降りたら母の部屋の猫ベッドにいてまだ寝ています。
洗濯物は少ないし寒かったので汗もかかず今朝は後ほど給水作業する事にして、鶏、豆腐、玉ねぎのミニ鍋。
アルコールストーブとメスティンで調理です。
手持ちのアルコール燃料が少なくなったので発注。
調理は圧力鍋を使う時以外アルコールストーブを使ってアウトドア気分を楽しんでいます。