なかなか 入所できないという 特養に父は
入所が 決まり
今日 外からだけど みてきた。
入り口の所だけだけど ホテルみたいな 入口
わたしの知り合いの人たちは
もう 大分前に 両親を亡くしている人が ほとんど。
だから ほとんどの人たちが 50歳になるか ならないかで
親を亡くされている。
わたしは 幸せにも 母は 86歳で 旅立ち・・
父は 88歳で 健在
父の健在といっても 介護認定4.
何度も 書き込みしているけど わたしは 父と 生活を共にしたことがない。
今 父は とりあえずの 介護施設で お世話になっている。
けど 食事は 評判の施設で 最高の食事をしている。
ヘルパーさんたちも 気を使ってくれていて
今日も みんな いいよ
そう 言っている。
入所した当時は 『イヤだよ! こんなところ!いつまで 居るンだよ』
全く 動けないからだでも そう いつも 言っていた。
でも 今は 家に帰りたいとは 全く 言わなくなった。
父の家・・
8年位前の お正月
いつものごとく ここで 娘、孫 (父、母には 曾孫)
例年のごとく 食事をする。
どうも 父が 最悪の身体で 車で ここへ 来たと 母は 後で言っていた。
『どうか! 無事に 娘のところへ 行きますように・・
)
そう 車の中で 手を合わせて 祈っていたといってた。
で 無事 ここへ 到着したことは したのだけど
全く 歩ける状態じゃなく 唇は 紫色・・
ちかくの 病院へ 父の状態を 伝えると すぐ 病院へくるように!
そう 言われ タクシーで病院へ
まだ その頃は 救急車ということが 頭に浮かんでこなかったのだろうなぁ・・
で 病院で 検査・・
心臓に異常が あるということで 即入院
それも ICUのような 危険な状態のひとの部屋に入院
本当に よく あの状態で 車を運転してこられたと 驚く。
すごい 精神力を やっぱり持っているなぁ・って。
あのとき 父は 80歳になった年だと想う。
無事退院して
けど もう 老夫婦での 生活は 無理ではないかと
父も 退院しても その後は 一生心臓の治療で 病院のお世話にならないこともあり
30年以上住んでいた 家から
わたしの住んでいる 団地へ越して来た。
わたしは 目の前に住んでいる 同居人の このマンションへ・・
でも 両親を ちゃんと 看れる 幸せを感じてる。
両親も それは わかっていると想う。
色々 本当に 考えること 一杯だなぁ・・
老いた 両親を看ながら
わたしも しっかり 自分の老後を考えることが
出来ているのだと想う。
よく 親を 早く亡くした方が
『いいなぁ 羨ましい 親を看ることができて・・』
そう 言われる方が いる。
けど わたしは やっぱり そんなこと 軽々と 言えないと想う。
看るほうも 看られるほうも
どれだけ 辛いことか・・
老いて 歩けなくなること・・
自分のことが できなくなるってこと・・
それは 子も 親も それは とても とても 辛いこと・・。
それを 簡単に 『羨ましい』なんて・・
あまりにも 無神経で・・ 哀しい・・。

これは 3年前の今頃 父が救急車で それから 1週間後 母が・・救急車で
入院して 病院で デート
入所が 決まり
今日 外からだけど みてきた。
入り口の所だけだけど ホテルみたいな 入口

わたしの知り合いの人たちは
もう 大分前に 両親を亡くしている人が ほとんど。
だから ほとんどの人たちが 50歳になるか ならないかで
親を亡くされている。
わたしは 幸せにも 母は 86歳で 旅立ち・・
父は 88歳で 健在

父の健在といっても 介護認定4.
何度も 書き込みしているけど わたしは 父と 生活を共にしたことがない。
今 父は とりあえずの 介護施設で お世話になっている。
けど 食事は 評判の施設で 最高の食事をしている。
ヘルパーさんたちも 気を使ってくれていて
今日も みんな いいよ
そう 言っている。
入所した当時は 『イヤだよ! こんなところ!いつまで 居るンだよ』
全く 動けないからだでも そう いつも 言っていた。
でも 今は 家に帰りたいとは 全く 言わなくなった。
父の家・・
8年位前の お正月
いつものごとく ここで 娘、孫 (父、母には 曾孫)
例年のごとく 食事をする。
どうも 父が 最悪の身体で 車で ここへ 来たと 母は 後で言っていた。
『どうか! 無事に 娘のところへ 行きますように・・

そう 車の中で 手を合わせて 祈っていたといってた。
で 無事 ここへ 到着したことは したのだけど
全く 歩ける状態じゃなく 唇は 紫色・・
ちかくの 病院へ 父の状態を 伝えると すぐ 病院へくるように!
そう 言われ タクシーで病院へ
まだ その頃は 救急車ということが 頭に浮かんでこなかったのだろうなぁ・・
で 病院で 検査・・
心臓に異常が あるということで 即入院
それも ICUのような 危険な状態のひとの部屋に入院
本当に よく あの状態で 車を運転してこられたと 驚く。
すごい 精神力を やっぱり持っているなぁ・って。
あのとき 父は 80歳になった年だと想う。
無事退院して
けど もう 老夫婦での 生活は 無理ではないかと
父も 退院しても その後は 一生心臓の治療で 病院のお世話にならないこともあり
30年以上住んでいた 家から
わたしの住んでいる 団地へ越して来た。
わたしは 目の前に住んでいる 同居人の このマンションへ・・
でも 両親を ちゃんと 看れる 幸せを感じてる。
両親も それは わかっていると想う。
色々 本当に 考えること 一杯だなぁ・・
老いた 両親を看ながら
わたしも しっかり 自分の老後を考えることが
出来ているのだと想う。
よく 親を 早く亡くした方が
『いいなぁ 羨ましい 親を看ることができて・・』
そう 言われる方が いる。
けど わたしは やっぱり そんなこと 軽々と 言えないと想う。
看るほうも 看られるほうも
どれだけ 辛いことか・・
老いて 歩けなくなること・・
自分のことが できなくなるってこと・・
それは 子も 親も それは とても とても 辛いこと・・。
それを 簡単に 『羨ましい』なんて・・
あまりにも 無神経で・・ 哀しい・・。

これは 3年前の今頃 父が救急車で それから 1週間後 母が・・救急車で
入院して 病院で デート