いつもの 通りの 日常
同居人は また ひと言も 話さずの 日々・・
うんざり・・している・・
くぅの 脚は やはり・・ あまり 良くはない
けど
17歳と ひと月を過ぎ
食欲は 旺盛だけどね
わたしは くぅが いるから ここに住んでいる
本当に 日増しに 実感し
同居人のような 人間性の人とは
やはり ひとつ 屋根の下での 生活
それも くぅが 存在していなかったら
絶対に 無理だと 想う
近くの 「UR 元公団」
引越を 本気で 考える
ひと月に 1度 同居人が イヤで 2泊3日の旅行を 以前はしていた
けど 今は くぅが 心配で 外泊は 絶対に できない
おまけに
昨年の 春くらいまでは それでも 同居人が
月 1度の 3泊4日の メタ旅行
そして 週1回の お墓参り
なんとか キモチを キープしていたような・・気がする
けど
昨年の 春に 心臓で入院 カテーテル治療をして
今では すっかり 快方しているけど
もう 以前のように メタは ほとんど していないし
週1回の お墓参りも やめてしまった
月1度 お墓と 同じ県の 顧客訪問が あるので
その時には 1泊で お墓まりを している
だから 今では 月1回だけの 外泊・・
3泊の 旅行も 全く行かないし
顧客も 3, 4件しかないので
いつも 家の中・・から
玄関の外へも 出て行かない
まさに 引きこもり・・
日によっては 笑ったり
わたしに 冗談を 言ったり
その冗談が 本当に いつも 同じで
「金出せよ・・ 年金 入っただろう?!」
冗談では あったとしても 機嫌の良い日には 1日 何度も そう言って
得意げだ
そう笑った次の日は 機嫌が 悪く 何を 言っても
敢然 無視をする
といって 急に 気が変わって
「金 出せよ}
以前は 「今夜は 〇 〇食べよう」と 言ったりしていたけど
そういうことは 滅多に 言わなくなり
わたしが 「何 食べたい?」と 尋ねると
「あるもの!」
わたしは 「 あ・・ そう」と・・。
それしか コトバが 浮かばなくなってしまった
それでも 今は くぅが いるから
まだ なんとか 繋がっていられるけど・・ね
モモが 旅立ったときに
モモは 認知で 2年近く 部屋の中を 徘徊していた
その頃は 今から 17年前・・わたしは このマンションの 真下の
団地に住んでいたので 同居人は ほとんど 状況は知らない
わたしは 心の中で 「モモ 死んじゃぇ~」と 恨んでいた・・・
一晩中 倒れるまで 部屋を 歩いていた
6畳 一間 洋室には 家具一つ置かず
倒れたら 痛いだろうと わたしは すべてに 敷物を引き
モモが 寝るまで テレビを 横で 眺めていた・・
さすがに 53キロまで 体重が わたしも 落ちたっけ・・。
辛かった・・本当に 辛かった
元気 いっぱいの モモを 知っていたから 余計に 辛かった
最期の 2ヶ月くらいは 寝たきりになり
床つれが 起きないようにと 1時間に 1度 身体の 向きをかえ
ちゃんと 食べられなくなってしまったので 太い 注射きのようなものに
流動食を つくって 流してあげた
やはり コトバには 尽くせな程 愛しい 存在だった・・
今年で 亡くなって 17年・・・。
毎年 2回 塔婆供養をしている
お墓参りも そのほか している
くぅが 旅立ったときは
わたしと 一緒の お墓に・・と 想っている
同居人・・
あのような 人間性で 本当に・・ どうするのだろう・・と
その日 その時の 気分まかせのひと・・
それで ひとが どう 感じるかとか・・ 全く気にしない
お風呂も 相変わらず かけ湯 なしで ・・
それなのに 1人で ずっと 居ると 不機嫌に・・」」」
わたしは 気にしない 大きな ひとへと
なりたいと 想う
まぁ・・・ 無理だなぁ・・