仏教で最も根本的な煩悩とされるのが、「三毒(さんどく)」といわれるものです。
「三毒」とは、「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」です。
「貪」は欲望にとらわれ、「むさぼる」ことです。
「瞋」は感情を抑えず、「怒る」ことです。
「癡」は学ぶことをせず、「無知」なことです。
簡単にいうと、紀元前の昔から、いつも食欲や性欲をみたすことばかりを考えて、怒ってばかりで、学ばないような人が一番ダメだということです。
今回は、二番目の「瞋=怒り」について考えてみます。
ブッダは怒りがわいたときの対処法を説いています。
怒りがわき起こることは誰でもあると思いますが、怒りの言葉が心に浮かんだときの対処法が大切になります。
三流の人は、怒りの言葉を文字として「岩に刻む」。
この人の怒りは、深く刻まれるばかりで消えることはありません。
二流の人は、怒りの言葉を文字として「砂に書く」。
この人の怒りは、一時的に残りますが、時間とともに消えていきます。
一流の人は、怒りの言葉を文字として「水に流す」。
この人の怒りは、瞬時に消え去っていきます。
ブッダは、誰もが経験する人生の苦しみを「四苦八苦」という言葉に表しました。
そのうちの一つが「怨憎会苦(おんぞうえく)」で、恨み憎むものに出会う苦しみです。
いつの時代でも人々の苦しみは変わりません。
ブッダは苦しみそのものを消す方法ではなく、苦しみにあったときの対処法=自分の心の持ち方を教えてくれます。
誰でも嫌な人に出会うことはありますが、怒りへの対処法は大変参考になるものです。
私はさらに超一流の人の怒りへの対処法を考えました。
それは、怒りの言葉を「空に放つ」ことです。
この人の怒りは、最初から何もありません。
最近は国際政治ではウクライナ問題で、国内政治では旧統一教会や国葬問題などで怒りを抱えている人が多いようです。
私自身もせめて怒りの言葉を「砂に書く」ぐらいの二流の人にはなれるように、自ら学んでいることを日々の生活の中で実践していきたいと考えています。
竹村知洋