最近、「価値観の違い」に関して考えることがよくあります。
例えばコロナウィルスへの対応を考えても、国によりまったく異なっています。
同じ病気なのに各国で対策が異なるのは、価値観の違いによるものといえます。
和辻哲郎は、人々の価値観や国による文化の違いを「風土」によるものと説明しましたが、コロナへの対応にもそれを強く感じます。
和辻によると、「牧場型」の風土で生きるヨーロッパの人々は合理的な思考になり、「モンスーン型」の風土で生きる日本人は受容的・忍従的になるということです。
人間関係においても欧米人は「個人」を重視し、日本人は他者とのつながりである「和」を重視しています。
最近のニュースで見ていても欧米人はマスクをほとんどしていませんが、日本人は政府から外してよいといわれてもいまだにしている人がほとんどです。
どちらが正しいということではないのですが、国や組織、個人のレベルでお互いの価値観に違いがある場合、一緒に活動していくことは難しくなります。
人による考え方の違いをすべて認めていると、まとまりがつかなくなってしまいます。
最悪の場合は価値観の違いが衝突し、争いになってしまいます。
個人のレベルでは会わなければよいだけかもしれませんが、組織になるとそうもいきません。
組織では「価値観を共有」することが大切になりますが、そこにいたるまでには根気強く「対話」を続けるしかなさそうです。
それをあきらめてしまうと人々のつながりは断ち切れてしまい、孤独と虚しさだけが残ることになります。
モラリストであるモンテーニュは、「ク・セ・ジュ?」(私は何を知っているか)という謙虚に物事を考える態度を大切にしました。
他人との価値観の違いを感じる場合には、一度相手の話を聴くという姿勢が大切だということです。
考え方の違う人と価値観を共有することは大変なことですが、それこそが社会的存在である人間の宿命なのかもしれません。
竹村知洋