出勤前にバタバタしておりましたら、実家の母から電話。
大分の祖母が亡くなったという連絡でした。
折りしも、西日本に大寒波の予報が流れているころ。そしてマメ発熱の真っ最中。
「大変だからもう来んでいいよ」と母は言った。
だけど、宮崎の祖母が亡くなった時、やっぱりまだ小さかったマメが熱を出していて行けなかった。宮崎の祖母には、二人の顔を見せることもできないままだったので、それがずっと心残りでした。一周忌の時に無理を言って帰り、なんとなく自分の気持ちにケリをつけたのでしたが。
またあの時みたいに、やっぱり行けばよかった、と後から思うのは嫌だな。
しかも、その日は偶然にも母の誕生日。
「ばあちゃんもこの日なら忘れんだろうと思ったんかねえ」と泣き笑いしていました。
熱のあるマメがかわいそうでしたが、オットにまかせて日帰り強行。
子どもの頃慣れ親しんだ別府港や由布岳が懐かしい。片道6時間、久しぶりの九州。
でもやっぱり、行って良かったです。
久しぶりのおじさんおばさんたち、いとこ連中。年取ったねえ!と互い笑い、そしてまたそれぞれに家族が増えていたり、減っていることを再確認して喜んだりしみじみしたり。
私の名づけ親は亡くなった祖母でした。大好きな名前。
最初に祖母に由来を聞いたときは、海のように深く心の広い子に、とかいうもっともらしく素敵な理由を話してくれて、子ども心に感動。
しかし私が大学生くらいになって、またその話になったとき、「実は高校の時のばあちゃんのあこがれの先輩の名前なんよ。」とか言われて「あうー」となった、そんなエピソードを話してみんなで笑ったりしているうちに、時間はあっという間にたちました。
道中は大変だったけど、ばあちゃんには会えなかったけど、おかげでこうしてみんなに会えた。葬式は生きてる人のものって本当だなと思った。
ばあちゃん、ありがとう。
広島に帰る父母と大分駅で別れ、空港に向かう帰りのバスの中、寒波の影響でみぞれ混じりの雨が降っているのに、満月に近い月が光っていました。
すごく不思議な光景で、ちょっと泣けました。
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