オイラがきっしぃに持っているイメージ。久坂玄瑞。
はじめはアンジョルラスという人と、久坂がかぶっていたんだと思うんだけど、今ではきっしぃにもイメージがかぶって来ている。
久坂個人のイメージソングってのはないんだけれど、久坂がどんな人だったのかが尾形大作さんの『敬天愛人』の中の一曲で解ると思う。
■吉田松陰■
時と命の 全てを賭けた
吉田松陰 憂国の
夢 草莽に 果つるとも
松の雫は 久坂に宿り
花は桂の 枝に咲く
口で言うより行うことが
志士の志士たる 誇りなら
かくごの罪の 踏海忌
下田港の 弁天島の
波もたたえる 男意気
何も持たない若者たちの
無欲無限の 赤心が
日本の明日を 創るのだ
松下村塾 長州魂(ごころ)
いまも生きてる 萩の町
作詞:星野哲朗
吉田松陰と言う人は、残っている肖像がを見ると寡黙な人に見えるのかもしれないが、有言実行の人だった。
かなりの行動派で、過激な人でもあった。
頭いいんだから、もう少し考えればいいのに・・・と思う行動が多々ある。考え理解する以上に行動で示し表す人だったんだろうなぁ。動かずにはいられない・・・みたいな。
そんな松蔭先生の性格を色濃く受け継いだのが、久坂義助こと玄瑞である。
幕末の長州といえば、松下村塾で、高杉晋作で、奇兵隊・・・という図式があるだろう。
しかし、歌詞にもあるように、松の雫は高杉に宿ったのではなく、久坂に宿ったのである。
破天荒なイメージの高杉であるが、実は松蔭先生に叱られるくらい常識人であった。(←松蔭先生が過激すぎたとも言う。笑)
そんな松蔭先生の激しやすい部分を受け継いだ久坂もまた、この歌詞にあるように「口で言うより行うことが 志士の志士たる 誇り」としていたと思う。
なぜなら、久坂の発想もまた、松陰先生程ではなくとも過激だったので(笑)
自らの考えを曲げることなく、自分の信念に立ちはだかる者には真っ向からぶつかる久坂。
猪突猛進、まっすぐ男だった久坂。
ね、カーレッドでアンジョな燃える男・きっしぃにぴったりでしょ。
久坂玄瑞もまたアンジョと同じく、国を憂い、攘夷を掲げ決起し、そして幕府軍に敗れたのだ。
アンジョが砦で散ったように、久坂も蛤御門の変(禁門の変)にて自刃する。
そのわずか5年後には情勢は一変し、江戸城無血開城。そして更にその一年後には箱舘戦争が終結する。明治政府が樹立するのである。
久坂は新政府を見ることなく散ったが、多くの志士の志を礎として明治政府は動き始める。
久坂の辞世の句は残っていないようである。
久坂の師である松陰先生の辞世の句は 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 である。
はじめはアンジョルラスという人と、久坂がかぶっていたんだと思うんだけど、今ではきっしぃにもイメージがかぶって来ている。
久坂個人のイメージソングってのはないんだけれど、久坂がどんな人だったのかが尾形大作さんの『敬天愛人』の中の一曲で解ると思う。
■吉田松陰■
時と命の 全てを賭けた
吉田松陰 憂国の
夢 草莽に 果つるとも
松の雫は 久坂に宿り
花は桂の 枝に咲く
口で言うより行うことが
志士の志士たる 誇りなら
かくごの罪の 踏海忌
下田港の 弁天島の
波もたたえる 男意気
何も持たない若者たちの
無欲無限の 赤心が
日本の明日を 創るのだ
松下村塾 長州魂(ごころ)
いまも生きてる 萩の町
作詞:星野哲朗
吉田松陰と言う人は、残っている肖像がを見ると寡黙な人に見えるのかもしれないが、有言実行の人だった。
かなりの行動派で、過激な人でもあった。
頭いいんだから、もう少し考えればいいのに・・・と思う行動が多々ある。考え理解する以上に行動で示し表す人だったんだろうなぁ。動かずにはいられない・・・みたいな。
そんな松蔭先生の性格を色濃く受け継いだのが、久坂義助こと玄瑞である。
幕末の長州といえば、松下村塾で、高杉晋作で、奇兵隊・・・という図式があるだろう。
しかし、歌詞にもあるように、松の雫は高杉に宿ったのではなく、久坂に宿ったのである。
破天荒なイメージの高杉であるが、実は松蔭先生に叱られるくらい常識人であった。(←松蔭先生が過激すぎたとも言う。笑)
そんな松蔭先生の激しやすい部分を受け継いだ久坂もまた、この歌詞にあるように「口で言うより行うことが 志士の志士たる 誇り」としていたと思う。
なぜなら、久坂の発想もまた、松陰先生程ではなくとも過激だったので(笑)
自らの考えを曲げることなく、自分の信念に立ちはだかる者には真っ向からぶつかる久坂。
猪突猛進、まっすぐ男だった久坂。
ね、カーレッドでアンジョな燃える男・きっしぃにぴったりでしょ。
久坂玄瑞もまたアンジョと同じく、国を憂い、攘夷を掲げ決起し、そして幕府軍に敗れたのだ。
アンジョが砦で散ったように、久坂も蛤御門の変(禁門の変)にて自刃する。
そのわずか5年後には情勢は一変し、江戸城無血開城。そして更にその一年後には箱舘戦争が終結する。明治政府が樹立するのである。
久坂は新政府を見ることなく散ったが、多くの志士の志を礎として明治政府は動き始める。
久坂の辞世の句は残っていないようである。
久坂の師である松陰先生の辞世の句は 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 である。