碧巖録の第六則の、「挙雲門垂語云十五日已前不問汝十五日已後道将一句来自代云日々是好日」からの語です。中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の語。雲門禅師はある日、大勢の弟子たちに向かって「十五日以前のことはさておき、これからの十五日以後の心境を一言でのべなさい。」と問います。誰も返えられずにいると、雲門が「日々是好日」といいます。十五日以後と問われれば、十五日後のことはわからないとか、十五日後に答えればと思うかもしれません。雲門は十五日といいながら、日時にとらわれてはいません。茶道の修行も、今までは出来てなかったとか、明日やればよいという思いに落ち込むのではなく、そう思った時、今日、今こそ点前修行に打ち込むべきなのです。今日を生き切れば、意図せずとも、それはよい過去となり、素晴らしい未来につながるようになるのです。平々凡々の穏やかな日々を「日々是好日」というのではなく、周りの事柄や自分の感情に翻弄されることなく、自主的に今を生き抜こうとすることが、「日々是好日」というものなのです。