闇が深いオオカミ議論/68頭のみの野生の70%を射殺へ。ノルウェー国会が許可、波紋を広げる
ノルウェー国会が下した「野生オオカミ駆除」の決定が、国内外で波紋を広げている。
ノルウェーには、国内で生息する野生オオカミは65~68頭ほどしかおらず、加えてスウェーデンとの国境を行き来するオオカミは25頭。国会は、国内のみで生息するうちの7割にあたる、47頭の射殺を法的に許可することで合意した。しかし、これは動物の大虐殺だと、環境保護団体などは批判の声をあげている。
オオカミによる死亡者はゼロ、問題はヒツジ
ノルウェーのオオカミにおける議論は、複雑だ。筆者は、最初は、オオカミ議論は、日本でいうクマや、ノルウェー北極圏に住むホッキョクグマにあたるのかと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
ノルウェーの野生オオカミは、そもそも人の命を奪う身体的危害を加えたという事例がない。200年以上、ノルウェーでのオオカミによる死亡者はゼロ、人と遭遇することも稀だ。
オオカミの牙によって、命を奪われるのは、ヒツジ。ヒツジを家畜として放牧し、生計を立てている農民の声に押され、政治家たちはオオカミの射殺を許可する。しかし、これには矛盾がある。
2014年の時点では、国内の自然地区で生存するヒツジは195万頭にのぼる(NIBIO研究所調べ)。
ヒツジの数:195万
野生オオカミの数:65~68
毎年、さまざまな理由で命を落とすヒツジの数は、10万頭とされる。そのうち、オオカミが原因で死ぬヒツジは、1.5~3%。
牧場の「外」で、放し飼いにされているヒツジ
ノルウェーのヒツジにおいて、ひとつ重要なことが、「自由に放し飼い」されていることだ。牧場内で放し飼いされているのではなく、牧場の外で、放し飼いにされている。これは、他国とノルウェーとで、大きく異なる点だ。農家は、ヒツジをそこまで見張り、管理することはない。つまり、人間の目が行き届かないところで、ヒツジが岩などに上って、海に落ちて死亡したりもする。自由に歩き回っているのだから、オオカミやほかの動物に遭遇することもあるだろう。しかし、国会の判断は、動物・人間の共存の模索や、農家のヒツジの管理責任の追及ではなく、オオカミの射殺となる。かわいそうな、ヒツジと飼い主。「罪深き侵入者」は、オオカミなのだ。
オオカミに対する、「怖い」という先入観
ノルウェーでは、そもそも「野生オオカミ」に対して誤解が多く、「恐怖心」が植え付けられている人が多い。また、石油採掘前は、農業が中心だったノルウェーでは、「農家」は特別なステイタスをもつ。
「オオカミを守ろう」という声が目立ちがちな「都市」と、「駆除すべき」という農家派が増える「地方」でも、両者の距離は大きい。
学校でも、先生が避けたいテーマ
数日前、筆者が別の取材で、複数の中学校の先生方と話していたとき、物議を醸しやすい、生徒と話しにくいテーマについて教えてもらった。ノルウェーで起きた連続殺人テロなどに並んで、「野生オオカミ」がでたのだ。それほど、意見が割れやすい繊細な話題なのだ。
ノルウェーでは、右翼・左翼に関係なく、大政党を中心に、主要の政党は、「オオカミ射殺派」だ。保護派は、自由党(右寄り)、緑の環境党、左派社会党(左寄り)という、環境政策を得意とする小政党のみ。
しかし、そもそも、ヒツジが死ぬ最大要因はオオカミではない。なぜ、人間と遭遇率がより高いヘラジカや、人を殺した事例があるホッキョクグマは、同じように危険視されないのだろうか?
否定的なイメージが強いオオカミ
環境保全団体WWFノルウェーのスヴェッレ・ルンデモ氏が、メールで回答してくれた。ノルウェーでは、野生オオカミは保護動物として1971年に指定され、以前は15~35頭と、その数はわずかだったとする。
「ノルウェーでは、野生オオカミは長年、異端視されており、先入観が先行し、否定的にみられています。オオカミは人間が近づくと、すぐさま姿を消すため、人間に与える危害の確率は非常に低いのです。人は殺されたことがなく、ヘラジカと遭遇する確率のほうが高い。ほかの野生動物のほうが、ヒツジを殺しています。しかし、オオカミがヒツジを狩る時は、一度に大量のヒツジを襲います。それは大人のオオカミではなく、まだ若い、経験が少ないオオカミばかりです」。
「オオカミが、人々に好かれ、同時に憎まれる理由には、昔からの言い伝えや神話が影響しています。人間の狩猟対象である、ヘラジカなどを狩るため、人間の“競争相手”とみられやすい」
都市と地方、社会対立のシンボル
「オオカミは、社会的な抑圧からうまれた、ある種の否定的なシンボルともなっています。オオカミが地方にいるのは、“大都市の人々がそう決めたせいだ”からだと。“オオカミとの闘い=地方が大都市に対する、資源・産業・人間をかけた闘い”という構図をうんでしまいました」。農家は、ヒツジがオオカミに殺された場合、被害額が政府から支払われる。
ホッキョクグマは保護、オオカミは駆除?
「ノルウェーのスヴァールバル諸島には、ホッキョクグマがいますが、これは狩猟対象として政府に認められていません。オオカミとは反対に、人間にとって危険にもかかわらず。それでも、多くの人々が、安全な距離感を保って、ホッキョクグマを体験しようと、この地域を訪れます」。
「趣味で」狩猟を楽しむ文化
また、政府から狩猟許可が出た場合、狩人たちの間にある「独特なカルチャー」にも、別の問題が潜む。狩猟の風習が色濃く残るノルウェーで、「オオカミはステイタスが高い」狩り対象だと、筆者が話をしたノルウェーの人々は口を揃えた。「農民の生活を守るためとかではなくて、ただ、クールだから狩るのだろう」と。
現地報道のイメージ
ノルウェーで8年間生活しているが、これまで、「オオカミが○匹のヒツジを殺した」という報道を何度か目にした。大きな見出しと、赤い血に染まったヒツジの死体の写真で飾って。ノルウェーの人々は、人生で遭遇することがほぼないオオカミに対して、こうして否定的なイメージを育てていく。ヒツジやオオカミの生息数の比較、ヒツジが死ぬ他の原因などは議論されることなく。ヒツジがほかの動物に殺害されても、それは同じように大きなニュースとはならない。
「オオカミを守ろう」という、都市の人々が言いがちだとされる動物愛護精神、人間と動物の共存という議論だけでは、おさまりきらない。特別な、大事な「農民」、地方と都市の政治論争のシンボルのひとつ、ということを考えると、なぜノルウェーで、野生オオカミ議論が特殊なのかが、少し理解できてくる。ノルウェーでは、「農民」(ボンデル=農民)という言葉は、確かに強い影響力を持っているのだ。
しかし、68頭しかいない47頭を射殺して、はたしてヒツジの数や農民の生活に大きな影響がでるのだろうか。家畜が一匹も死なない世界を目指しているのだろうか。そのためには、野生動物は死んでもいいのか。
この議論の根元にあるのは、動物の数よりも、「人間」そのものだ。ヒツジの命の大切さが議論されているわけでもない。根付いているのは、人間の欲や思い込み、意地ではないだろうか。その絡まりあった紐を、1本ずつほどいていく作業が、今や困難な状況になっているのかもしれない。
環境推進派よりも、農民のほうが、この国では歴史が長い。動物は、有権者ではない。政治家が、農業や労働市場の活性化を優先するのは、当たり前なのかもしれない?
長い年月をかけて、積もり積もったのであろう、ノルウェーの野生オオカミ議論。ここ数日時間、筆者は周りの友人たちにも意見を聞いていたのだが、農民側に立つか・立たないかという視点で話す人が多かった。多くが「これ、難しい問題なんだよ」とつぶやく。
オオカミを射殺してしまったほうが、一部の人にとっては、もう楽なのかもしれない。だが、その先の未来に、野生動物はいるのだろうか。