昨日の続きです。
湿生花園を後にして、西山公園の高台へ車で上り、
そこから望む山や市街地に感動しました。
岩木山です。
青空で雲がかかっていない山を
久しぶりに撮れました。
もう少しズームしてみます。
昨日アップした湿生花園側です。
紅葉が所々に見えていますね。
反対側から市街地が見えます。
手前はりんご畑で、向こうの家並みは、
以前我が家が住んでいた家がある所です。
拡大してみましたが、家はよそのお宅に隠れて
見る事ができませんでした。
地元の高校です。
毎年、卒業する3年生が校舎の壁に、
空き缶アートを飾っています。
今年はどうやら県のキャラクターがテーマのようです。
(地域から空き缶集めの協力がありますよ。)
展望台があります。
私は上ったことがありません。(疲れそうで。笑)
ここを下っていくと、道の駅「アップルヒル」にもつながっていて、
子供さん連れのご家族がちらほらいました。
リンゴ畑には時々、こんなタコが上っています。
よく見ると、これは鷹のようです。
数年前からあちこちで飛んでいますが、
朽ちるのが早いのか、この頃また減っています。
昔はかかし、今はタコ。
鳥たちも慣れてしまって、騙されないですね。笑
刈り込まれたラベンダーから、2番花が咲いていました。
さすが寒い地域の花ですね。いい香りです。
公園の一角に立つ「相沢良(りょう)」さんの像。
相沢良は、明治43年に生まれ、生家は3代続く藩医で、
良も1928年に帝国女子医学専門学校に入学し、
学生運動や日本共産青年会同盟などで活動。
しかし、これらの事が原因で退学処分を受ける。
のちに、横浜保土ケ谷区で女工として働き、
日本労働組合全国協議会・日本繊維労保土ケ谷分会を組織する。
1931年、東京でストライキの首謀者として検挙されるも、
無罪で釈放された。
のちに青森で地下活動後、札幌へ渡り保育士の組合を組織。
1933年検挙・拷問を受け、出獄後は帰郷。
28歳の若さで生涯を閉じる。
社会福祉の為にとがんばったのでしょうが、
結局、体を壊して亡くなってしまったとは、
なんとも波瀾万丈な人生だなと思いましたが、
ご本人には充実した、納得した人生だったかもしれません。
札幌市西区の「平和の滝」入り口横にも、
相沢良の碑があるそうですよ。
地元にこんな人物がいたのも知りませんでした。
ここを後にし、青森市方面へ向かいました。
続く。
***
昨日は、とても素敵なチャペルコンサート(オンライン)があり、
バイオリンとピアノによる、バッハなどの名曲を
たくさん聴きました。
本来ならば、教会堂で多くの人たちと一緒に時間を共有して、
聴くべきコンサートなのかもしれませんが、
こんな世の中で、オンラインでしか無理だったのですが、
そのお陰で、青森にいながら、オンタイムで聴けるのは、
とても感謝でした。
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