数年前、私はいつもの図書館で、
「今の自分の心に響いてくるような本に出会わせてください」と思いながら、
2冊の本を手に取りました。
遠藤周作の『深い河』と、イマキュレー・イリバギザの『生かされて。』。
その時私は自分の和紙を使って一緒に暮らしていたことりのココちゃんのことを
本にしたくて、東京の製本家の山崎曜先生のところに行くことになっていました。
それで、その道中に読む本を探していたのです。
そのいきさつなど詳細は『幸せのひとつのかたち』という本の作品にまとめて、
作品展などで発表したこともありますので省略しますが、結局その時は
『深い河』のみ持って行きました。(その後2冊とも購入しました)
その『生かされて。』の方の話。
ルワンダ大虐殺については「ホテル・ルワンダ」を観て知った情報くらいしか
なくて、その記憶も薄れていたところに、図書館の一番上の棚にあったこの本を
見て「これっ!」という気持ちになって借り、あっという間に(東京に行く前に)
全部読んでしまいました。
びっくりした。本当にこんなことがあったんだって。
この本を機に私はルワンダ大虐殺にとても興味を持ち、しばらくはその関係の
本を読み続けたり、「ホテル・ルワンダ」や「ルワンダの涙」など映画も何度も
見直しました。
ここで言いたいのは、大虐殺についてとかアフリカ情勢についてとかでなく、
天災や戦争など、自分ではわけのわからないうちに大きな惨事に巻き込まれて
家族を含めたくさんの人が目の前で亡くなっていく中で、どうやって希望を持って
前向きに生きのびてきたんだろうということ。ありきたりの言葉だけど、きっと
自分の力ではない何かに「生かされている」という気持ちになるんでしょうね。
自分には何かやるべきことがあるって。
来月から、本格的に製本について勉強させていただくことになりました。
どんなことが学べるのか、どんな方々とのお知り合いになれるのか、今から
ワクワクしています。今回もちょっと遠いので旅気分で通いますが、その車中の
過ごし方も今から楽しみです。
そんなこともあって、そして、東日本大震災から3年がたって、この本のことを
思い出しました。内容が強烈過ぎて、あれから読み返してはいませんが、また
じっくり読んでみようかな。自分が生かされてる意味について考えながら。