◆1945年8月6日、“忠太”は旧満州・奉天市(現在の中国・瀋陽市)にいた。
日本との時差は1時間だから、原爆が広島に投下された時の現地時間は午前7時15分。
後日、大人同士の立ち話によれば「広島にとてつもなく強力な爆弾が落とされ、75年間は草木も生えない」とのことだった。悪い噂はかくも早く伝播する。
重慶を離陸した「B-29」が銀色に輝きながら上空を飛んだ行った後、猛烈な爆弾と焼夷弾が降ってきたことがあり、空襲の怖さは知っているつもりだったが「強烈な爆弾」とは、想像できなかったが、両親の里が広島市の中心部だったから多分全滅だろうと覚悟。
父は「赤紙」で終戦の直前に応召中。(終戦後、シベリヤ抑留)
翌1946年6月、母と妹二人の計4人で本土に引き揚げることになり、自宅から徒歩で南奉天駅へ、屋根なしの無蓋貨物列車で雨に降られながら「葫蘆(コロ)島」へ。
火器を取り外された旧日本海軍の海防艦(艦名不詳)で九州・博多港へ。頭から、そしてシャツをめくられ体中にDDTを振り掛けられ、客車で広島についた。
定かな記憶ではないが、広島駅頭から焼け野が原の先に「原爆ドーム」が見えたことをうろ覚え。
父方・母方の里は跡形もなく、辛うじて生き残った母方の祖父たちが、親戚の家に身を寄せているとの焼け跡の「立札」を頼りに訪ねて行き、とりあえずそこに落ち着いた。
当時撮られたこの写真を見るたびに思い出す。
↓終戦直後の広島駅 亡父のアルバムより(撮影日時・撮影者不明)
右手後方の山は「尾長山」と思われる。
↓現在の広島駅南口 「尾長山」の山頂がわずかに見える。(8月4日“忠太”撮影)
ちょっと早めだが、父方(原爆ドームの隣辺りにあって疎開した子供2名以外全滅)と母方(いとこ2名が建物疎開に動員され被爆、未だに遺骨は不明)のお墓参りに行ってきた。
明日?総理が原爆死没者慰霊式&平和祈念式出席のため来広とあって、警備のリハーサルなのか、今日の主要交差点はいつもと違う雰囲気が漂っていた。
式典当日のインターネット・ライブ中継は7:50~8:50まで1時間行われる予定。
◆敢えて素朴な疑問「禁と協」
核廃絶で共通しているはずなのに、なぜ二つもあるの?と、孫たちに問われたら何と答えよう。
これすら対立で一本化できないようでは、核保有国への説得力は無いと思う。
いつまでも過去にとらわれることなく「小異を捨て大同に就く」知恵を出してほしいと思う。そうで無ければ間もなく里帰りしてくる孫たちに説明がつかぬ。
(画像クリックで拡大)
悩める“忠太”
日本との時差は1時間だから、原爆が広島に投下された時の現地時間は午前7時15分。
後日、大人同士の立ち話によれば「広島にとてつもなく強力な爆弾が落とされ、75年間は草木も生えない」とのことだった。悪い噂はかくも早く伝播する。
重慶を離陸した「B-29」が銀色に輝きながら上空を飛んだ行った後、猛烈な爆弾と焼夷弾が降ってきたことがあり、空襲の怖さは知っているつもりだったが「強烈な爆弾」とは、想像できなかったが、両親の里が広島市の中心部だったから多分全滅だろうと覚悟。
父は「赤紙」で終戦の直前に応召中。(終戦後、シベリヤ抑留)
翌1946年6月、母と妹二人の計4人で本土に引き揚げることになり、自宅から徒歩で南奉天駅へ、屋根なしの無蓋貨物列車で雨に降られながら「葫蘆(コロ)島」へ。
火器を取り外された旧日本海軍の海防艦(艦名不詳)で九州・博多港へ。頭から、そしてシャツをめくられ体中にDDTを振り掛けられ、客車で広島についた。
定かな記憶ではないが、広島駅頭から焼け野が原の先に「原爆ドーム」が見えたことをうろ覚え。
父方・母方の里は跡形もなく、辛うじて生き残った母方の祖父たちが、親戚の家に身を寄せているとの焼け跡の「立札」を頼りに訪ねて行き、とりあえずそこに落ち着いた。
当時撮られたこの写真を見るたびに思い出す。
↓終戦直後の広島駅 亡父のアルバムより(撮影日時・撮影者不明)
右手後方の山は「尾長山」と思われる。
↓現在の広島駅南口 「尾長山」の山頂がわずかに見える。(8月4日“忠太”撮影)
ちょっと早めだが、父方(原爆ドームの隣辺りにあって疎開した子供2名以外全滅)と母方(いとこ2名が建物疎開に動員され被爆、未だに遺骨は不明)のお墓参りに行ってきた。
明日?総理が原爆死没者慰霊式&平和祈念式出席のため来広とあって、警備のリハーサルなのか、今日の主要交差点はいつもと違う雰囲気が漂っていた。
式典当日のインターネット・ライブ中継は7:50~8:50まで1時間行われる予定。
◆敢えて素朴な疑問「禁と協」
核廃絶で共通しているはずなのに、なぜ二つもあるの?と、孫たちに問われたら何と答えよう。
これすら対立で一本化できないようでは、核保有国への説得力は無いと思う。
いつまでも過去にとらわれることなく「小異を捨て大同に就く」知恵を出してほしいと思う。そうで無ければ間もなく里帰りしてくる孫たちに説明がつかぬ。
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悩める“忠太”