COSMOS

"忠太"奮闘記

孫がきた

2011-08-23 11:05:13 | 思い
・良縁あって、昨春結婚し京都に居を構えた次女が、今年1月女の子を無事出産。
 ただ今、子連れで帰省している。
 旦那は長身、娘はコンパクトなつくりだが、孫娘は父親に似て姿も声も大きい。
・娘が結婚したいと彼をわが家に伴って来たとき、とっさに瞼に浮かんだのは
 「トシコ・ムトー」(本名、寺西敏子)の漫画「小サナ コイビト」の一コマだった。
  (画像クリックで拡大)
・ようやく京都の古書店で入手した本を、披露宴席での新婦父のスピーチに、
 幸多かれと添えプレゼント。とても喜んでくれた。
 未だに人気があり、なかなか古書店にでないせいか、
 価格は発売時のおよそ15倍にもなっていた。  トホホ・・・。
  (画像クリックで拡大)
 年配の女性なら一度は目にしたことがあるだろう「小サナ コイビト」たちの
 ユーモラスな4コマ・マンガ集である。

・日本初の女性週刊誌「女性自身」(光文社刊)の発刊2週目に掲載されたのが、
 最初のマンガ「小サナ コイビト」だ。
 作者23歳の時だった。以後、8年間連載が続くことになる。

・連載のきっかけが面白い。
 学校卒業後、日本冶金工業(株)という特殊鋼・ステンレス鋼製造とおよそ漫画とは
 縁もゆかりもない一部上場企業に就職するも、「ショムニ?」に配属。
 毎日の仕事に退屈し、居眠り防止のため机に穴を掘りまくった。
 それが、社内の評判に、さらに役員の耳に入ることとなり、常務に呼ばれ
 「穴ほり以外になにか“作品”はないのか?」と聞かれ、
 いつも書いていた「いたずら書き」をして見せた。
 幸い、この常務は絵心があって川端康成が命名した著名な画廊に紹介、
 そこから創刊間もない「女性自身」出版元の光文社に推薦された。
 当時のオフィスにはスチールデスクなど無かったのが、
 彼女の人生を大きく決めることになろうとは…。
「博学は通儒とならず」というが、
 例外もあることをこの人のその後の波乱万丈のアメリカ生活が示している。
 
・推薦者がこれまた凄いので、記録にとどめておこう。それぞれの業績はネットで。
  (画像クリックで拡大)
 永 六輔(多種・上を向いて歩こうの作詞)
 柳原良平(イラストレータ・忠太は洋酒天国のアンクル・トリスと船が大好き)
 商船三井の柳原名誉船長ミュージアムでアンクル船長のぬり絵をダウンロードできる。
・最近のオフィスは各人専用の机がなく共有、無線LANで何処でも仕事場になるし、
 クラウドコンピュータ時代も始まった・・・。
 電気ドリルやガス・バーナーで穴あけする自分用デスクもない時代は不幸である。
 孫たちが恋をする頃は、もういない“忠太”(p_-)