COSMOS

"忠太"奮闘記

懐かしの名曲

2011-08-21 08:21:00 | 雑談
宿題が溜まった子たちの最後の追い込みが始まる。
◆1933(昭和8)年の今日、「ハンバーグ」の愛称で知られる「菅原洋一」が生まれている。
「生涯現役」をモットーに、現在も各地でニュー・クラシカル・コンサートを続けている。
来月2日には京都・伏見の電気文化会館で“喜寿記念公演 2011年~あなたに伝えたい77年”コンサートを開く。
「中途難聴」で音程を狂わせカラオケと縁を切った“忠太”の、かつてのレパートリーが彼のヒット作「知りたくないの」だった。
このブログを書くためWeb検索。彼が国立音大卒業後、あの懐かしきタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ・東京」でタンゴ歌手としてデビューしたことは知らなんだ。
元々「知りたくないの」は、1953(昭和28)年にハワード・バーンズが作詞し、ドン・ロバートソンが作曲したワルツ調の歌だったが「なかにし礼」が邦訳、菅原がヒットさせたもの。
原曲の方を「Joni Jamesの唄」で聞いてみよう! 
※YouTubeが開いたら色々な歌手の唄も聴ける
歌詞はちょっときわどい・・・
  (画像クリックで拡大)
当時、詰襟の“忠太”は、パティー・ページが唄いミリオン・セラーになった「テネシーワルツ」(The Tennessee Waltz)とともにItazuke Air Base(米軍板付基地)にあった駐留軍兵士向けのAM放送局か、もしくは沖縄の「VOA放送」(Voice Of America)で聞き覚えたものだった。
※AFN(American Forces Network-米軍放送。世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局だったかも知れない。
24時間放送だからLP(Long Play)レコードで流していたはず。
パティー・ページの「The Tennessee Waltz」をYouTubeで
歌詞の内容は、パーティーで「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので、彼氏を紹介したら、その友達にダーリンを盗まれてしまった」という何とも気の毒な話である。
哀調を帯びて歌われるこの曲がテネシー州の州歌の一つになろうとは・・・、粋な州もあったもの。それとも懐が深いのかな? 
あと10日、今月皆勤なるか? “忠太”