“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

「完・子どもへのまなざし」(佐々木正美著)

2012年07月19日 05時56分41秒 | 育児
2011年発行、福音館書店

私の尊敬する佐々木先生の近刊です。
もう10年以上昔、子ども虐待事例に出会い本を読みあさっている際に出会ったのがこのシリーズ。
目から鱗が落ちつつ、うんうん頷きながら読み進めたことが懐かしく思い出されます。

内容は、近年の子どもを取り巻く環境の変化について触れ、エリクソンのライフサイクル・モデルをわかりやすく解説し、そして自閉症スペクトラムについて触れています。
単なる解説ではなく、問題ある子どもたちに関わってきた40年の臨床経験から発せられる珠玉の言葉がちりばめられています。
特に印象深かったのは、自閉症患者の方々の共通する希望として「支援よりも、理解してほしい」「理解ができないのなら、支援はしないでほしい」との切実な言葉を紹介されていることです。
安易な同情や親切心は決して優しさではない、という逆説的な真実を重く受け止めました。

最終章は、佐々木先生ご自身の生い立ちについて記す自伝的内容です。
数ある彼の著書の中で、初めての試みではないでしょうか。
近年、ご病気を患っているという噂を耳にしたこともあり、心穏やかに読み進められませんでした。

<メモ>
 自分自身のための備忘録です。

■ 「たった一人の子どもが育つためにだって、村中の人の知恵と力が必要なのだ」・・・アフリカのことわざ。

■ 「義務を果たした人間にのみ、その義務に見合った権利が与えられると思う」・・・「権利と義務」というシンポジウムに参加した高校生のコメント。
 自分だけの個人主義を考えるのだったら、これはもう利己主義、自己中心主義です。

■ 育児に関しての心配や迷いがあったとき、その問題をどう解決しますか? という質問に対して。
 ・・・育児に肯定感を持っている母親ほど、まわりの人に相談します。育児に否定的な気持ちをの強い母親は、育児書とか育児雑誌に頼っていました。

■ 日本は世界第一位のペット王国です。子ども産む数は世界でも際だって少ないですが、ペットは世界一いるのだそうです。

■ 乳幼児期に思い切りスキンシップを与えられて育てられた子は、家族や友達と安定した関係が継続できますから、思春期・青年期になっても、安易に他者と性的な関係にはなりません。

■ 子どもを虐待してしまう親、多くはお母さんですが、その60~75%のお母さんが、自分も虐待された経験を持っているという研究報告があります。虐待されて育ってきた親が、また自分の子どもを虐待してしまうのはなぜなのでしょうか。
 ある臨床心理士のコメント:「自分自身が幼いときに親から虐待を受けた人は愛情に飢えている。だから、愛情に対する欲求がとても強いのです。子どもを愛することよりは、自分が愛されたいと云うことにずっと大きな関心があるんです。」
 結局、虐待防止、あるいは、虐待という不幸な状態にある家族を支援すると云うことは、その親の人間関係を支援すると云うことです。

エリクソンのライフサイクル・モデル
 児童精神医学者のエリクソンが、成長の過程で乗り越えるべき課題を「発達課題」として示したもの。
 要約すると・・・

 人間は、宇宙の中の一点に過ぎない地球に、自分の命を与えられ、育まれ、そして人を信じて、自分を信じて、自分の衝動をコントロールすることができて、自主的に生き生きと振る舞え、仲間から多くのことを学び、仲間にたくさんのことを伝えることでき、価値観を共有できるような親しい人に恵まれて、自分という存在をそのままかけてもいいという、仕事なり、価値の中に自分の身を置いて、それから、自分という個人をかけてもいいという相手を見つけて結婚して、先人から引き継いだことに自分の時代で新たな一ページを加えて、それを次の世代の人に譲り渡していきます。
 こういう秩序の中に自分の一生は与えられて、人生は幸福だった、これでよかったと思うことができれば、これは「人間の一番健康で幸福な障害だと言えるのです」とエリクソンは云いました。


乳児期(誕生~2歳くらいまで):基本的信頼(人を信じること)・・・「人間が人間として社会的な成熟をしていくために、まず人生の第一歩として、乳児期ないしは早期幼児期に、もっとも重要な発達課題は、人を信じることです。」「人間というのは、人生の始まりにおいて、自分が望んだように育てられれば育てられるほど、生きる希望がわいてくる。基本的信頼の中身は希望です。」(エリクソンの言葉)
 ところが一般論として、現代の親は愛し方がとても下手になりました。子どもが望んでいるような愛し方をちゃんとできる親は、本当に少なくなりました。親の方が、自分の望んでいることを子どもに押しつけようとします。例えば、夜泣きをしない赤ちゃんになってほしい、離乳食をちゃんと食べてほしい、オムツを汚さない赤ちゃんになってほしいなど、自分が望んでいるような子どもになってほしいという感情がとても強いのです。このような感情がとても強いと、ときには虐待にまで至ってしまうこともあります。

幼児期(2~4歳くらい):自律性(自分の感情や衝動をコントロールする力)・・・「自分を律する力は、人を信じる力と自分を信じる力のあとにしか育たない。」(エリクソンの言葉)
 ふだんのしつけの中で、うまくいかなくても、叱ってはいけません。何度でも教えてあげて、何度でも手伝ってあげる、というやり方が良いのです。「いつからちゃんとできるようになるかは、ゆっくり待っていてあげるから、自分で決めていいですよ」というスタンスが必要です。親が「まだできないの」「早くしなさい」「何度言えばわかるの」というようなしつけ方をすると、子どもの自律性は損なわれてしまいます。自分で決めさせてあげなかったら、いつまでたっても、子どもの中に自律性は育たないのです。

児童期(4~7歳くらい):自主性
 自主性は子どもが遊びの中で育てるものです。昨日できなかったことを今日こそはできるようになりたい、少しでも上手に遊びたいと思っているのです。ですから、この時期の子どもを思いきり遊ばせて挙げてください。子どもがいたずら遊びをして、ご近所の人に迷惑をおかけしたら、私たち大人は、子どものいたずら遊びに目くじらを立てるのではなく、ごめんなさいと謝って歩けばいいのです。

学童期(7~12歳くらい):勤勉性(社会のルールを守り、社会的役割、責任を果たしながら生きていく力)・・・「小学校時代の数年間の過ごし方によって、将来、社会人として勤勉に生きていくことが出来るかどうかを、決定的に左右するものがあります」(エリクソンの言葉)
 友達からものを学び、友達にものを教えるという体験の豊富さが、勤勉性の基盤です。子どもたちは遊びを通して、最終的には友達とルールが大切なこと、ルールを守り上達するために努力することが、本当に感動的な喜びを体験するために重要なことを学び合うのです。

思春期(13~17歳くらい):アイデンティティの確立(自分を知る、自分という人間の個性や特質を問う時期)・・・「自分を主観的に見ているうちはアイデンティティはできません。自分を客観的に見つめること、思春期、青年期はそういうことがとても重要な発達課題になります」「価値観を共有できる友達を持つことが大切です」(エリクソンの言葉)
 小学校時代の子どもは、基本的に友達を選びません。しかし、徐々に気の合う友達を選び合うようになり、中学生・高校生になると誰とでも友達には慣れなくなります。この時期に大切な他者は、先生や尊敬する人も重要になりますが、それ以上に大切なのは、話が合う、気持ちが合う友達が、価値観を共有できる友達が、数は限られても必ず必要です。
 引きこもりやフリーターといわれる状態は、アイデンティティの拡散した状態そのものですが、自分の個性的な特質を求めて苦悩しているのです。自分は何をしていいのかわからないので、引きこもりやフリーターになったりします。

成人期:親密性(自己の確立と云うことをしっかりして、他者と親密な関係を結ぶ能力)
 その一つのとても特別な形態が結婚です。相手に自分をかけることができるほどに親密だと云うことですね。ところが近年、思春期で自分がしっかり確立しないまま、自分探しで迷ってしまっているうちに結婚してしまう人がいます。だからすぐに破局を迎えて、次々に相手を替えて何人とも結婚するという人が増えてきました。

壮年期:世代性(先人が残してくれた文化や習慣、技術や思想をしっかり引き継ぎ、自分が実践して蓄積してきたことをその上に付け加え積み重ねるて次の世代へ譲り渡すこと)

老年期:統合

■ 赤ちゃんは存在するだけで、親を幸福にする存在です。かわいくてかわいくて、3歳までに生涯分の親孝行をすませてくれてしまう。
 本来人間というのは、相手が自分を幸福にしてくれるという気持ちを持てる人だけが、相手を幸福にできるのです。親が子どもを愛する力がないうちに、子どもが生まれてしまう「できちゃった婚」が増えるのは残念なことです。子どもを待ち望んで、歓迎して子どもを産むという文化を、私たちはもう一度取り戻さなければいけないと思います。

■ 子どもというのは、人から好きになってもらって、はじめて自分のことを好きになれるのです。お母さんが赤ちゃんと一緒にいることを幸福に感じることができたら、赤ちゃんもお母さんと一緒にいることが幸福なのです

■ 保健室は学校の中でただ一つ母性的なところです。教室は父性的なところです。ですから、乳児期に基本的信頼を育てられなかった生徒は、母なるものを求めて保健室へ行くのです。

■ 不登校や引きこもりの人の、中心的な心理状態は「自分を取り巻いている人に対する不信感」です。単純に、親の責任などと言うつもりはありませんが、これらの問題の解決は、お母さんへの信頼の回復から始まるのも事実です。

■ 「勉強しなくちゃダメだよ」というのは父性性であり、「できなくたっていいよ」というのが母性性です。そして、幼いときに母性性が十分与えられた子どもにしか、父性性は伝わっていかないという順序があります。育児をするときは、母性性と父性性がバランスよくあればよい、と思っている人は間違いであり、順序があることを知るべきです。

■ 子どもの将来を思うと云うことは、親が望むような子どもになってほしいという、親の自己愛の感情なのです。親がいつも「こういう子どもになってほしい」という態度で接していると、子どもには「今のあなたに満足していない」というメッセージとして伝わります。結果として、子どもには親の望みを満たさないと愛してもらえない、親から自分が否定されていると伝わるのです。

■ 他者とよい交わりをするためには、まず心から「ありがとう」「ごめんなさい」と言えるところから始まります。「ありがとう」「ごめんなさい」と心から言えるというのは、相手の人に対する信頼感があるということです。
 ところが、この二つの言葉が言えない子どもたちもいます。児童養護施設で働く友人から、繰り返し教えられてきたことですが、施設の子どもたちは仲間や職員に対して、なかなか「ありがとう」「ごめんなさい」という心を、言葉で伝えることができないのだそうです。相手から「ごめんなさい」「ありがとう」と言われるような環境で、育てられることが少なかったと云うことでしょう。

■ 発達障害の特性の本質をひとまとめにして云いますと、脳の機能障害によって、脳の多様な機能を同時総合的に働かせることがうまくいかないと云うことです。コミュニケーションがうまくいかないこと、社会性が育ちにくいこと、興味や関心が向かうところが狭いと云うこと、この3つが発達障害の主な特徴です。これらの特徴のために、周りに理解者がいないと、どうしても孤立しやすくなります。そのため学校に入ると、いじめに会うこともしばしばです。

■ ローナ・ウィング(世界的に高名な自閉症の研究者で臨床家でもあり、自閉症の子どもの母親でもある)さんは「自閉症の人は、彼らのほうから私たちの世界や文化の中に、溶け込んでくることはできないのです。私たちのほうから、彼らの世界や文化に近づき入っていく努力をした後に、彼ら一人一人の手を取って、私たちの世界に導いてあげなくては、一緒に生きていくことはできないのです。」と語っています。
 自閉症の子どもを、一般の子どもに会わせようとする教育は、じつはできないのです。デンマークでは、自閉症の子に一般の子ども達が合わせにきてくれます。これを逆統合といいます。

■ 発達障害の人たちは、脳をコントロールする機能が弱いのですが、他の機能は少しも弱くありませんし、例えば、目で見た者を理解する力とか、記憶力は非常にいいとか、一般の人たちより優れたところもあります。

■ 自閉症スペクトラム(連続帯)の人たちは、本来実直で裏表がない性質を持っていて、規則を守り、まじめに生きていこうとしています。うそをついたり、社会のルールを違反したりする人ではありません。それが、周囲の偏見や誤解や無理解な対応によって、さまざまな社会的不適応の状態に追い込まれたり、場合によっては、非行や犯罪に至ったりすることがあるのです。
 逆に自閉症の人たちが、いきいきと生活をしている時と場所には、必ずと云っていいほど、周囲に特別な理解者がいます。
 忘れないでいただきたいのは、近年、自閉症の人の犯罪が目立ってきましたが、世の中の犯罪の99%はこの病気でない人たちが起こしているのです。

■ 現在の日本における不登校は小中学生で約14万人、引きこもりは青年・成人まで含めるとその10倍くらいと云われています。私の実感では、そのうちの40%以上は発達障害の人たちではないかと思われます。

■ 自閉症スペクトラムの子どもたちは、見たもの、見えるものを見たとおりに覚え、記憶する力は、一般の子どもたちより、はるかに高い能力を持っています。一方、話し言葉のように見えない情報に意味を見いだすことが苦手です。
 彼らは、目で見えないものを頼りに生きていく力は、とても弱いのです。ですから、目で見えるものを手がかりに生きていこうとします。

■ テンプル・グランディンさんは、アメリカの頃だ土台学の動物行動学の教授をなさっている方で、かつ高機能自閉症あるいはアスペルガー症候群の典型的な人です。テンプルさんは「自分の国の言葉(英語)が、みなさんにとっての第二言語、要するに外国語に等しいように思う」と言っています。
 講演でお会いしたときに「テンプルさんの第一言語は何でしょうか?」と聞いたところ、それは「文字であり、絵であり、写真であり、目で確かめることができるものです。自分は言葉ではなく、目で考えます。」とおっしゃいました。

■ 自閉症の方々にとって、話し言葉での他者とのやり取りは、大変な神経を使わなければなりません。だから、メールでのやり取りで済ませることができれば、どんなに楽かと思います。

■ 自閉症の人は、一つの言葉に対し一つの意味しか理解できません。
 あるとき、自閉症の少年にお父さんが「おまえもその場の空気が読めるようにならないとダメだ」といったそうです。
 そうしたら、その少年は驚いて(お父さんの頭がおかしくなった)と思ったようです。「お父さん、空気なんか読んじゃダメだ。空気は吸うものだよ。読むのは字にしなさい。」といったそうです。
 つまり、この少年は空気というものの持つ意味、概念を私たちのように拡大して解釈できないのです。

■ 自閉症の人たちの特徴の一つに「シングルフォーカス」があります。ものの細部にこだわり、全体を見ることが苦手で同時総合的に視野に捉えることができません。たとえば、大きな公園など広々としたところへ行っても、景色を広範囲に眺めている自閉症の人はめったにいません。座り込んで目の前にあるものを集中してみているだけのことが多いのです。

■ 自閉症の子どもを持った親御さんが、自分の子どもの障害を受け入れられないと云うことは、実は、その子を受け入れていないのと同じ事です。人間というのは、拒否され続けて育てられると、攻撃性と退行と云いますが、赤ちゃん返り、幼児化して、激しい攻撃性を持つようになってしまいます。
 逆に、親が子どもの障害を受け入れることができ場合、誰一人として不幸なことになっていません。

■ 子どもの人生を幸福なものにしてあげること以上に、親としての大きな喜びなどないのではないか。そのために親が子どもに抱いてやれる愛は、自分の希望や欲求よりも、子どもの幸福な人生を優先させてあげることでしょう。

■ 自閉症の子どもたちは、何事にも「こうしなさい」と云われると理解できても「こうしてはいけません」と否定的に云われると、何をどのようにしていいのかわからなくなり、混乱します。
 一番いけないのは、「どうしてそんなことするの」とか、「何度言えばわかるの」というような、感情的な言い方です。これは最悪です。こんな言い方をされると、この子達は、さらにわからなくなるばかりでなく、ダメだという否定された感情だけが記憶に残ってしまいます。

■ 自閉症の子どもは、いつも過覚醒状態にあります。いつも警戒をしている弱い動物の睡眠によく似ていて、眠りが浅く、ぱっと目が覚めます。目ぼけている状態のときなんかほとんどありません。ですから、昼寝はあまりしたがらないです。

■ 自閉症の子どもたちは、休み時間に不適応行動が多いです。理由は簡単で、何をすればよいのかわからないからです。対策として、お母さんからあらかじめ本人が好きなことを何種類か聞いておくとよいですね。この子達が目で確認できるように、絵か写真カードを3つ位並べて、選ばせてあげるといいのです。たくさんなラベルと、また混乱してしまいますので注意してください。

■ 私たちは発達障害を持った人たちを理解することなしに、善意を押しつけがちです。
 自分たちのことをよく理解しないまま、熱心にしつけや教育をしようとして、口うるさくあれこれ言う大人や教師は、災害に遭ったときのように自分たちを絶望的にする、というのがアスペルガー症候群の人たちの、ほぼ共通した気持ちです。
 ですから、周囲の人たちはただ前医を持って全力で対応すればよいというような、素人的なことではダメで、何をどのようにすればよいかという、適切な知識と知恵が求められます。
 理解していただきたいのは、この人達はけっしてコミュニケーションや話すことを避けているわけではありません。安心して話し合える他者に巡り会えないで、苦しんでいる人たちなのです。

■ レオ・カナー(自閉症を初めて報告した児童精神医学者)の言葉。「私たち大人は、親でも教師でも、子どもの将来の幸福を思うばかりに、子どもに過剰な期待をしてしまいがちです。過剰期待というものは、その本質に、現状のあなたには満足していないという感情があり、相手に与えるものは愛情どころか、拒否や否定につながるメッセージであり続ける事が多いのです。教育熱心な親や教師が、子どもを育てる家庭で、しばしば間違いを起こすのは、この感情からです。