日々雑感

読んだ本やネット記事の感想、頭に浮かんでは消える物事をつらつら綴りました(本棚7)。

寂聴文学塾第5回「坂口安吾」

2017-10-14 06:26:50 | 小説
 寂聴文学塾第五回は「堕落論」で有名な坂口安吾です。
 安吾は戦後間もなくの頃、太宰治、織田作之助とともに人気作家の1人でした。
 初期は純文学作家、後年は何でも屋の文筆業。
 悪く云えば大衆作家に成り下がり、良く言えば何でも書けた才能の持ち主。
 家族を持ち、子どもも生まれて平和な家庭生活を望みましたが、ヒロポン中毒で入退院を繰り返し、やはり若くして亡くなりました。

 当時の文学者の間にはヒロポンが蔓延していたようです。
 それを使うと徹夜して書き続けても大丈夫、ということでした。
 文筆業を含めて芸術家というのは脳の過覚醒状態をみな経験しているような気がします。
 その時に素晴らしいアイディアが浮かぶので「神が降りてきた」なんて表現されます。
 精神状態は躁うつ病の「燥」ですね。
 つまり、躁うつ病(現在は双極性障害と呼ばれています)が芸術家の資質ではないかと感じることがあります。

 それはさておき。

 以前、TVで坂口安吾の「堕落論」特集を見たことがあります。
 新鮮な驚きはなく、「なるほど」という以外の感想を持てませんでした。
 私は安吾と考え方が似ているのかもしれません。

 寂聴さんは戦後、北京から引き揚げてきてすぐに「堕落論」を読み、大きく影響を受けたそうです。
 価値観が混沌としていてなにをしていいかわからない状況下、ええい堕落してやれと家を出て放浪生活を始めた若かりし頃。
 のちに「安吾賞」という文学賞を受賞した寂聴さんは、受賞記念の挨拶で「私がこの賞をもらったのは、作品の内容ではなくて、生き方が安吾を地で行っていたからです」と話したそうです。


寂聴文学塾第4回「谷崎潤一郎」

2017-10-13 06:48:51 | 小説
 寂聴文学塾第四回は昭和の文豪、谷崎潤一郎。
 文壇でも別格扱いで「大谷崎」と呼ばれていたそうです。

 彼はある三人姉妹の芸者と深く縁がありました。
 長女が営んでいるバーに出入りし、長女を好きになりました。
 しかし長女はすでに人妻で、その長女から次女を紹介されました。
 次女と谷崎氏は結婚しました。
 しかし谷崎氏は3ヶ月で次女に飽きてしまいました。
 そして谷崎氏が目を付けたのは三女です。
 まだ14,5歳の女の子を拉致して自分好みの女性に育てようとしました。
 源氏物語の光源氏と同じことを試みたのです。
 しかし途中で失敗しました。

 上記登場人物の次女は千代、三女はせい子という名前です。
 千代は佐藤春夫との「小田原事件」「細君譲渡事件」の当事者です。
 飽きてしまった千代を佐藤春夫に譲ったのですね。
 当時、大きく社会を賑わせたそうです。
 せい子は小説「痴人の愛」のモデルとなりました。

 寂聴さん曰く、谷崎氏にとって理想の女性とは神か奴隷かのどちらかだったそうです。
 女神として崇め奉り、その女神のわがままを聞いてあげることを無上の喜びとした、と。
 そのような女神を自分で育てて作り上げようとしたのがせい子だったわけです。

 谷崎氏は変人です。
 SとMではMです。
 時に犯罪者すれすれのこともしてきました。

 でも彼の残した芸術があまりにも素晴らしいので、文化人として名を残しました。
 やはり後世に名を残すためには、それまでの社会常識・社会通念を打ち破る行動・生活をしないとダメですね、と寂聴さん。

 寂聴さんは生の谷崎氏に会ったことがあるそうです。
 目黒アパートに住んでいたある年の正月に、知り合いの文学関係者が年始に来たことに乗じて一緒にご挨拶に伺うと、そこには穏やかな表情のお爺さんが座っていて、ちょっと肩すかしにあった感じ、と話していました。

 寂聴さんは、目黒アパートの近くに住む佐藤春夫宅にもお邪魔したことがありました。
 そこには谷崎氏の元妻であり、「細君譲渡事件」(谷崎氏、佐藤氏が連名で新聞広告に出した)の当事者である千代さんがいましたが、若い頃は美人で有名だった彼女がふつうの中年おばさんになっているのを目撃して、ここでも肩すかしを食らった気分になったそうです。
 一方の佐藤春夫はおしゃれで子どもっぽくて魅力的な人物という印象を持ちました。
 
 寂聴さんは晩年のせい子さんとお会いしたこともあるそうです。
 彼女は少女の時に谷崎氏に囲われて理想の女性に育てられるプログラムから逃避して、若い男に走った経歴の持ち主です。
 その時に初めて知った驚愕の事実。
 なんと谷崎氏はせい子さんに生涯お金を送り続けていました。
 彼女が人妻になった後も送り続けていましたというのです。
 「どんな気持ちでお金をもらっていたのですか?」
 と寂聴さんがせい子さんに聞くと、
 「15歳の時に谷崎に犯されたのだから、それくらいしてもらって当たり前でしょ」
 との返答。

 谷崎氏は何度もノーベル文学賞の候補になりました。

寂聴文学塾第3回「三島由紀夫」

2017-10-10 08:02:18 | 小説
 寂聴文学塾第三回は三島由紀夫です。
 自衛隊員を前にして演説をした後、切腹で自死したことは有名ですね(TVでたまにその時の模様が放映されます)。

 寂聴さんは三島氏とも親交がありました。
 三島氏は寂聴さんの3歳年下でしたが、文壇デビューは早く、寂聴さんが小説を書き始めた頃はすでに大物でした。

 はじまりは、文壇デビュー前の寂聴さん(当時は瀬戸内晴美さん)が出したファンレターだそうです。
 意外にも返事が来て、そこには「ふつう読者からの手紙には返事は書きませんが、貴方の手紙はあまりにも面白いのでついつい返事を書いてしまいました」とありました。
 それから、たわいのないやり取りが続きました。
 三島氏にとって寂聴さんは気の置けない話ができる妹のような存在だったのかな(年上ですが)。

 初めて実物に会ったとき、爛々と金色に輝く目とともに、やせて青白くて毛深いという印象が残っており、川端康成同様、“貧相”だったそうです。
 三島氏もそれをコンプレックスに思っていて、あるときボディビルに目覚めたのでした。
 筋肉質のすごい体つきになったら、声まで太くなったことに驚きました。
 「ボディビル前後の“before, after”を目撃した私は貴重な人材ですよ」と聴衆の笑いを誘っていました。

 「禁色」という小説を発表したとき、寂聴さんは衝撃を受けたそうです。
 こんな作品を書いたら後が続かない、三島氏は死んでしまうのではないかと心配する手紙を書いたところ、三島氏自身も「これを書き上げて、もう死んでもいいと思った」と返信。
 ・・・この作品、読んでみたいですね。

 三島氏は森鴎外のファンで、太宰治が嫌いでした。
 実はこの文豪二人のお墓は、東京都三鷹市の禅林寺にあります。
 当時、寂聴さんがこの近くに住んでいて、時々お墓にお参りすることを手紙に書くと、三島氏は「鴎外のお墓に私の分もお参りしてください、太宰のお墓にはお尻を向けて」と冗談めいた記述。

 あるとき、三島氏と寂聴さんともう一人の文学者(名前は失念)を交えて源氏物語論を交わしたことがあるそうです。
 三島氏は「やはり与謝野晶子が良い、谷崎潤一郎は古典の写しで読みにくい」との評価。

 三島氏は右翼で天皇擁護派と思われがちですが、彼と親交のあった寂聴さんの印象は少し異なります。
 彼の考えは、日本という国を憂う若者・青年将校に近かったとのこと。
 寂聴さんの知り合いの旦那さんが自衛隊員で、自決の現場に居合わせました。その彼から後に聞いた話では当時の現場の雰囲気は「三島由紀夫は何をやっているんだ? 彼は気が狂ったのか?」というもので、彼の話に真剣に耳を傾ける自衛隊員はほとんどいなかったそうです。

 三島氏が自決した後、寂聴さんは彼の弟さん(駐ポルトガル大使)に三島氏の話を聞く機会があったそうです。
 三島家は由起夫氏の文学的才能を信じて家族みんなでサポートし、彼を誇りに思っていたことを知りました。また、ノーベル文学賞が川端康成に行ってしまったので、本人も家族もたいそう無念に思っていた、川端氏をある意味恨んでいたと聞かされました。

 寂聴さんは驚きました。
 文学界では三島氏は川端康成の弟子的存在と見なされていたので、そんな複雑な感情があるとは思ってもみなかったのです。
 なにせ、三島夫婦の仲人は川端康成でしたから。

 ノーベル文学賞を川端康成が受賞した際のエピソードは谷崎潤一郎のところでも出てきます。
 このノーベル賞事件は、日本文学界に少なからず波乱をもたらしたようです。
 「もし、ノーベル文学賞を三島由紀夫が受賞していたら、彼は若くして自決することは無かっただろうし、川端康成も晩年あのような死に方をしなかったのではなかろうか」と寂聴さんはつぶやきました。

<参考>
■ 「三島由紀夫 vs 東大全共闘
■ 「大義のために死す

寂聴文学塾第2回「川端康成」

2017-10-10 07:44:38 | 小説
 寂聴文学塾第二回は日本人ノーベル文学賞受賞者第一号の川端康成です。
 寂聴さんは川端氏と親交がありましたので、客観的評価+直にあった人物像も聞けて興味深かったです。

 川端氏は小柄でやせた人(寂聴さんは“貧相”と言ってましたが)。
 しかし眼光鋭く、体の小ささに反比例する大きな目でギョロギョロと見つめられると萎縮してしまう迫力があったそうです。

 彼は「伊豆の踊子」や「雪国」などの長編小説が有名ですが、短編小説の名手でもあり、「掌の小説」などはまねしたくてもできない孤高の境地だとおっしゃっていました。

 川端氏は美しいものが好きでした。
 第一に、美しい女性が好きでした。
 あるとき京都で、寂聴さんが川端氏の仕事部屋を一緒に探す機会があったそうです。
 美しい母子が大家の家が見つかり、寂聴さんは内心(これで決まり!)とほくそ笑んだのですが、川端氏は「ここはダメだ」と意外な返答で「母子が美しすぎて仕事にならん」と笑ってしまう理由でした。

 まあこれだけならふつうですが、女性の各パーツも愛していました。
 声フェチ、手フェチ。
 晩年に「片腕」という小説がありますが、寂聴さんはとても川端氏らしい作品だと解説していました。

 川端氏は宝石も好きでした。
 自宅に宝石商が営業に来ると、「これとこれとこれ」と駄菓子を選ぶように宝石を選んで購入したそうです。
 それも大きな派手なものばかり。

 寂聴さんは、川端氏の言動の端々に「死への願望」を感じていたそうです。
 飛行機に乗ると「この飛行機、落ちないかなあ」などとつぶやく。

 晩年、重度の不眠症に悩まされ、睡眠薬中毒状態だったそうです。
 これは中島らもさんのエッセイでも「川端康成も晩年は麻薬でラリッてた」と読んだことがあります。
 当時はまだOTCで手に入ったという社会事情もあるようですが。

 精神的にボロボロに成徐々に作品が描けなくなる中、「岡本かのこ全集」の序文を書いていただきたいと寂聴さんが間接的に依頼しました。それを別荘で推敲している最中、ガス中毒で自死したというニュースが流れました。
 寂聴さんは以前から死への願望を感じていたので、さほど驚きませんでした。

 川端氏は岡本家と縁があります。
 昔々、岡本かのこの小説の教師として川端康成を迎え入れたそうです。
 そして川端氏の服装を一級品で誂えてくれました。
 川端氏が恐縮して辞退を申し出ると、「一流の小説を書くには、身なりも佇まいも一級品でなければならない」と岡本一平氏が宣う。
 川端氏の一流品好みの源泉は岡本家の影響のようです。

 岡本一平は岡本太郎の父親です。
 岡本太郎は、川端氏が最後に扱った仕事が岡本かのこ全集の序文であったことを知り、たいそう喜んだそうです。
 全集の序文は未完です。

寂聴文学塾第1回「樋口一葉」

2017-10-08 20:40:08 | 小説
 「寂聴文学塾」とはある小説家について瀬戸内寂聴が聴衆を前に1時間程度話したものを録音したCD集です。
 1枚目は樋口一葉。私のお気に入りの小説家です。
 寂聴さんは一葉の自伝を書いたことがあるので、彼女について調べ尽くしてます。

 明治時代に文語調の小説「たけくらべ」で華々しくデビューし、森鷗外(1862-1922)らに認められ、24歳で肺結核で亡くなるまでの短い間に後世に残る作品を残しました。特に最後は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる濃厚な時間。

 80歳代後半の寂静さんは弁舌なめらかにしゃべり続けます。興味深いお話が盛りだくさんでした。
 以下はネタバレです(^^;);
 
・日本の歴史の中で女性が小説を書いたのは、紫式部以降は樋口一葉までいなかった。

・小説の師匠である半井桃水との関係は「純愛」とされているが、そんなことはあり得ない。半井から月々お金をもらっていたし、実はもう一人の男からも妾扱いでお金をもらっていたという二股をかけるしたたかな女だった。

・小説も逸品であるが、彼女の日記もすばらしい。ただし、半井とのやり取りは部分部分切り取られてなくなっている。おそらく、妹が姉の名誉のために処分したと思われる。

・遺作で未完の小説『裏紫』を、寂聴さんが続きを書いて完成させた。


五木寛之「人はみな大河の一滴」

2017-09-30 14:59:05 | エッセイ
 人気作家によるエッセイの語りおろしCD集を聴きました。



 五木氏は「闇を見つめる作家」だと思います。

 日の当たらない人々や歴史に向けたまなざしは、私の波長とよく合うのです。 
 放浪の旅に明け暮れた若かりし頃の作品も好きですし、
 民俗学的な視点を持ったエッセイ集も好きです。

 CD集を一通り聴き終えて、彼の原点は戦争の引き揚げ体験であることがわかりました。

 優秀な人材もあっという間にいのちを奪われてしまう戦争。
 彼の父は平壌で師範学校の教師をしていました。
 戦争に負け、朝鮮半島から日本へ撤退・帰国する際に、ロシアによる略奪や非人道的行為を目の当たりにしました。

 デカルトの「われ思う、故にわれあり」という文言は有名ですが、実はそれ以前に某宗教家の「われあり、故にわれ思う」という文言があったそうです。
 五木氏は某宗教家の文言の方に惹かれるというのです。
 人生で何か成し遂げて初めていのちに意味があるのではなく、命があること自体が尊いのではないか。
 そうでなければ、戦争で若くして散っていったたくさんのいのちが救われない。

 戦後、日本人は努力し前へ進むことを善とし、立ち止まり後ろ向きになることを悪とする傾向がありました。
 ポジティブ思考を良しとし、ネガティブ思考を「根暗」とからかう風潮は私の時代にもありました。

 しかし五木氏は、物事の明るい面だけ見続けるだけでよかったのだろうか、と疑問を投げかけます。
 人間は喜びと悲しみの両者を経験して初めて感情が完成する。片方だけでよいということはない。本当の悲しみを経験した者だけが本当の喜びを知るはずだ、と云います。

 明るい面だけを見る風潮の弊害として、人間の心の闇が地下に深く広く浸透してしまった。
 それがいじめであり、不登校・引きこもりであり、自殺者の増加である、と。


英雄たちの選択「生きた証か 見果てぬ夢か~近代文学の祖 正岡子規の選択~」

2017-09-30 14:37:20 | 小説
 少し前に作家・五木寛之さんの「人はみな大河の一滴」の語りおろしCD集を聴きました。
 その中で正岡子規の『病状六尺』に触れていました。
 病気で体がつらいときも「『病状六尺』を書いていた子規に比べればまだまだマシじゃないかと考えた」というのです。
 子規は脊椎カリエス(結核菌が脊髄を侵した状態)で余命わずかの体。寝たきり生活の中でその心情を素直に文章に表したのが『病状六尺』です。

 録画してあった番組に正岡子規を扱ったものを見つけたので視聴しました。

 子規はその天才的な集中力で、明治時代の文学界を走り抜けた人物です。
 東京大学時代の同期には友人でもある夏目漱石がいます。

 はじめは文章に賭けましたが幸田露伴に批判され一旦は挫折。
 その後新聞社に勤務し俳句欄を担当することになり、俳句の研究に没頭しました。
 そして松尾芭蕉批判(技巧に走るのは陳腐である)で一躍注目を集めました。
 彼は当時無名であった与謝蕪村に魅せられました。
 元々画家である蕪村は、風景を自分の感覚の求めるまま切り取って言葉にします。
 その視点がユニークで、絵の定石から無視されそうなものをいとおしく描写します。

 これこそ子規が求める俳句であり、彼はそれを実践し「自然句」ブームを巻き起こします。
 弟子には高浜虚子がいますね。

 しかし、口語と文語がまだ異なる明治時代に、文章の世界でも口語調を普及させられないだろうかという野望が頭をもたげます。
 そして書いたのが『病状六尺』というわけです。

 彼は34歳の若さで亡くなりますが、彼の遺志を継いだ作家が口語調で小説を書き発表して世間を驚かせました。
 その名は夏目漱石、作品は『吾輩は猫である』です。
 現代に生きる我々が読むとふつうの文章ですが、その“ふつう”の始まりがこの作品だったのです。

 死に至る病と宣告されたとき、①自然句の完成を目指すか、②新しい分野である文章の開拓を目指すか、という問いが番組中にありました。
 その中で司会の磯田氏の「②に決まってるじゃないですか、新しい興味を引くことをやらないと生きていけないでしょう」というコメントが印象に残りました。

■ 英雄たちの選択「生きた証か 見果てぬ夢か~近代文学の祖 正岡子規の選択~



[BSプレミアム]2016年7月21日
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,
【出演】ロバート・キャンベル,長谷川櫂,斎藤環,
【語り】松重豊

 もし余命わずかと宣告されたらあなたは何をしますか?
 多くの若者が立身出世を夢見た明治時代。天性の明るさで俳句の近代化に取り組んだのが正岡子規だ。しかし28歳で当時の不治の病を宣告され絶望の底に突き落とされる。自分の余命を何に使うべきか。これまで進めてきた俳句の近代化を完成させ生きた証しを残すか?誰も成し遂げていない「新しい日本語」を作るという見果てぬ夢に挑むか。激痛と不安の中で下された究極の決断は?

コーヒーを飲むと長生きできる?

2017-09-20 05:50:45 | 趣味
 私、朝は缶コーヒー、昼はドリップしたコーヒーを飲むことが10年以上習慣になっています。
 長生きできるでしょうか?
 1日4杯飲まないとダメかなあ(^^;)。

■ コーヒーを飲むと長生きできる?
HealthDay News:2017/09/20
 朝のコーヒーは頭をすっきりさせるだけでなく、寿命を延ばす可能性がある―こんな研究結果が、欧州心臓病学会(ESC 2017、8月26~30日、スペイン・バルセロナ)で発表された。スペインの中年の男女約2万人を平均10年間追跡したこの観察研究では、1日4杯以上のコーヒーを飲む人では、ほとんど飲まない人と比べて全死亡リスクが64%低いことが明らかになったという。
 この研究は、ナヴァラ病院(スペイン)の心臓病専門医であるAdela Navarro氏らが実施したもの。これまでにもコーヒーの摂取量が多いと全死亡リスクが低下する可能性があることを示した研究結果が報告されていたが、地中海諸国で検証されたことはなかったという。
 今回の研究の対象は、学歴が大卒以上の男女1万9,896人。平均年齢は37.7歳だった。研究開始時に生活習慣や全般的な健康状態、食事、コーヒーの摂取量について調査を実施し、年齢や性、民族などの情報も収集した。研究参加者の死亡については本人および家族からの情報のほか、郵政局、国民死亡記録などの情報に基づき追跡した。
 その結果、10年間に337人が死亡していた。コーヒーの摂取量と死亡リスクとの関連について交絡因子を調整して解析した結果、1日4杯以上のコーヒーを飲む人では、日常的にコーヒーを全く飲まないか、ほとんど飲まない人と比べて全死亡リスクが64%低かった。また、1日のコーヒーの摂取量が2杯増えるごとに同リスクは22%低下した。
 さらに、こうしたコーヒーによる効果は特に45歳以上で大きく、45歳以上の男女では1日のコーヒーの摂取量が2杯増えるごとに全死亡リスクが30%低下することが示されたという。この結果を踏まえ、Navarro氏は「高齢になるほどコーヒーによる保護的な効果が高まる可能性がある」との見方を示している。
 なお、学会で発表された研究は、査読を受けて医学誌に掲載されるまで予備的なものとみなす必要がある。

岡本太郎〜全身で過去と未来を表現した前衛芸術家

2017-09-15 12:45:33 | 趣味
 岡本太郎は、私の世代では大阪万博(1970年)の「太陽の塔」で記憶される前衛芸術家です。
 そして「芸術は爆発だ!」というCMのフレーズでも有名になりました。

 しかし、彼のことをそれほど知っているわけではありません。
 昔録画したTV番組を視聴してみました。

 漫画家の岡本一平と、詩人の岡本かの子という創造を生業とする両親からいのちを授かった太郎。
 東京芸術学校を中退後、フランスに渡り絵画の修行をしましたが、なかなか自分の描くべきものが見つからない。
 そのタイミングで目にしたピカソの絵画に感動し開眼しました。
 しかしピカソの抽象画の真似にとどまることなく、自然画と抽象画をぶつけてできる芸術を目指しました。
 彼の芸術は常に「二つのものをぶつける」ことにより生まれるものを大切にしていたのです。

 その後、民族学を勉強・研究し内面世界を広げました。
 彼の絵は、ときに古代の壁画のように見えるのはこの頃の影響と思われます。

 そして日本に帰国。
 日本では縄文土器の芸術性に開眼。

 彼は物質文明で失った人間のエネルギーに、原子のエネルギーを注入することにより復活させようとしたのでしょうか。

 彼は自分の作品が個人に所有されることを嫌い、ひとつも作品を売らなかったそうです。



■ ハイビジョン特集「シリーズNIPPONの巨人 岡本太郎 全身で過去と未来を表現」
(2016年1月7日:NHK)
<番組内容>
 岡本太郎(1911-96)の人生と彼の作品の全貌が、「太陽の塔」や「明日の神話」の制作秘話、さらには、太郎自身の証言と関係者へのインタビューからよみがえる。
【出演】堺屋太一,小松左京,
【朗読】上原多香子,筧利夫,
【語り】奥田民義,
【スタジオキャスター】森田美由紀
<詳細>
 2016年1月は芸術家・岡本太郎(1911-96)の没後20年。彼の人生と作品の全貌が、太郎自身の豊富な証言と関係者の証言からよみがえる。1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔」の制作秘話や30年以上もの間、行方不明となっていた幻の巨大壁画「明日の神話」の制作のねらいを解き明かしながら、岡本太郎が託した現代へのメッセージを読み解く。

「いい絵って何だろう」 ~イラストレーター・安西水丸~

2017-08-17 06:19:11 | 趣味
■ 「いい絵って何だろう~イラストレーター・安西水丸~」
2015年3月15日:NHK日曜美術館
出演:嵐山光三郎さん(作家)
VTR出演:
松任谷由実さん(シンガーソングライター)
小山薫堂さん(放送作家・脚本家)
南伸坊さん(イラストレーター)





 私にとって、安西水丸さんとは、村上春樹さんの小説のイラストを描く人、です。
 一見「ヘタウマ絵」ですが、不思議な魅力と雰囲気を纏っています。
 真似できそうで、できません。

 その人物となりは全く知りませんでした。
 
 この番組を見て、あの飄々とした雰囲気は2年間のアメリカ生活がにじみ出ているんだなあと気づきました。
 作家の嵐山光三郎さんも時々イラストで登場しますが、なんと雑誌社で一緒に働いていたとのこと。
 村上春樹さんとの縁は、嵐山さんの紹介のようです。


<内容>
 昨年3月、71歳で急逝したイラストレーター、安西水丸。
 ユーモラスで、脱力系、どこか温かみのある安西のイラストレーションは老若男女、幅広い層から支持され、多くのファンを持つ。
 おびただしい数の書籍、雑誌の装丁挿絵、ポスター、漫画、絵本、文筆の分野でもエッセー、小説と作品は多彩を極める。「村上朝日堂」をはじめとする作家村上春樹との共作は今も人々の記憶に新しい。村上は「ぼくにとってのソウル・ブラザーのような人」とその死を惜しんだ。
 シンプルでヘタウマともいえる線と形と色彩。しかしそこにはちょっとシュールで不思議な哀愁や人間への深い洞察が潜んでいる。
 子どもの絵や、アメリカのフォークアートを好み、絵画にとって大事なこととは、いい絵とは何かを問い続けた。
 番組では代表作のマンガ集「青の時代」、村上春樹が「水丸の極北」と称賛したおもしろ普通常識マンガ「普通の人」、村上との共作絵本「ふわふわ」などの作品、雑誌の表紙を走る村上春樹など、イラストレーションの傑作を紹介しながら水丸ワールドの魅力に迫る。