生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

古代ギリシャでのお話

2008年09月24日 | 第5章:暗い感情の領域
比較文化、比較宗教の勉強をしていると、各種族独特の天国論が出てきます。古代ギリシャの或時期、魅力的な天国の話が流布しポリス市民が天国に憧れてどんどん自殺していくので政府が自殺禁止令をだしました。天国の良さを下手に知らしめると軽率に自殺したがる人間があまりにも沢山出てきたからです。神様がこの世に姿を現わさない理由の一つが、ここにもあるようです。メビウスの輪のような容で時々姿を現す程度がいいのでしょう。この世とあの世でただ一つ共通している姿が<愛の世界>だそうです。愛の世界をこの世時代に、とことん思索し体験し<愛と許しの世界>を体験しておけば、あの世で慌てずに懐かしい人々と再会出来そうです。<天国:197-5>:
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神のめぐみとは

2008年09月23日 | 第5章:暗い感情の領域
首題の<神のめぐみとは>は本の題名です。絶版になつていますが、ドン・ボスコ社からの名作でカトリツク神学者・ジーン・ドージャが書いたものです。私は1960年代の最初から世界の名作を殆ど読みましたがこんな名作に触れたことがありません。特にその54-58頁に書かれている思想は人々を安心させます。死後の魂について書かれていますが、その結論は人々を納得させ安心させます。ようするに不可知論の世界ではあるけれども死後は生きている時の視点ではなく、どんなに恥ずかしい罪深い人生を送ったとしても180度の価値観が変換された世界なので神様の懐に入った時、誰に天国で遭遇しても、愛と許しの世界なので安心して来なさい、という気分になる本です。この本に遭遇した人々は幸いです。:<天国:197-4>:
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信じて見えてくるもの!

2008年09月22日 | 第5章:暗い感情の領域
死んだ後、どうなるか、は死んでみないと分かりません。だからといって諦めたら学問は成立しません。不可知論の領域に入るか、入らないかの識別も相当の学識がないと判断できません。そうこうしている内にオックスフォード大学では約70年前くらいから<信じて見えてくるもの、見えなくなるもの>と言う宗教心理学が成立しその成果が上がりだします。天国、地獄の世界が不可知論ならば、信じて見えてくるもの、見えなくなるものを学問を使いながら研究しよう、と成立していきます。信じてこそ見えてきたものはありますか?自分で体験的に幾つか気付かないと、この理論は先に進めません。一番身近な例は自分の親、本当に自分の親なのか、そうでないのか、何を信じて、あなたはこれが自分の親だと信じましたか?
:<天国:197-3>:
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父母に会ったら、どうしよう!

2008年09月21日 | 第5章:暗い感情の領域
天国に到着し神様や父母に会った時、私はどんなになつているでしょう?神様や父母はどんな姿をしているのでしょう?何を互に語り合うのでしょう?父母ばかりでなく、会いたくない人々(親の敵、仕事上の恨みつらみの人々、私を怨んでいた人々、昔の恋人、都合の悪い人々、歴史上の人物=皇帝ネロ、ヒットラー、徳川家康、キリスト、釈迦、マホメット等等)とどんなふうに語り合うのでしょう?ネアンデルタール人は、人類のどの段階からの人々が天国に居るのだろう?このような疑問が次から次へと浮かんできます。このような自然な想い、質問を神学や哲学はどうこたえるのでしょう?不可知論と片付けるのは簡単ですが、素朴な人類の疑問を学問はどうこたえるのでしょう?:<天国:197-2>:
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沢山の質問がありましたので説明いたします。この写真は奈良東大寺花祭りの風景です。
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ここは何処ですか?

2008年09月20日 | 第5章:暗い感情の領域
臨終も終わり、いよいよ自分の魂が天国にたどりついた時、あ、遂に来た!と喜ぶ人は少ないでしょう。殆どの人が、側に居る人に、ここはどこでしょう?と質問するのでは、とかねがね推察しています。高齢者福祉施設、終末治療で遭遇する質問<死んだらどうなるのですか?>に対して殆どのスタッフは答えていませんし、答える勉強もしていないようです。数年前、福知山線の大事故の時、私の知り合いの修道院で不思議な現象があったそうです。沢山の修道女(静寂と沈黙の生活をしているのに)何故かその日の雰囲気が異常にざわざわしていて、変だなあと感じていたそうですが、夕方のニュースでその大事故を知り、自分が死んだ事すら知らない事故死亡者の魂が身近にいたのを感じた話をあとで知り、さもありなん、と思いました。ここはどこですか?はい、ここは天国ですよ、と言われても驚かない修行を、生きている内にしておきましょう。:<天国:197-1>:
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哀れなるかな六条の御息所

2008年09月19日 | 第5章:暗い感情の領域
乱れ乱れた貴婦人と言えば源氏物語の六条の御息所を思い出します。日常生活では若い貴公子の憧れでそのお屋敷はサロンのような雰囲気がありました。平素の会話は気品と教養にあふれているのですが、ふと、光源氏の多様な恋を想うと無意識のうちに生霊が飛び出し相手を恐怖に追い込んでいきます。愛の世界は独占しあうのが正常ですが、この御息所の気持ちを想うと哀れになります。愛する人の心を乱れさせないように努力したいものです。:<心のみだれ:196-5>:
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愛の世界が乱れる時!

2008年09月18日 | 第5章:暗い感情の領域
赤ちゃんが安定して美味しいお乳をお母さんから貰える時は心が安定しています。この姿が<人間の原型>です。大人になり異性を愛し、誠実な友と友情を結び、良くても悪くても父母の愛に感謝する年齢になり、そんな愛の喜びと感謝を知った後に、愛を喪失してしまうと、人は最悪自殺まで考えてしまうものです。愛を喪失した時の乱れは人生の危機でもあります。人間の愛は不安定な領域でもありますが、ここに信仰生活が入ると非常に安定してきます。人生のどんな試練においても神様の愛を信じられる人は幸せです。人間同士の愛は生涯乱れますし、時に虚しさを感じますが、その虚しさに気づき、虚しさを防ぐかのように、神の愛を意識出来るようになった人は非常に強く生き抜いていかれます。神の愛を知った上で、異性を愛するようになると、更に大きな愛の世界に生きられるようになります。:<心のみだれ:196-4>:
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心乱れる可愛い人!

2008年09月17日 | 第5章:暗い感情の領域
いつの時代も人々は心乱れて生活しています。見苦しい乱れ、可愛い乱れ、怪しげな乱れ、様々ですが、この乱れのお陰で友情が深まったり、親しみを感じたり、愛情がより人間的になったりしてきます。平素理知的で、きちんとした麗夫人が心乱れた姿は何とも言い難い人間的な魅力があります。厳しい人生行路で人は心乱れて生きていく宿命にありますので、そんな時は黙って陰で支えていきていものです。人間の本質は<不安>であって、安定した心は恩寵であることを知らない人々が多すぎます。心乱れた時、和歌や俳句で表現すると心は安定します。俳句療法が流行するのも良い傾向です。:<心のみだれ:196-3>:
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源氏物語と心理療法

2008年09月16日 | 第5章:暗い感情の領域
心理療法の勉強では事例研究は絶対に必要なものですが、あまりにも生々しい深刻な精神病の事例研究は実に憂鬱で危険な面もあります。深刻な事例研究は大学病院で患者さんを治療する専門家は欠かすことの出来ない勉強ですが、暮らしの中のカウンセラーとして勉強するときは、おもに源氏物語や神話を中心に教養を身に着けながら楽しく深めた方がいいようです。例えば源氏物語の夕顔が光源氏に抱擁されながら六条の御息所の生霊に殺される場面などは他者分析の良い事例となります。御息所の犠牲者も可哀そうですが、御息所の気持ちを思うと胸がつまります。この御息所を源氏物語から除外するとこの小説の面白さは半減するでしょう。御息所をめぐる詳細計画を分析すると紫式部は心理学の天才です。フロイドやユングがこの源氏物語を分析してくれていたら学問は相当進歩したでしょう。<心のみだれ:196-2>:
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心が怪しく乱れるとき!

2008年09月15日 | 第5章:暗い感情の領域
生身の人間ですから時々人は乱れます。そんな自分の心を観て、あーあ、これではいけない、とも思います。入院する程ではなく、日常生活で、この軽い錯乱がもし無ければ、人の人格障害はもっとひどいものになりますが、案外、人は日々の小さな錯乱の意味をしりません。恋人の錯乱、愛する家族の心の乱れ、友人、知人の荒れ様に驚かないようにしましょう。錯乱は人格形成にきわめて良い働きをしています。心理療法理論の中での<暗い感情の領域>で一番難しいこの錯乱について思索していきます。錯乱は人生における嫌なものではなく、とても大切な精神現象です。錯乱をしない人は健全な人間とは言えません。:<心のみだれ:196-1>:
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<復活信仰>は夢か現実か!

2008年09月14日 | 第5章:暗い感情の領域
ローマン・カトリツクの歴史は非常に面白く人類の縮図の歴史でもあります。現在地球に存在する宗教団体で国連に加盟を許されているのはローマン・カトリツク(バチカン)だけです。そのバチカンが自分の信用にかけて信じているのが、人間は臨終と共に魂は身体から離脱するけれども、いつか人類最後の日には人は復活すると言う信仰です。この復活信仰を正面から否定しようとしても現在の世界的な学会、例えば哲学、宗教、歴史学会では無理でしょう。果たして復活は夢の思想なのか、現実の思想なのか、興味のあるかたは真剣に研究しても無駄にはなりません。臨終の患者さん向って、あなたが死ねば全ては終わり、ゼロです、というのと、人は全ての方が幸せな状態で復活します、というのと、どちらが親切でしょう?。ややこしい話なのでこのあたりでやめておきます。自分自身で研究なさいませ。<人生の夢:195-5>:
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死ぬ瞬間での夢

2008年09月13日 | 第5章:暗い感情の領域
沢山の死の瞬間を垣間見て、かつ、数回の自分の死にそうな経験(飛行機事故、海外の暴動事件に巻き込まれた経験)をしてみて、今、思うことがあります。死の瞬間でも明るい爽やかな夢を持つことができそうだ、という考え方です。このあたりを色々研究してみると最低限修行し獲得しておく必要のある考え方は次のようなもののようです。神仏の前で自分の愚かさ、過ち、罪の深さを心底から許しを乞い、
愛そのもんである神様の懐に安心して死んでいく、と言う夢を、生きている間からイメージトレーニングしておく必要があるようです。見苦しい死に方だけはしたくありません。死の瞬間に永遠の生命を信じ神様の愛を信じて死にたいものです。:<人生の夢:195-4>:
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シャンソン<暗い日曜日>が流行したら!

2008年09月12日 | 第5章:暗い感情の領域
戦後のある時期、シャンソン<暗い日曜日>をダミアさんが歌ったら、自殺者が激増した、という記録を読んだことがあります。どこまで正確な話かわかりませんが、ラジオ、テレビで流行する歌は聞く人の感情を左右します。その折々のニュースは人を明るくしたり、暗くしたりします。世間に感情を支配されないようにいつも自分を元気づけてくれる座右の銘を作り生き抜いていきたいものです。私の座右の銘は<人の身体は神の神殿>(この意味:人生の、その折々の難問への答えはその人の深層心理に必ず存在する)と<いつも希望と情熱をもって生き抜く>(この座右も銘のお陰で、病気の時、政界の事件に巻き込まれた時、仕事上の挫折の時、海外で政変の暴動に巻き込まれた時、私を救ってくれた座右の銘でした)。それぞれの性格に合った座右の銘を持つと世間に振り回されません。:<人生の夢:195-3>:
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<愛の孤独感>と言う言葉に驚く日本文化

2008年09月11日 | 第5章:暗い感情の領域
明治、大正、昭和、平成生まれでも<愛の孤独感>と言う言葉に触れた日本男児は、何故か、照れくさそうな顔をします。女性でもそのような方がいます。人類すべて寂しがり屋ではありますが、心の底で人類は愛に餓えています。この愛に餓える現象は非常に重要で、神秘的で、哲学的です。生涯この感情はありますが、消滅するケースがあります。伝統的な宗教の信仰を得た時、何故か人からこの根源的な愛の孤独感が消滅するのです。何故だと思いますか?現代の比較宗教学での結論は、魂そのもが安心するからだ、と言われています。魂が満足した後、次は、心と身体が次々に色々の要求はしてきますが、とりあえず、魂は信仰を得ると満足するようです。まず魂を満足させた後、心と身体の夢を実現させてあげたいものです。その方が日々安定した生活が送れるようです。:<人生の夢:195-2>:
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<人生の夢>は精神的な大きな奇跡を生む!

2008年09月10日 | 第5章:暗い感情の領域
人生の夢を持つ人、持たぬ人、どちらを見るのがお好きですか?私は夢を持つ人がドンキホーテーみたいでも、夢を諦めた世捨て人を見るよりも好きです。夢を友達と語り合いながら希望を持って日々を送れる人と、夢を諦めて生きている人の血液検査をすると数値は或種のホルモンに関しては相当違います。厳しい現実生活で感じている不安を見つめるのも大切ですが、実現不能のようでも、人から批判されようとも、明るく希望のある自分なりの夢を見つめて生きていると、その不安感・諸問題の解決が遥かに早く解決していくものです。不安に固執するよりも自分に平安感をもたらす夢を大切にした方が人生問題はより確実に解決していきます。:<人生の夢:195-1>:
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