生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

明治6年のキリシタンの記録と八重さんの想い

2013年02月19日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
八重さんが洗礼を京都で受けた明治9年は、まだ世間ではキリスト教徒に対して大いなる警戒心がありました。記録をたどると明治6年に萩藩でいまだ300名くらいの「お預かり信徒」という記録があり、その4月23日に長崎到着、という記事もあるくらいです。そのような雰囲気と時代環境の中で八重さんは、どんな心境で洗礼を受けたのでしょうか?興味津々です。私の推測ですが洗礼を受ける前、色々の殺戮、人を殺す風景は確実に脳裏を去来したでしょうし、人の生命への尊敬の想いもキリスト教的に十分苦悩しつつ理解していると思います。神の愛の意味、死後の世界への解釈、自分の人生での殺戮の記憶、それを乗り越えての洗礼はこの女性の思想の深さ、複雑さが理解できます。生育史を解釈する場合に偏屈ではない世界的な思想の背景をもとに解釈していく必要を感じますが、自分の生育史の解釈をこれから明るく生きていく為のエネルギーとなるように解釈する為にはどうしたらいいのでしょうか?生きる希望がしみじみと生まれてくる為には、どうしても何の為に生きるのか、という難問を少し意識化する必要があるようです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:46>

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