生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

「必然と偶然」という言葉の解釈について

2013年03月02日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
或所で「必然と偶然」の話がでました。なるほどなあと感動しましたが色々の事例を思い出しています。中小企業の倒産により経営者が自殺、その家族を治療している時とか、大津波で流された遺族へ、この哀しい現実を「必然」とは言えません。言う人がいるとすると、その人は冷酷な人間と呼ばれるでしょう。哲学。神学、信仰の世界での言葉と解釈、そして現実の心理療法の世界での言葉と解釈は違いますが、世間はそんな事は区別しません。「必然と偶然」が人類誕生以来の「難問」なので、これからも思索の対象にしたいけれども、この言葉の使い方には十分注意が必要なようです。さて、どんな解釈を皆さまはなさいますか?うかつに相応しくない現場で使用し、人々から生涯、恨まれないように注意する必要もあります。出来れば心と生活に余裕がある時に、身辺の出来ごとには偶然は無く、全て必然だ、と解釈出来る日が来れば、その人はこの厳しい現実を悠然と生き抜く事が出来そうです。信仰の世界は理論の世界を乗り越えさせますが、これもあれも冷静な知性の後の物語かもしれません。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:57>

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