生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

統御感とは?:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々暮らしていて、心がはっきりしない、何の為に生きているのかも意識化出来ない、あれこれ不満だらけ、感謝と満足感が無い、こんな心境の時のことを統御感のない日々と定義しています。日々いきいきとして明るく元気に爽やかで、仕事に深い意味を感じていて、色々ありましても、楽しく生きている状態を統御感のある日々と考えていいでしょう。もう少しきちんと説明していきますが、この反対の概念が錯乱、です。錯乱というと大げさですが、心が取り乱された状態、スカーッとしない日々はほぼ錯乱状態、と生き甲斐の心理学が大げさに定義している精神状態のことです。この統御感について思索していきます。統御感の無い人生は悔いをのこすでしょう。どうしたら統御感のある日常生活が送れるのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:161>

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健康感とは?:その3:「お色気消失を感違いする人々」:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
エリクソンと言う学者はその人格発達論の中で、35才を超えるあたりから60才くらいの人々に注意を促しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素の関係で、人により相当「お色気の有り様」は違います。冷静?に勉強し、思索すれば、直ぐ分かる事なのですが、案外、世俗に流され、自虐的程に、自分を失う傾向の人が多いのです。この範囲の年齢に要求される努力目標があります。それは今まで色々の人々にお世話になりこの年齢層まで生きてきたのですから、そろそろ周囲の若い人々を親切にお世話しなさいと言う警告です。幼い子供から20才頃まで、人間は宇宙をさまようような生活をするものです。特に青春時代は嵐のようなものなので、取り扱いは難しいのですがお世話する対象が若くても、高齢者でも、そろそろ「世話」という領域に意識を向けないと、人の人格発達に支障が生まれますよとエリクソンは言いたいわけです。お色気が減少した自分を感じたら、是非、「世話」という概念を思い出し、そろそろ、さりげない「世話」を楽しんで下さい。そうするとその人は益々明るく元気に爽やかな日々を送れるようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:160>

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健康感とは?:その2:「病は気から」は本当?幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
一番病に弱いのは私のような気がします。風邪で少し熱が出ると、もう死んでしまうのかなあ、と感じたり、弱虫になるからです。しかし、今日まで元気に生きています。皆様も笑いながらこの記事を読んで下さいませ。昔から直ぐ眠れる時と、なかなか寝付かれずに翌日の仕事にも影響が出て、辛い一日を送る羽目になる人生でもありました。しかし意思力と努力で仕事をこなしてきたわけですが、そんな体験と心理療法の勉強を通して、古い諺「病は気から」は本当だなあ、としみじみ昔の人の言葉に感謝しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素は、どんなに気張っても改善出来ない領域なので、その人なりの対応策が必要です。病は気から、と自分に言い聞かせたお陰で、どれだけ明るく元気に爽やかに生き抜いてこられたことでしょう。病でもないのに病だ、と思ったとたんに人は本当の病気になるようです。心の在り様で心拍数が激増したり、心を意識的に平成にすると血圧が下がります。一番印象的な実験が暗示をかけて普通の絆創膏を貼り、これは汗が出る絆創膏ですよ、と言われて汗を出す実験でした。このように心で想うと身体症状が出る人間の身心の仕組みです。どうせ生きていくのなら、心構えで勝負をかけたほうが良さそうです。アルゼンチンの暴動で機関銃騒動に巻き込まれ同道していた先輩が死にましたが、その折の私を助けたのが「何としても生きぬぞ」という決意が私を救い、かつ、道を開いてくれました。飛行機事故の胴体着陸の折、周囲は錯乱していましたが、私は33才でしたが、堂々と死ぬ覚悟で着陸していきました。心の在り様は神秘的です。病は気から、という古人の教えを活用したいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:159>

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健康感とは?:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分も他者も色々と観察すると、それぞれ気になる身体症状があります。風邪から運動のしすぎによる筋肉痛、血圧、頭痛、言い出したらきりがありません。とても深刻な終末治療の現場でも、今回の健康感について、きちんと恐れずに思索する場合と、嫌な話題なので逃避して思索しない場合ですと、日々の生活が非常に明るくなります。極端な場合、家庭介護の日々の場合でも、その周辺の家族や本人自身の死の取り扱いの問題にしても、混乱する事無く、対処出来るようになるようです。健康感という領域の問題は精神的に錯乱すればするほど、現実以上に過剰反応してしまう領域なので、健康感については真面目に思索したほうが良いのです。私は死に直面した経験はありますが、未だ元気ですし、最終的な死を迎えた経験がないので、教科書通りに行かないことはわかりますが、色々の程度の病気を所持していても、健康感について思索しておくと、多少色々あつても健康感を保持出来るようです。毎日、明るく元気に爽やかに生き抜きたいので暫くこの健康感について思索します。「健康感」の反対側の概念は「身体症状」です。身体症状がありましても解釈を変えると小さいけれども健康感が持てます。絶望的なものよりも、少しでも健康感を感じる訓練をしていくと、奇跡的な回復をした事例が山ほどありますので、是非勉強してみましょう。変な話ですが、自分は生まれつき頭が悪いとかオカシイと解釈していた子供、青年達がこの「健康感の思索」をしたお陰で天才的な才能、個性の美を見出し、人生に希望をもつて生きていく話も沢山あります。健康感についての思索は人生を激変させます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:158>

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友好的な感情とは?:その3:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「生き甲斐の心理学」を勉強しなくても、ふと、良き友人との会話から「自分はどうしても人に対して基本的に友好的な感情が持てない種類の人間なのだ」と悩みだした話を聞く事があります。周囲の人に対して親しみとか友好的な感情が持てない、と悩みだす話です。この悩みを所持する人に色々の話をしましても中々理解されない場合、下記の話をしますと、ほっとされるようです。ストレス曲線と幸福曲線の関係は、とても面白い理論があります。つまり光と影の関係のように人間の怒りの感情の反対側の感情を友好的な感情と呼んでいる定義の話をします。不安感が解消した時のほっとした感情を平安感というように、或人への怒りの感情が解消して少しばかりですが「この人にも良い所があるんだ」と理解した時の感情も友好的な感情の領域に突入したと解釈しています。
周囲の人間に対して、いつも怒りまくる人は幸福にはなれません。逃げ出せない家庭、職場、学校のように、義務的に生活する環境の場合、少しでも友好的な感情が持てないと地獄です。嫌な人間の中にも長所はいくらでもありますので、何とか少しでも自分自身の居心地を良くする為にも、解釈を変えて緊張をほぐしつつ、友好的な感情を持てるように努力すると幸福感は増えてきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:157>

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友好的な感情とは?:その2:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
初対面の人に友好的な感情を持てる人はとても幸せな人生を歩めますが、初対面の人に対して常に意地悪な態度、偉そうな態度、ゆがんだ感情しか持てない人は割と、じめじめした暗い人生を歩いているようです。つまり基本的に「自己肯定他者肯定」の人格者は世間にあまりいない、という事です。お育ちの良い人は子供の頃から人を疑いません。騙されやすい性格と言ってしまえば、それまでですが、本人は意識しているか意識していないか分かりませんが、生き甲斐の心理学の法則からいいますと、騙す人よりは幸せな人生を歩いているようです。本来の性格を下記の4つのパターンに分類します。「自己肯定他者肯定」、「自己肯定他者否定」、「自己否定他者肯定」。「自己否定他者否定」。あなたは、どのタイプですか?先ずは自己分析してみましょう。残酷な質問ですが、この自己分析を冷静に出来ない人はカウンセリングの仕事は出来ません。自己分析した結果を周囲の人に公開して、意見を聞ける人は、大したものです。自己評価と他者評価が一致すれば本物かもしれません。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:156>

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友好的な感情とは?:その�:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
朝、目が覚めて気分が悪いと何となく一日が落ち着きませんし、楽しい人生ではなくなります。しかし熟睡した朝は気分が良く、通勤電車の中でも、多少、足を踏まれても腹がたちません。勤務先に到着して、いつもなら挨拶したくもない相手に対して、こちらから友好的な感情で、おはようと言える日もあります。この「友好的な感情」を所持するには「平安感」が前提なのですが、どうしたら、この感情がもてるでしょうか?この「友好的な感情」が自分にとっても、周囲の人にとりましても、人生では大事な感情だ、と頭では分かっても、そう簡単に保持出来る範囲の感情だとも人は思っていません。つまり難しい感情なのです。相手がぷりぷりしていたり、偉そうな態度なのに、こちらが「友好的な感情」を示せば、プライドもあり、負け犬のような気分にもなり、卑屈な気分にもなりますから、友好的な感情を平素保持するには相当の大人物でないと無理かもしれません。この友好的な感情保持方法について暫く思索してみます。平和共存を願う人々は、共に、考えてみる価値のあるテーマです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:155>

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平安感とは?:書斎で愛読書を眺める時、何と幸せ!その5:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人により平安感や幸福感を感じる内容は全部違います。私の書斎には約2,000冊の愛読書があり、その表題を見ては、色々の種類の思索を楽しみ、勉強会のカリキュラムを練るわけですが、その時間は我が人生における至福の時でもあります。未読の本も沢山ありますが、未読とは言いましても、ぱらぱらと軽くは読んでいますので、大体、何が書かれているかは識別出来ます。イギリスの大学の図書館は中世紀からの古文書もあり、その香りは独特なものですが、私は、その香りに触れると魂が踊る感じです。私の書斎から野川を挟んで森が見えますが、その森は室町時代に出城があったようで何か独特の雰囲気と異様なものを感じさせる林です。時々、何とか言う種類のタカの夫婦が来ると、そこに住み着いているカラスの大群が恐れて、どこぞへ移動していきますが、先住民のカラスが何となくかわいそうです。この書斎から見る風景と私の書斎の愛読書が醸す雰囲気は私の日々の平安感の基準となつていて、この平安感の基準のゆえに、厳しい国際政治や日本政治を観察する上で、少々、障害になるようです(この平安感の基準は厳しい世界には通用しないかも)。しかし、ここになるまでの激動の人生(海外でも暴動事件、飛行機事故、その他仕事上の世界各地でも暗い思い出等)を乗り越えてきたご褒美が今かなあ、とも思います。更には今、勉強仲間も、NPOの仲間にも、素晴らしい善意と愛に満ち満ちた人がいて、その人々と共に生きられる私は本当に幸せ者です。人は、それぞれの時代、年齢、生育史の環境の中で、自分流の平安感を意識化する必要があり、他者の平安感を比較考察する所から悲劇が生まれますので、自分流の平安感の基準を意識化するには相当の知恵と努力が必要ですが、少し努力をすれば、すぐ分かります。平安感の自分流の基準が幸福へのスタートとなりますので、是非、意識しておいて下さると幸いです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:154>

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平安感とは?:聖地,霊地に立つた時の心をどうするか?:その4:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何故、このような思索、分析をする必要があるか、と言いますと、心理療法の世界で時々遭遇する来談者の中に、巡礼や神社仏閣の訪問、座禅会・瞑想会に参加したばかりに、少々変になる人がいて、そのカウンセリングをする場合に、この知識と対応策を知らないと、その人を元気にする事が出来ないからです。この知識がありますと、自分に相応しくない会合には今後、参加しなくなり、自分を自虐的に追い込む事もなく、自分に相応しい場を選択する知識も身についてきます。さて、聖地、霊地に立つと昨日お話した考え方、感じ方があるわけですが、どんな小さな感覚でもノートに書いておきますと、後日、とても役立ちます。人間の体は或場所に立ち、その場に立った時の感情が、どうして生まれてくるか、その仕組みを意識しておくと、とても人生が楽しくなります。アフリカで人類が誕生し、世界各地に散らばり、旅先のそれぞれの土地に住み着くグループ、更には地の果てまで旅するグループと、色々あつたわけですが、その土地に立って、そこが気にいると、その地に根を張り、子孫が現代までそこに住み着いてきたわけです。気にいらない土地であつてもやむを得ず住む場合は不幸です。気にいらない土地に住んだばかりに短い人生を送る羽目になる民族は沢山いました。とにかく、どの土地であつても、その土地が好きか、嫌いかは判別がつきます。或現場に立つ、その時の気分は身体全体からの好き、嫌い、怖い、怖くないという人類の原初感情が働いていますので、どんな小さな感性でも、その人にとりましては、非常に大事な感覚なのです。霊地、聖地に立った時、何も感じないと思う人でも、その土地が好きか、嫌いか、だけでも意識化する訓練をしますと、今後の人生において、原初感情である「好き、嫌い」を大事に育てるので、悔いの無い選択が出来るようになります。好き、嫌いという感覚は、その人の必要な道を示唆する重要な指標なのです。倫理道徳、哲学、宗教の教え、人生訓等、家庭、学校、学問から教えられている素敵な物も大事ですが、自分の原初感情を無視すると、どんな強い人でも、少々変になりますので、この聖地、霊地に立っ旅の良さを十分に発揮する為にも、時々、旅をして新鮮な感覚を意識化すると、いきいきとした人生のシュミレーションを描く能力も養われ、かつ、その夢を実現させる道を明確に意識化できます。「人は考えた通りの人間になる」という先人の教えを大事にしたいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:153>

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平安感とは?:熊野三山で感じた平安感:その3:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
聖地に立った時の自分の感性について、殆どの人は照れていて、一言くらいは表現していますが、後は、互いに感動したまま、次の旅先へと移動していきます。私を含め、その場の歴史についての知識は多少ありましても、何時間も語れるような専門知識はありません。それでいいのですが、下記の事を参照していただけると旅に楽しみが倍加していきます。イギリスの大学研究室でのそれぞれの青年達は最初、どんな事を照れながら言ったかといいますと、(1)不思議な場所だ、(2)ちっとも面白くない、(3)何も感じない、(4)もうすこし、この場の歴史を勉強しておくべきであった、(5)不気味な場所だ、(6)気分が悪くなつた、(7)怖い、(8)何と幸せなんだろう、(9)憂鬱になる、(10)不安でたまらない、(11)嫌な連中を思い出した、(12)悩みが解決した、(13)自分の国の事を思い出し錯乱した、帰国するのが嫌になつた、こんな記憶があります。さてこの現場に立った時の感情、考え方、奇妙な行動(ストーンサークルに立った時、何かに脅えて大きな石の後ろに隠れた青年がいました)、つまり自分の思考と感情と行動を覚えておき、後でノートに書いておくと、とてもよい勉強になります。霊地に立った時の臨床体験をどう思索するか、分析するかを明日、考えてみます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:152>

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平安感とは?:熊野三山で感じた平安感:その2:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y) を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青年、インドの青年、モンゴロイドの私、その表現方法は民族が決めていきます。インド神話、アフリカの神話、ケルトの神話、日本の神話、それぞれの民族の意識の領域で表現が違います。さて魂とは何か、つまり上の方程式でいうBとは何か、という問題は、皆様がお好きなように勉強して下さい。但し、死ぬまで結論が出ないのが普通なので、それよりも比較宗教学の視点、つまり、「信じて見えてくるもの、信じた為に見えなくなるもの」という宗教心理学を勉強すると思わぬ物が短期間の努力で、見えてきますし、実際に生きていく上での「平安感」が簡単に手に入ります。疑う心は学問の大前提で、この疑いの心が無ければ学問は成立しません。しかし、自分の日常生活では疑いの心は捨てて、赤ちゃんのような単純な心で生きていかないと、死ぬまで不安感に苛まれます。仕事上の疑いの心と私生活の疑いの心を使い分けられない人は生涯、不幸です。さてこの方程式を意識して、世界の聖地に立つ場合と、そうでない場合、見えてくるもの、感じるものの、解釈が違ってきます。折角、お金と時間をかけて旅をしているので、聖地に立ち、見えてきたものが明日の自分を幸福にしていかないと意味がありません。旅をして不幸になるくらいなら、旅をしないほうがいいのです。人は幸福を求めて旅をします。お伊勢参り、富士講、熊野古道、近くの神社仏閣への参拝、出雲、高野山、比叡山、世界遺産登録の際はその認可条件としての古代信仰の形状が大きな必要条件になつているのも、この方程式が深く関係しています。明日ももう少し深く思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:151>

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平安感とは?:熊野三山で感じた平安感:そのⅠ:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
憧れの熊野三山、この現場に立った時、恩師の言葉をふと思い出しました。世界には霊地といわれている場所が沢山ありますが、その古代からの霊地に立った時は、どんな小さな感情や思いもノートに書くべし、という恩師の言葉でした。今回の熊野の旅は、親しい人々と旅をしていたのですが、密かにノートに記録しました。ヒマになりましたら、色々と研究材料にするつもりです。さて、イギリスの大学の研究室でも、霊地に旅をしまして、後日、こういった旅先での互いの記録を研究室で互いに笑い合いながら発表させられるのですが、この発表会は最初の頃は見栄もありプライドもあるので、正直には中々いえません。と言いますのは、自分の心の中での自問自答の内容の程度に、そんな自信がないものですから、発表出来ないのです。ですから一応、気取って、表の顔で語りますので、ちっとも面白くもなく、勉強になりませんでしたが、その内にアイルランド、南部イギリス等の古代遺跡に行く頃には、もう気取る事もなく、どんな小さな感情でも発表しあえるように信頼関係がうまれてきていましたので、何でも気取りの無い言葉として飛び出してきました。その会があまりにも楽しいので、他の研究室の教授も録音機持参で参加するようになりました。アフリカの青年、モンゴロイドの代表の私、南米、インドの青年、それぞれが語るさりげない言葉に感動する教授もいました。比較文化論、比較宗教学の世界的な大家である先生方(当時の私は、そんなに有名な教授とはしりませんでした)が涙をだして感動しているのですが、その理由を私は理解することが出来ませんでした。例えば私は20代前半でしたが、あまり経験が無かったので、ストーンサークルに立ち、冬至の太陽が沈む風景について「高校時代に母が40代で死にました。この沈む太陽を見たら、日本書紀のイザナミが黄泉の国で腐敗している姿をイザナキに見られて哀しむ」話をして私の母もひょっとしてイザナミと同じ姿をしているのではないか、と話をしたのです。沈黙の後、隣の研究室の教授が涙を流して「いや、そんな事はない、お母さんは天国で今、とても幸せに生きているよ」と言うのですが、インドの青年、アフリカの青年は反論し、それぞれの国での死後の世界の話をするので、益々、会が盛り上がり、その会話の内容を盛んに色々の教授が録音している姿がとても印象的でした。この会話の意味について明日語ります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:150>

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平安感とは?:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐の心理学では「平安感」という感情を大事にしています。朝、目が覚めて心がざわついていると、なにをしても落ち着きません。しかし、心が何となく安らいでいると、身辺の森羅万象がとても美しく見えてきたり、鏡を見ても、自分の眼差しが邪眼ではなく、慈しみに満ち溢れた眼差しをしていて、とても安心して新聞をぱらぱらと眺める余裕がありますが、心が不安定でイライラしていると同じ新聞の記事でも、そう落ち着いて記事を読む事も出来ず、どんな記事を見ても、イライラしてきて面白くありません。このように平安感という感情は生きていく上で、とても重要な感情なので、暫くこの幸福曲線上の「平安感」について思索していきます。この平安感は平素、不安に感じていた事柄が解決し、ほっとした感情を言います。自分の平安感を思索する場合、平素、感じている不安感と比較考察していくと、案外、五感と体感レヴェルの平安感、という実体が見えてくると思います。温泉の好きな方が星空や海、山を見ながらの露天風呂も平安感の代表的な感覚で、この自分流の平安感の基準感覚を意識化しておくと、長い人生の中での苦難を乗り越える時の指標が明確なので、過剰に反応することもなく、身分相応の平安感の追求が可能です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:149>

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何故、混濁するか?:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の問題なのか、相手・他者の問題なのか混濁すると人は幸福にはなれません。更には理想と現実を混濁しても、幸せになれません。その混濁の理由は思いこみが原因なのですが、複雑なので、一つのフィルターという言葉を使います。私を含め、人は「一つのフィルター」から物を見てしまう傾向があります。例えば新聞のニュースを見ます。歓迎する人もいれば、同じニュースでも腹を立てる人もいます。この解釈の違いで、もし、無理をすれば、その人は心が落ち着きません。このように、人は自分の心を安定させる考え方、フィルターで解釈していかないと、とにかく、心が安定しないのです。つまり自分が安心して生きていける解釈を、ストレスがたまらないように、色々と言葉にしていうわけです。この傾向は悪い事ではなく種の保存、生命の維持に必要な精神作用だからです。身辺のストレスを早く解決して、すっきりしなさい、と大脳が囁くのですが、子供から高齢者まで、全ての人が生き甲斐の心理学を学んでいるわけでないので、一つのフィルターに振り回されて、幸せなら良いのですが、そのフィルター、個性的な見方が自分を不幸にしている場合、その傾向を意識化しないと、無駄なエネルギーを使い、自分を疲れ果てさせていきます。赤ちゃんも気にいらないことがあれば、それが解決されるまで、何を言いましてもご機嫌が悪いのと同じです。しかし大人になり人生経験を積む内に、一つのフィルターで周囲に当たり散らすと碌な事にならない人生を知るわけです。偏見に満ちた大人、思いこみの強い人から、とばっちりを受けないように、その人を避けていきます。八つ当たりをする人は仕事がうまくいきませんし、第一、信頼されません。とまあ、こんな風に、周囲の反応を体験する内に、一つのフィルターで振り回されると碌な事がないと悟ります。そして、固執せず、その場、その場で自由に明るく爽やかに生きる喜びを感じたい、と願うようになれば、もう大丈夫でしょう。人の心を自由にさせない一番大きな原因は「人への憎しみ、恨み、嫌悪感」だと言われています。或人が嫌いな場合、何故か、嫌う人自身が固執障害に陥る傾向があるようです。不安感、怒り、鬱が続きます。このストレス曲線上の感情が人を不自由にするようです。日々の平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感が人を自由にさせますので、今年もこの幸福曲線を大事にしたいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:148>

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幸福感と幸福の条件を区分して考えない悲劇:幸福な日々の為の自問自答集の第3章

2014年01月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
他者から見れば資産も沢山あり家族にも恵まれ何故、あんなに不満だらけな発言をするのだろう?と不思議に思う人に出会います。色々とお話していく内に、不幸せな自分というセルフイメージを構成している概念が唯一つである場合があるのです。変な表現ですが「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」という精神構造なわけです。これでは本人も周囲も悲劇です。一つの不満があると、そのフィルターで世界を見てしまう人があまりにも大勢います。この話は他者の話だ、と思わないで、私を含め、新年にあたり、どんな偏見と思いこみとフィルターを自分が所持しているか、楽しく自己分析、反省をしながら美味しい御酒を飲むのも美しい新年の始まりかともおもいます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:147>

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